第30話
二人は、妥協をしなかった。川崎の手に対し、定家四冠も長考。それは、たいして難しい応酬ではないが、この一局の流れを決める大事な数手だった。約三時間、僕らも濃密な時を過ごした。堅さを生かして攻める王者に、広さで対抗する挑戦者。お互いの主張が真っ向からぶつかり合って、タイトル戦にふさわしい攻防だと言えた。
途中で、解説会への参加を打診された。あまりに指し手が進まず、話のネタが尽きたらしい。
解説会は別館で行われていた。渡り廊下の空気はひんやりとしていて、控室に熱気が充満していたことを実感させられた。僕たちは好きな時に温泉に入ったりできるが、対局している二人にとっては周囲の環境など関係ないことだろう。僕も、自分がどこで指しているのかをしばらく忘れていた。
不便な場所にあるにもかかわらず、多くの人々が来ていた。それだけ注目度が高いということだろう。僕が入っていくと、今までにない温かい拍手で迎えられた、気がした。トーク力もなく目立った個性もない僕にとって、歓迎されるには将棋で頑張るしかない、ということを実感する。
「それにしても激闘だったね」
解説はA級の先生だが、なぜか僕の方が色々と聞かれてしまう。まあ、そのために呼ばれたのかもしれないが。
「ええ、疲れました」
「いやあ僕もね、3八飛車から3七飛車にはビックリで。ああいうのは、思いつくだけで価値があるよ」
「ありがとうございます」
「まあ、しかしね。タイトルは防衛して初めて一人前とも言うからね。来年が本当の勝負だね」
「そうですね。頑張ります」
「うん。じゃあ、局面を見てみようか」
モニターに映る局面は、先ほどと変わっていなかった。少し手を戻してから、解説が始まる。
ふと、大盤の中に夕日が見えた。それが何を意味するのかは分からないが、似合っていると思った。沈んでいく太陽を捕まえるような、そんな対局なのかもしれない。物音一つ立てない時間にも、二人は全力で戦っている。燃えながらも、日没へと向かう太陽……
三十分経った頃、初めてモニターの中で駒が動いた。僕と先生は、それを見てしばらく唸る。全く解説していなかった一手で、すぐには狙いが分からない。だが、とりあえず悪い手でないということはなんとなく分かった。僕らとは全く別次元のところで、二人は戦っている。
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