第107話 ロウラ、センター街の悪夢をウザ使う

 ロウラ・グラ男爵子息は、物事が自分の思うように運んでいると最高に気持ちが良いことを知っている。だが、上手く行かない時はその反動で極限まで不機嫌になる。


 今、まさにロウラは不機嫌の極みだった。


 おそらくエチル王女の敵対派閥の貴族が雇った間者スパイが、エチル王女と自分の痴態を念写紙に抑えさせた。それを元老院の重鎮でもある校長が入手し、あろうことか元老院最高議会に審問したのだ。


 街で配られているゴシップ新聞によると、校長は「エチル王女の継承権剥奪及び、王女をそそのかしたロウラ・グラ男爵子息の廃嫡」を付議したらしい。


「冗談じゃねぇ」


 スラム時代の口調に戻ったロウラは、奥の手を使うことを決心し、胸元に下げている「魅了の函」を指先で撫でながら、街の暗がりを征く。


 ここはスラム街。自然発生した「行き場のない者たちの巣窟」だ。


「元老院だろうがなんだろうが、俺の邪魔をするのならをけしかけるだけだぜ」


 スラム街の奥の奥。そこには誰がどう見ても場末の売春宿がある。


 ロウラは周りを注意深く見回して誰もいないことを確認してから館に入る。目的は女を買うことではない。


「あらぁ? ロウラじゃーん」

「おひさー!」

「ねぇ最近私とシてくれてないんですけどー!」


 けばけばしい化粧の女達が迎え入れる。もちろん全員「魅了の函」で支配してある。


 ここは【アイラ武勇血盟】が根城にしている血盟館で、血盟員の冒険者はここで怠惰に過ごしている。その頂点に君臨しているのが【稀人】のアイラだ。


「どったのロウラ」


 アイラはガニ股でテーブルに腰掛けて長い煙管をくわえていた。


「お前の出番だぜ、アイラ」


 魅了の函を触りながら言うと、アイラは茫洋とした眼差しになり薄く頷いた。


「まずはうちの校長を殺せと言いたいところだが、腐っても元老院の重鎮でガードが硬い。だから、その前にお前たちの実力を確認しておきたい」

「いいけど、なにすればいいの」

「アモスを殺してこい」

「誰それ……。ああ! あんたが姫様を寝取った相手の男!」

「そうだ。殺し屋を送り込んだが、今もピンピンしてやがる。冒険者になったと聞いていたが、随分と腕を上げたらしい」


 全く眼中に入っていなかった「アモス」という雑魚キャラが、まさか殺し屋から逃れるとは思ってもいなかった。


 アラハ・ウィが最後に残した「に効きますかねぇ」という言葉からして、もしかするとアモスは特殊な人間なのかもしれない。だとしたらこれから先、最大の障害となるのは間違いないだろう。


「じゃ、うちら【アイラ武勇】の全力でそいつ殺してくるね♡」


 アイラはロウラの頬にベッタリと口紅の痕をつけると、冒険者たちを呼び集めた。


「アモスっていう貴族の男、シメに行くよ!」




 ■■■■■




「「師匠、修めました!」」

「おう、出来るようになったか?」

「「はい、師匠!」」


 アモスとチルベアはルイードに教わった魔法を詠唱し始める。


「ブー・レイ・ブー・レイ・ン・デー・ド……」

「闇よりもなお暗きもの、夜より……」

「あー、うん。実践しなくていい。さすがにその二つの呪文をぶつけられたらこいつが可愛そうだ」


 アモスとチルベアの訓練相手にされている男───【影踏みのニギヴ】は、乾いた笑いを浮かべた。


 これまでに何度死んだことかわからない。しかしその度にルイードが不思議な力で体を再生するものだから、死ぬに死ねない。殺してくれと願い出ても蘇り、また地獄の苦痛を味わうのだ。


「魔法はまぁ、そんなところでいいだろう。さすがに超原始崩壊励起とか重破斬まで覚えさせると、アレ王妃が後でうるさそうだしな」

「「はい、師匠!」」


 やたら従順になったアモスとチルベアは、広大な白い空間の中で何十年も修業を続けている。ここは時間と空間が無限に広がる「別世界」らしく、元の世界では数分も時が進んでいないらしい。


「まぁ、ここまで出来るようになりゃあ、一端いっぱしの冒険者としては十分だろ」


 ニギヴは「十分過ぎるわ!!」と悲鳴を上げそうになったが、声を出す気力はない。よく今の今まで精神が壊れないものだと自分の頑強さに呆れるくらいだ。


「それと、木人形デクになってくれたニギヴに礼を言うんだぜ」

「「はい、師匠! ありがとうございましたニギヴさん!」」

「は……はは。私の幻像が通用しなくなった辺りから、もう人間じゃなくなってますけどね、お二人とも……」

「そんじゃあ、そろそろ元の世界に戻るか」


 ルイードの言葉にニギヴは涙を流した。


 この白い空間がどういった場所で、どうして死んでも死んでも蘇るのかまったく理解できなかったが、とにかく元の世界に戻れる事は嬉しいことなのだ。


「もう足を洗おう……無理だ……どこか人のいない所で細々と暮らそう……」

「ん? オメェ、仕事がねぇんならギルド食堂で働かねぇか」

「ギルド食堂?」

「おう。俺様が食材を卸してるんだが、最近好評でな。他にも食材調達してくれるやつがいないか探してたんだ」

「そ、それはあなたの傘下に入れるということで?」

「傘下っていうか、まぁ、そうなる……のか?」

「入ります! 入らせてください!」


 こんな超次元の存在の傘下に入れるのなら怖いものはない。とニギヴは白い地面に額を擦り付けて願い出た。


 そんなニギヴの涙ながらの訴えに「そんなに仕事なくて困ってたのかよ」と引き気味だ。


「いえ、私はロウラ・グラ男爵子息に飼われている殺し屋でして。アモスさんを殺すように依頼されたのですが、もういいです。辞めます。てか今のアモスさんを殺すなんて無理です」


「ほーん……。ロウラ・グラねぇ。なんでアモスを殺そうとしてんだ?」

「それはわかりませんが……」

「僕はわかりますよ」


 アモスは少しばかり困った顔をしている。


「僕はエチル王女の元婚約者ですから、存在しているだけでも目障りなんでしょう」

「そりゃまた達観した物の見方するじゃねぇか。しっかし鍛えといて正解だったな。そのロウラってのが何してこようと、今のお前らなら対抗できるだろ」

「はい師匠」


 アモスは白い空間めがけてボクサーのようなパンチを繰り出した。まるで重いカミソリのようなそんな腕の一閃は、白い空間に亀裂を生み出した。


「!?」


 ニギヴが呆然とする中、メイドのチルベアが拍手する。


「さすがアモス様です。次元の壁を割るなんて!」


 メイドが何を言っているのかわからないが、とにかく人智を超えたことをやってのけていることはニギヴにもわかった。


「あ」


 ルイードが短い声を発すると、その裂けた空間から奇っ怪で巨大な何かが現れた。かつてスペイシー領に向かう時にも現れた黒い腕が、その全貌を現したのだ。


「し、師匠、なんですかアレは!」


 さすがのアモスもチルベアも恐怖せずにはいられないほど巨大な人影は、亀裂の中から立ち上がってみせた。


 白い空間の果てまで届きそうなその背丈は千メートルを超える巨人。その名はネフィリム。かつて天使たちが禁を破って人間と交わったせいで生み出された怪物だ。


「卒業試験ってとこかな。おい、アモス。アレを追い返せ」

「無茶言いますね!! なんですかあの巨人は! 頭の方とか見えないくらいでかいじゃないですか! てか僕がいくら攻撃しても足の親指より上にも届きませんよ!!」

「俺が教えた技に距離が関係あるか?」

「……ないですね」


 アモスは拳を構え、空間を割ったときと同じ様に鋭いパンチを繰り出し、白い空間全体を叩き割った。

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