閻魔太郎は地獄の審判者(予定)~趣味と恋とジャッジメント~
雪芝 哲
第1話 家出
閻魔太郞は危機的状況に追い込まれていた。
夕食の前に入浴を済ませ自室に戻ると、父の閻魔大王が太郞の机にでんと座している。
いつも部屋に鍵をかけ、親の立ち入りを阻止しているのだが、今日に限ってその鍵がドアごと粉砕されていた。
「おい太郞、これはなんだ?」
閻魔大王は回転イスをくるりと回し振り返る。
黒い道服姿、太い眉に山羊ヒゲ、強面でどっしりとした体格。
まさに閻魔大王たる風貌と威厳がそこにはあった。
「と、父ちゃん……それは……」
太郞はヘビに睨まれたカエルのように固まり、スウェットの下がじわじわと汗ばんでいく。
机に置かれているノートパソコンを見れば、そうなるのも当然だ。
パソコンではエロゲーが起動され、タイトル画面が映し出されていた。
しかも最悪なことに、そのタイトル画面では、裸の女子高生が鎖に繋がれている。
タイトル名は、『JK陵辱恋物語2』。
恋物語などと銘打ってはいるが、ぶっちゃけ、女子高生をSMプレイで陵辱するという、鬼畜な18禁ゲームである。
「おまえ、次代の閻魔大王のくせに、こんな変態ゲームをやっていたのか?」
「………………」
太郞は返す言葉が見つからない。
夜な夜なこのゲームでナニナニしてました、なんて言えるはずもなかった。
そんな太郞をよそに、閻魔大王は眉間にシワを寄せ室内を見渡した。
壁には深夜アニメやエロゲーのポスターがびっしりと貼られ、本棚にはライトノベルとマンガのみが陳列されている。
ベッドには魔法少女の抱き枕も横たわり、太郞の自室はオタク臭で全開となっていた。
「おまえ、言ってたよな! 人間界のことを勉強するためにもパソコンが必要だって! だから高性能のパソコンを買ってくれって! ああん!?」
閻魔大王はドスを利かせると、岩のような拳をパソコンに叩き落とした。
拳はキーボードにベキベキとめり込み、ディスプレイはプツリと光を失った。
エロゲーもサクサク動く高性能のノートパソコンは、もう二度とその輝きを取り戻すことはない。
「おまけになんだ、この部屋は! いずれは地獄の審判者となる者が、なにを考えておる!」
「す、すみません……」
太郞は肩をすぼめて謝ったものの、本心では反省しているわけではなかった。
警視総監や国会議員、教職者であろうが、エロゲーをプレイすることは罪ではない。
自分は断じて間違ったことなどしてはいないのだ。
そう心の中で正当性を訴える太郞だが、今回ばかりはエロゲーのタイトルがまずかった。
『JK陵辱恋物語2』
どうあがいても、一発アウトである。
すると閻魔大王はイスから立ち上がり、
「この愚か者めが! 一週間、飯抜きだ!」
と怒鳴り声をあげ、太郞のミゾオチにワンパンを叩き込んで部屋を出ていった。
太郞は「うっぷ!」と悶絶し、腹を押さえてうずくまる。
ハンパな力ではない。
普通の人間であれば、体が粉砕されてもおかしくはないパンチ力だ。
「と、父ちゃんは鬼だ……エロゲーぐらいしたっていいだろ……俺だって年ごろの男なんだぞ……」
息も絶え絶え、そう呻き声を漏らす太郞が、自身の年齢は百歳を超えている。
しかし、人間で例えるなら十五歳ぐらいの若さであり、外見もそこらの高校生と変わらない。
閻魔大王を含め、神の格式を持つ太郞はとても長寿なのだ。
そんな太郞は日本のサブカルチャーにどっぷりとはまっていた。
地獄に堕とされた秋葉系の罪人から、それらのことを教えてもらったことが発端だ。
命よりも大切なパソコンを失っては、もうエロゲーをプレイすることもできない。
新しいパソコンを買ってくれなんて、口が裂けても言えなかった。
太郞はやり場のない気持ちを胸に、抱き枕を抱えてしくしくと涙をこぼした。
夜になり寝ようとしたが、腹が空いて眠れない。
だから太郞は父の言いつけを破り、飯にあやかろうとキッチンへ行ってみることにした。
八大地獄と呼ばれる地獄界、そこは八階層で形成されており、最下層に閻魔家族が居を構えている。
首里城にも似た外観の閻魔邸宅ではあるが、生活空間は一般家庭と変わらない。
キッチンに赴くと、シンクの前では母が洗い物をしていた。
閻魔大王の妻、閻魔万寿である。
幸い、閻魔大王の姿は見当たらない。
「母ちゃん……。なんか食い物ないかな……? 俺、腹減っちゃってさ……」
「……………………」
万寿からの返事はない。
後ろ姿で淡々と洗い物を続けている。
そんな母の後ろでまとめられた赤髪からは、火の粉がチラチラと舞っていた。
閻魔大王の妻である万寿の体には、地獄の業火の力が宿っている。
怒っているときなどは、このように髪の毛から火の粉が舞うのだ。
おそらく、閻魔大王からエロゲーのことを聞いたのだろう。
だから母のスキルが発動しているのだ。
太郞は身の危険をひしひしと感じ、忍び足で部屋に戻ろうとした。
しかし――。
「太郞、ちょっと待ちなさい」
エプロン姿の万寿はくるりと振り返る。
見た目は三十代半ば、ほっそりとしたモデル体型だ。
しかし実年齢は妖怪の域に達しており、軽く三百歳は超えている。
そんな母の表情はとことん冷酷で、切れ長の瞳には殺意さえ感じられた。
「な、なんだい……母ちゃん……?」
「太郞、あなたは不謹慎なゲームをしていたそうですね」
「す、すみませんでした……」
「なら罰として、針の山のメンテナンスを命じます。それも一人で」
地獄界名物針の山。
言わずと知れた、罪人を登らせる刑場だ。
そんな針の山ではあるが、定期的に針を研磨する必要がある。
メンテナンスを怠れば、罪人の血で針が錆び付き、貫通力が低下してしまうからだ。
通常は閻魔大王の部下である鬼がそれを担うのだが、鬼が百匹がかりで作業にあたったとしても、途方もない労力を要する。
それを一人でやれと言うのだ。
むろん、今ここでそれを断れば、顔が変形するまでボコボコに殴られる。
ゆえに太郞は、「わかりました……」と渋々返事をし、ひとまずその場をあとにした。
部屋に戻るなり、太郞はTシャツとジーンズに着替えて家出を決意した。
もうこんな家になどいられない。
大切なパソコンを失い、一週間飯抜きで、針の山のメンテナンスなど、拷問にも等しい生活など送れるはずもなかった。
「くっそ! やってられるか! こんな家になんかもういられねー! 針の山のメンテナンス? ざっけんなよ! あんなバカでかい針の山なんかを、一人で磨いてられるかってーの! 針何本あると思ってんだよ! 天文学的本数だろが!」
太郞は怒り心頭にそう吐き捨てた。
実際、針の山の標高は千メートルもあり、ある意味、エベレストよりも危険や山である。
ひとまず太郞は部屋を出ると、閻魔邸宅の地下に位置する、転移の間へ向かった。
転移の間とは、地獄界と人間界を繋ぐワープゾーンのようなものである。
だが、閻魔大王の息子とて、勝手に地獄界を抜け出すことは許されない。
それでも太郞は、参考書を買うと嘘をつき、親からその代金をせしめ、秋葉原に出向いてエッチな本やゲームなどを買っていた。
ゆえに、人間界の事情はバッチリ把握しているのだ。
「ぜってー戻らねーからな! 俺は人間界で一生暮らすんだ!」
太郞は鼻息荒く鉄の両扉をこじ開け、転移の間へ足を踏み入れた。
六畳一間の床には、魔法陣のような五芒星が描かれており、壁には日本地図が貼られている。
五芒星の中からダーツの矢を投げて、刺さった場所に転移できるシステムだ。
もちろん狙うのは秋葉原、家出をするなら、聖地秋葉原しか考えられない。
そして、五芒星の中心に立ち、ダーツを構えたところ――。
「おい太郞? どこに行くんだ?」
ケルベロスが転移の間へやってきた。
ケルベロスとは、頭が三つある冥界の番犬だ。
体躯はヒグマほどの大きさで、肌は黒光りした短い毛で覆われている。
会話もできるし知能も高い。
ギリシャ神話に登場するこの犬を、閻魔大王がどこから連れてきたのかはわからない。
太郞が生まれる前からここにいる。
「人間界に行くのか?」
真ん中の頭が言葉を発した。
冥界の底から絞り出したような野太い声だ。
「ワシも連れて行ってくれ」
右の頭も言葉を発した。
真ん中の頭と声色は変わらない。
「俺も最近、超暇なんだよね。こんな地獄にいるより、やっぱ人間界で遊びたいじゃん?」
左の頭も言葉を発した。
左の頭だけ、声色も口調も若いのが特徴だ。
この三位一体のケルベロスは、いつも閻魔邸宅内をうろつき暇を持て余している。
人間界へ遊びに行きたい気持ちもわかるが、それを許してしまうと、Twitterのトレンド入りは避けられない。
「おまえらみたいな化け物を連れて行くと大騒ぎになるだろ。大人しくここにいろ」
太郞は犬をしつけるようにビシッと指を突き付けた。
すると――。
「太郞、心配するな」
真ん中の頭が言葉を発すると、ケルベロスの体がどんどん縮小し、左右の頭も胴体に引っ込んだ。
そこに現れたのは、愛くるしい子犬の姿だ。
ケルベロスは魔法のような力を有しているので、このような芸当も朝飯前である。
「しかたねーな……。頼むから騒ぎだけは起こすんじゃねーぞ……」
太郞はケルベロスを連れて行くことにした。
さっさと人間界に転移しなければ、両親に見つかって半殺しにされてしまう。
「よし、行くか。聖地秋葉原へ」
太郞はケルベロスを胸に抱きかかえ、ダーツを構えて秋葉原に狙いをつけた。
そして、シュン、とダーツを放ったところ――。
「あッ! やべッ!」
手元が狂ってしまい、ダーツは北海道の真ん中あたりに刺さってしまった。
太郞はあまりダーツが得意ではない。
秋葉原に行くときも、ドンピシャで命中させたことはなかった。
それどころか、真冬の富士山頂に転移してしまったこともある。
「なんで父ちゃんはこんなシステムにしたんだよ……。まあいいや……」
一度ダーツが刺さるとやり直しはきかないので、太郞は北海道を家出先と決めた。
ちなみに、地獄界へ戻るときは、予備のダーツを持参する。
それを地面に突き刺せば、地獄界へ通じる五芒星が現れるのだ。
むろん今回は未来永劫、家へ戻るつもりはないので、予備のダースを持参する必要はない。
ほどなくすると、太郞の体を淡い光が包み込む。
その光が霧散するのと同時、太郞は人間界へ転移した。
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