第112話 ウザい若造をあっさり捕まえよう
ロウラは焦っていた。
彼の目の前には王家に仕える近衛騎士が二人、気の抜けた顔で突っ立っている。もちろんロウラを捕まえに来たのだが、「魅了の函」で虜にしたのだ。
どうして近衛騎士が来たのかはわかっている。おそらく公爵家の人々を魅了していた事が発覚したのだ。エチル王女との関係を念写されていた時にもしやと思っていたが、王室はロウラを怪しんで調査していたのだろう。
こうなる前に王妃も含めて国の重鎮たちを魅了し尽くしておくつもりだったが、事態はロウラが考えているより早く動いてしまったらしい。
「とにかく今は逃げるしかない」
アイラたちの
「くそっ、アイラは何をしている! アモスを殺すのにいつまで手間取ってやがるんだ!」
魅了の函だけではなく【稀人】という駒を手にしていれば、この状況を打破できる可能性が高まる。だが、肝心要なアイラが戻ってこないので、ロウラは切り捨てることにした。
「大丈夫。冷静になれ。俺は無敵だ」
どんな敵が現れようと魅了の函があれば思うがままだが、ロウラは人目を避けて、街の外壁沿いに逃げることにした。
魅了の函には弱点がある。一度に多数の人間を魅了できないのだ。
二、三人であれば視界に函を
外壁沿いを小走りで移動するロウラは、補修されていない壁の穴や衛兵用の出入り口を探している。そこから街の外に出るつもりだ。
「!?」
壁を支える柱の陰からタバコの煙が見えた。
「しめた。衛兵だな」
そこに衛兵が詰めているということは外に通じる非常扉があるはずだ。その衛兵を魅了すれば容易に脱出できる! と、ロウラは思っていた。
だが、柱の陰に立ってしおしおの葉巻をくわえていたのは衛兵ではない。みすぼらしい獣のベストと上半身だけの革鎧を着込んだ、いかにもチンピラ風の冒険者だ。
『ちっ、なんでこんなところに。だが、まぁいい。俺の駒になってもらうとしよう』
この男を魅了し、街で暴れさせて衛兵たちの目をそちらに向ければ脱出が楽になる可能性がある───そう考えたロウラは胸元に下げた函を手に、チンピラ冒険者に近寄った。
「そこの冒険者。こっちを見ろ」
高圧的に声をかけた瞬間、ロウラは「ぶべっ!」という今まで口から出たことがない音を吐き出しながら、硬い地面に膝までめり込んだ。脳震盪を起こして視点が定まらないが、チンピラがげんこつで頭を叩いた衝撃で自分の体が埋まったことは理解できた。
「ったく。こんなもんで人間の心を弄ぶなんざ、相変わらず悪趣味だな、アラハ・ウィの野郎は」
チンピラはロウラの胸元から魅了の函を奪い取ると、一握りでそれを粉砕してぱらぱらと手から零した。
「あ、ああ……」
自分の生命線とも言える魅了の函を失って茫然自失となるロウラは、突然理解できた。
チンピラは短くなった葉巻を律儀に携帯灰皿に入れ、「ふう」と一息ついた。
「オメェも下手な野心を持たなきゃよかったのになぁ」
「き、貴様に何がわかる! スラムで生まれた者はスラムから出られない! 金もなく学もない! 他所でまっとうな仕事につけもしない!」
「そういう文句は王妃に言ってくれや」
チンピラ───ルイードが面倒くさそうな顔をして手を上げると、物陰からぞろぞろと騎士が現れ、その中心には王妃がいた。
「お、王妃陛下」
ロウラが蒼白になる中、王妃は一瞥もロウラに目をくれずにルイードを見ている。
「ふん。やつはいないか。現れると思って来てやったのだがな」
「あいつもバカじゃねぇんだから、あんたの前にひょいひょい出てこねぇだろ」
王妃に対して不敬が過ぎる物言いをするルイードに、近衛騎士たちが殺気を放つ。
「おー、こわいこわい。飼い犬のしつけくらいちゃんとしろよ」
「彼らは優秀な近衛騎士だ。犬扱いはやめよ……と、貴様と口喧嘩しているヒマはない。ロウラを引っ立てよ」
「おい、少しは情状酌量してやれよ。こいつをたぶらかした悪い魔法使いが別にいるんだから」
「それは司法が決めることだ。ご苦労だったなルイード。男爵子息捕獲の依頼、達成したことをギルドに報告させておこう」
「へいへい」
王妃とこれほど砕けた会話をする
■■■■■
「納得行かないんですけどー」
【アモスフィットネスジム】の受付でぶすくれているのは、稀人のアイラだ。派手な格好やメイクはやめたものの、粗暴な態度はなかなか矯正できない。
アイラが納得行かないと言っているのはロウラの処遇についてである。
「たった三年の収監と強制労働で終わりなんて、あいつにたぶらかされて貞操を失った女の子たちがかわいそすぎる」
「ですが、ロウラも悪魔にたぶらかされていたという話ですから」
モップで床を磨いていたエチルは、そう言いながらも「宮刑にして欲しいですわ」と続けた。ここでいう宮刑とは去勢してしまう刑罰のことである。
この二人がアモスの店で働いているのは罪滅ぼしのためであるが、アイラは冒険者を引退して血盟を解散させたので働き口がなかったし、エチルは王女ではなくなり他所の国に嫁ぐ話が来るまでは何もすることがなく、アモスに泣きついて働かせてもらっているのだ。
「かあさ……チルベア、今日の予約は?」
「アヤ……アモス様」
どういうわけかアモスとメイドのチルベアの喋り方がぎこちない。
エチルは「あのお二人、恋仲なのかしら?」と勘違いしているが、前世では親子だったということを知るアイラは苦笑するだけだ。
【アモスフィットネスジム】のスタッフはアイラと共に冒険者を引退した元女冒険者たち。その引き締まった体に憧れる女性客が多く集まり、特にアモスが考案したとされる「アモス式筋肉トレーニング」は、極めれば素手で岩石も粉砕できるようになると話題だ。
数年後、他国との戦争で「王国の女は化け物か!」と怖れられるようになるきっかけがこの【アモスフィットネスジム】であろうと、この時は誰も予想していなかった。
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