竜の牙

第1話 プロローグ

「おぇぇ…」

大海を割る1隻の船【赤剣号】の甲板から、一人の少女が嘔吐した。


海の上に出て今日で10日目になるが波にもまれるその感覚には未だ慣れることはない。最初の方こそ心配してくれていた船員も今では慣れた光景としてその様子を笑いながらみていた。

「がははは嬢ちゃん、今日もやったな」

そういって船員の中から一人の男がやってくる。左目に黒い眼帯をした筋骨隆々とした老人、この船の船長だ。海賊じゃない。彼は少女の背をさすってやる。

「うぅ…3日も乗れば慣れるって言ってたのに…」

恨みがましく言う。海路を使って村に来ていたものはみんなそういっていたのだが担がれたのだろうか。少女の言葉に船長の男は大口を開けて笑う。

「がははは、まぁこればっかりは人によって違ぇからなぁ!慣れるやつはすぐだし一生ダメな奴もいる」

船長の言葉に絶望する。これから先故郷に戻る時は毎回こんな思いをしなきゃいけないのか。

「ま、吐けるもんを腹に入れれてるんなら大丈夫だ!いつかは慣れる!それにほれ…」

そういうと彼は芋虫みたいな指で前を指す。つられてそちらに目を向けると朝の陽光に照らされて輝く地平線に陸を捉えることが出来た。

「陸…」

「昼には着くぜ」

少女の呟きにニヤリとして答える。そっか…もう着くんだ。そう思うと先程までの気だるげな身体に熱が灯り鼓動が加速する。


大陸アゼリア

未だ未開の地や遺跡を多く残す未知で甘美な夢追い人たちの楽園…墓場。そして自由の象徴である探求者たちの聖地だ。


ギュッ…と思わず腰の焔刀を握る。別名で三日月刀とも言われる焔の国のそれは死んだ父の形見でもある。


見てて父様…私必ず名を轟かせて見せるから!


そう彼女、リン=オウイは縛った黒髪を海風に揺られながら誓うのだった。









2

海鳥の鳴く声を聞きながら船着き場に降り立った時、リンは大地のありがたさを知った。

これで狭い船室とも船酔いともおさらばできる。ジーン…と感動に浸るのも分かるというものだ。だがそれもそう長続きはしない。

「ふわぁ…」

顔を上げて立ち尽くす。

見回すほどの広い港、活気ある声。見上げるほどに高い時計塔に密集する様に立ち並ぶ建造物や露店。自分のいた村というのもおこがましい小さな集落とは違い、人の流れや生活の全てに至るまでこちらの方が何倍も優れているのは見ただけで明らかだった。

「さすがに探求者たちの聖地って言われてる大陸は違うなぁ…」

人の住む場所には探求者たちがいる。魔物の脅威や素材、歴史的発見はともかく生活に必要な物資を手に入れる為には彼らを頼らざるをえない。そういった依頼を出したり顧問として村や街に定住してもらってはじめて生活が成り立つ。

生活圏が安全になれば人の往来も増える。探求者たちも増える。探求者が多くいれば1人あたりの危険が減り、生存率が上がる。周辺地域の情報も増える。どこに何があるか、生息する魔物はどう狩るのが効率が良いか…これらは貴重な情報だ。人は集まり街も大きくなる。

リンの降りた船では既に荷降ろしが始まっており自分の荷物も搬出されていた。樽の横にゴツゴツとした麻袋が置かれている。中身は衣服と皮鎧だ。

リンはそれを引っ掴んで肩から下げると港の門の前でニッとしてから叫んだ。

「よーし!やるぞぉお!」

辺りにいた何人かがギョっとした様にこちらを振り向いた。が、すぐに別の喧騒によってその視線はそちらへと移った。

「だから!んなもん俺らが知るかってんだよ!」

かなりデカい怒声だ。見ると数人のガラの悪い水夫が行商人風の男に絡んでいた。

「いや…ですけどあなたが手に持っているその財布…わたしが船室に忘れていったもので…」

「うるせぇっ!証拠あんのかよ!」

話を聞いているとどうやら絡まれている男が船室に忘れていった財布が原因らしい。水夫の手に持たれているそれはずっしりと重そうで確かにケチな水夫の給金ではどうあっても貯められそうもないものだ。

「しょ…証拠なら中に懇意にしている商会に由来のものがあります、それを見ればわか…」

言い終わる前に水夫の拳が男の顔にめり込む。懐に短剣は忍ばせていたものの、護身に持っていただけで使ったことなどないのだろう。喧嘩慣れしていないのは明らかで倒れてその場にうずくまると囲まれてボコボコにされている。

「お願いです!財布をっ!」

「まだ言うか!」

これはひどい。リンは遠巻きに見ている人達から前に出ると水夫と男の間に割って入った

「やめなよ!大の大人がみっともない!」


水夫たちが殴る蹴るの手を止める。

「んだぁ?嬢ちゃんこいつの知り合いか?」

「いや、全然知らない」

「じゃあひっこんでろ!」

ブンッと追い払うように振るわれた腕をひょいっと避ける。リンは顔をしかめた。

「一人の無抵抗な人を囲んで暴行するのなんか見てられない あんたらも人間なら話は通じるでしょ?ちゃんと話し合いなよ」

「へん、ケチを付けてきたのはそこの転がってるおっさんの方だ 話し合う気なんかさらさらないね!」

その言葉に行商人風の男がなにか口にしようとしたが水夫に睨まれて下を向く。4人か。

「やることが汚いね…じゃあ私も話し合いなんかしてやらないから!」

そう言ってリンは背負った麻袋で1人を殴り、臨戦態勢に構える。いかに中身が皮の鎧と言っても所々は鉄であしらったりもしてるのでたまたま顎に当たった水夫は目を回してその場に崩れ落ちた。運がいい…残り3人。

「んだこのアマ!」

2人が拳を振りかぶってリンに襲いかかる。リンは先に殴りかかってきた水夫の腕を掴むとグイッと前に引いてがら空きのみぞおちに膝をめり込ませる。そしてそのまま流れるように身をかがめるともう一人の軸足を両足でハサミ取り、そのままひねりあげた。

「ぁぁぁぁぁあ!!」

ボキリ…と嫌な感触がした直後その水夫も崩れ落ちて悲鳴をあげる。残り1。

リンは残った1人をギロリとにらみつける。多分、女のガキ1人と侮っていたのだろう、その様子は明らかに狼狽していた。

「ちょちょ!待ってくれ!話し合おう!な?な?」

「それを拒絶したのはあんたらよ」

リンは1歩踏み出す。相手は逆に1歩下がった。

「わ…悪かった…ちょっとしたイタズラのつもりだったんだ」

水夫は財布をリンの目の前に放ったが、さらに1歩前へ出た。

「いたずらで人のお金を取ったあげく囲んで乱暴するんだ」

「ひぃい…」

完全に怯えている。許すつもりはさらさらない。だが。

「がっはっは〜!元気いいなぁお前さんたちぃ」

そんな声が聞こえたかと思うとリンを芋虫みたいな指のついた手がその身体を軽々と持ち上げた。

「え!?ちょっ!?」

いきなりの事に驚いて手足をばたつかせる。リンを持ち上げたのは彼女をここまで乗せてきてくれた船の船長だ。

「やい、どこの船の連中か知らねぇがとっとといっちまえ!他の船に迷惑だ!」

ギロリと船長に睨まれると水夫はコクコクと首を動かしてその場から立ち去る。残った連中も足の折れた仲間を引きづる様に担いで離れていってしまった。

「離しなさいよ!」

どんどんと激しくなるリンの抵抗に船長はようやく彼女を地面に下ろした。リンは言う。

「どうしてあんなの助けたのよ!」

「ほ?」

船長はとぼけたような声をだす。そしてニヤっとすると辺りを見渡した。

「別にあいつらをたすけたんじゃねぇぞ嬢ちゃん。自分の船に乗せてきたよそ者と港の連中が何かしらで争えばこっちにまで飛び火すんだよ もし衛兵の目にでも止まれば俺は最悪胡乱な奴を運んだ船って事で港立ち入り禁止だわな」

そういって腰の水筒の水筒の蓋を開けると中身を煽る。ふわりと酒の匂いがした。

「でも先に仕掛けたのは向こうでしょ?」

「そうかも知れねぇが証拠なんざねぇ、あのまま衛兵がきたら奴らにケガ追わせちまった以上悪いのは嬢ちゃんになったろうな。財布なんざ海に放ればそれで終わりだ」

「そんっ……!」

な事ないといいかけて顔を伏せる。リンはこの街の事などなにも知らない。この港に良く来る船長さんがそう言うならそうなのだろう…と判断するくらいには頭に血は上りきっていなかった。

「ま、正しいことだけがまかり通らないのが人の世って奴だ。うんざりしちまうがな」

そう言ってリンの頭をポンポンとする船長、子供じゃないんだからやめてよね恥ずかしい!

リンはその手を払い除けると先程までボコボコにされていた男に声をかけた。

「大丈夫?」

「えぇ…ありがとうございます。本当に助かりました」

「いいよ気にしないで、あたしああいうの見るとつい向かってっちゃうだけだから」

足元の財布を拾ってポンと男の膝に乗せてやる。それを彼は恭しく受け取った。

「いいえ、それでも助けていただいたのです。何かお礼をしないと……あ、失礼私はヴィゴロといいます、この街には商売で来ております」

男、ヴィゴロの言葉にリンも名乗った。

「私はリン、冒険をしにこの大陸に来たばかりなの。よろしくね」

「ほう、冒険を…という事は探求者の方ですか?ご志望は?」

探求者に出される依頼は様々で専門的に受ける内容によって区分される。周辺地域の探索や護衛依頼など人の生活を豊かにする探求者の事は人道の探求者、魔物を狩り武威を示すことで己を高めようとする魔獣狩りの探求者、遺跡の探索や未開の土地、まだ誰も手にした事の無いなにかを求め名声を得ようとするものを未知の探求者と呼ばれる。リンは自信満々と言った様子でヴィゴロに言った。

「魔獣狩りよ!私は父さんが残した武術の腕を後世に残したいと思ってるの!だから私はこのアゼリアでいっぱい魔物を倒して、自分の武威をこの大陸だけじゃなくて四大大陸中に轟かせるのよ!」

そういって腰の三日月刀を抜いて振り上げて見せた。ヴィゴロと船長の男は「お〜」と頼もしげな表情でリンを見る。

「いやぁ〜、こりゃ水夫なんか相手にならない訳ですよ。まさか魔獣狩り志望の方とは…では今後魔物の素材が出た時は是非このヴィゴロを頼って下さい。売却や武具の作成などいささか知己に頼れます。街のサイトロ商会にいけば私への連絡は可能ですので」

「うん、その時は是非寄らせてもらうわ。これから早速依頼を受けようと思ってたし」

握手をかわし、ヴィゴロと別れようとするリン。一通りやり取りを見ていた船長がそこで声をかけた。

「おいおい、組合にはいくんだろ?この辺りの特性なんか聞くんなら明日にした方がいいんじゃねぇか?」

組合とは簡単に言うと探求者達に対する依頼の斡旋や情報を提供する組織である。ランク帯で探求者を選別し、実力に見合った依頼を紹介すると共に色んな特典などを授けてくれる。リンはニヤリと不敵に微笑んだ。

「船長さん、百聞は一見にしかずってしってる?自分で見て感じた方が上手くいくのよ」

「いやぁ…でもよ……」

「いいからいいから!」

船長の言葉を無視して街へと通じる門へと歩いていく。行商人のヴィゴロもそれにに続いたが、船長はただ水筒の中身を口に含みながら呆れた様子でそれを見送った。

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