第0-1話 ご挨拶

━━━━━《美空みそら視点》━━━━━


 中学生時代も最後になりかけたその日、私は久しぶりに仕事から帰って来た父と母に母屋おもやの二十四じょうの広大な和室に呼ばれたのでした。


 部屋の中央に大きな座卓ざたくが置かれ、その向こう側に両親が座っておりました。


 お父さまもお母さまも帰ってきたばかりで、紺色の平服のままでした。


 私は本日、白を基調としたスカート丈の長いワンピースとフリースジャケットを着込んでいました。


 本日は本来ならば平日ですが、振替休日に当たるのでした。


 そして入っていって、用意されている座布団に正座で座りました。



美空みそらお前も、もうぐ十五だ。昔ならもう成人の儀を迎えている頃だ。高校にも無事入れた様だし、アルバイトを認めよう」とお父さまが胡坐あぐらをかき背筋をピンと張った状態で威厳と落ち着きを加えた声で満足したような表情のままおっしゃいました。


 お母さまは少し正座を、崩された様でした。


「但し、アルバイト先はこちらで選ばせてもらう。高校は自分の好きなところに行くと言ったのだから、分っているね」とお父さまが続けて生真面目な顔でおっしゃいます。



「はい、お父さまお母さま、高校は自由に選ばせてもらいましたから。アルバイト先はどちらへ行けばよいのですか?」と私は背筋を伸ばしてしっかりと一言いちげん一句いっく聞きのがさんとする勢いで答えながら聞きます。



検非違使けびいし神戸分署八課こうべぶんしょはちかですよ」とお母さまがうなづくように静かにおっしゃいました。



「検非違使に私のような者が、入っても大丈夫なのでしょうか?」と私は驚いて興奮こうふんしましたが、表情では困惑こんわくをしていましたので聞き直しました。


 それはどちらかといえば実戦経験もない者が、現場に入っても大丈夫なのか? という問いでもあった訳ですが。



先方せんぽうさんも実戦経験が、無いのは分っている。いきなり無茶なところに、入れたりはしないだろう」と私の問いに答えるように、お父さまが朗々とした口調でしかし表情はにこやかにおっしゃいました。


「それにこれは決定事項でもあるのだ」とも同じ口調で続けられました。


「美空、今までお前には厳しく接してきたつもりだ。わざじゅつもこの日のために、教えてある様なものだったのだ。体術も、同年代の子らより優れている筈だ。まずは研修期間があるから、それを終えたら本格的につとめなさい」とお父さまが有無を言わせない語調で少し長めに厳しい表情となってお話しくださいました。



 確かに今まで普通ではない、生活を送って来たような気はしていました。


 皆がやらない朝修練、みそぎ等のしっかりとした本式の作法、術の用法、そして厳しい技の稽古けいこ、短刀や大太刀はじめとする武器の使い方等、武芸一般を稽古で教わって来たのです。


 世間せけん一般のお嬢様じょうさまがおおよそすることではないようなことまで仕込まれましたので、ウチって少し変かなとは思っていたのでした。


 次第に、その稽古にもなれた頃、さらに上を望まれましたが、身体が直ぐに覚え込んでいき馴染なじんだと思ったら、手をかさねて徐々じょじょに強くきたえられました。



 ウチには御爺様おじいさま御婆様おばあさまが普段から居られましたから、朝修練は御爺様監修かんしゅうのもとで、術の稽古は御婆様監修のもとで育てられたのでした。


 お父さまとお母さまは普段から京都に仕事のため詰めていらしたので、主に御爺様と御婆様から稽古を付けてもらっていたのです。



 そのお二人も先々代の近衛このえであったということを聞かされていましたから、修行はかなりきびしいなりに手厚てあついものでした。


 普段はとても優しいお二方でしたが、修行の時と普段の時のメリハリがあって激しく厳しかったのは覚えています。



 この日のためという言葉が深くひびき、まだ未知の世界に踏みこまねばならないと思うと共に少しワクワクしてきました。


 今までの修業の成果せいかがようやくみのるというのも一つあったのだと思います。



 朝の修練から禊までが朝の学校に行く前の時間帯に全て終わらせられ、もう日々の習慣として馴染んでしまっていましたからいまさらめろといわれても気が腑抜ふぬけるだけだと思いました。


「朝と夜の修練はおこなってもいのですよね?」と興奮冷めやらぬ声ですが眉根まゆねを寄せて困惑した表情でたずねてしまうくらいでした。



「それは好きになさい、まだ色々足りないでしょうから、続けるのは良しとしましょう」とお母さまが優しい表情に丸い声でおっしゃいました。


 少し気が楽になりました。



「それとこれを肌身離さずに、持ち歩きなさい。お前の身を守ってくれるであろう、お前が本当に必要なときにしか抜けないとは思うが……」とお父さまが低い声の落ち着いた調子に神妙な面持ちでおっしゃいました。


 そうおっしゃるとお父さまは左手でさやおぼしき部分に手をふところから右手で、一本の平造ひらづくりでむね内反うちぞりのある短刀を刃を下にして抜き出しました。


 彫物ほりものは表に麒麟紋きりんもん、裏に麒麟の姿絵すがたえがありました。


 美しく青くんでうるおいのある地鉄じがねも特徴的でした。


 又にえ本位の直刃すぐはで、地沸じにえは厚く、地景ちけいが一面に現われる鍛えとなっていました。


 そしてそれを懐から新たに左手で抜き出した、金と虹色の細工のある鞘におさめていきます。


“スーッ、キィン”


 という心地よい音が響きました。


「これは金梨子地きんなしじ麒麟もん蒔絵まきえ螺鈿らでん短刀たんとうごしらえというものだ」とお父さまが頼もしい力のこもった声で長い名称をおっしゃいました。


 そしてそれを金糸きんしで麒麟の刺繍ししゅうが入った羽二重はぶたえ紫紺しこん鞘袋さやぶくろに入れて白い正絹しょうけん房紐ふさひもで結び渡してくださいました。


「その短刀は今はまだ抜けないであろうし、所持者本人以外が抜いても刃が付かないという特殊なモノなのでかばんに入れておきなさい。あぁ今はリュックだったか」とお父さまは柔らかな声に変え柔らかな表情でおっしゃいました。


 いったんその鞘袋の中から取り出し、じっくりと見つめました。


 何か不思議な感じがしました。


 誰かにやさしく包まれているような感覚かんかくがありました。


 その黄色の輝きを持つ螺鈿らでん細工ざいくと金細工のほどこされた鞘は、特殊なモノであるとかたっている様なものでした。


 長さは三十センチほどの直刀と思われる刃の収まったふち鯉口こいぐちおぼしき部分に、麒麟きりんの彫り物が入っていて、また柄は白い鮫革ワニガワ出鮫柄だしざめつかとなっていて、目貫めぬきに麒麟紋、かしらには金の麒麟の姿紋様すがたもんよう、そしてこうがいがありそれにも麒麟の姿紋様が描かれていて、鞘を含むこじりまでには螺鈿細工と金細工で麒麟の姿模様もようが入っておりました。


 笄があるということは小柄こづかもあったのですが、お父さまのいう通り今は抜けなかったのでした。


 そして見終わり確認するとふたたび鞘袋の中にしまい込んで、袋の口を折り畳むと見せていただく前に結ばれていた正絹房紐を鱗結うろこむすびの状態に戻しました。


「それとここにサインをしなさい、それで正式にそれはお前の持ち物となる」といってお父さまは朗々たる声で話し、しっかりとした表情で所有者変更届けを出してきました。


 残っているのは名前と電話のところ以外はすべて埋まっており、それに自らのスマートフォンの番号を記しサインをしたため、振り仮名をかきました。



「今日はまだ教育委員会は開いているだろうから、直接渡してくるとしよう。一緒に付いてきなさい」と後ろを向きながら黒の防寒防水のバルマカーンコートを着て低い声でいいました。


 そして車を出す準備を始めたのでした……。


 私も外出着を羽織はおりリュックに御神刀を格納するべく一旦いったん部屋に戻り、白い厚手のダウンロングコートを着込んだのでした、そして御神刀をしまい込むいつも使用している黒地単色で生地の丈夫な防水の三十リットルクラスのミリタリーリュックを出してその中に縦に入るようにして入れてベルトで軽く固定しました。


 そのリュックを右肩にかけると車庫に向かったのでした。


 そして車庫から出て来た、お父さまの運転する黒いステーションワゴンの助手席に車の左側から乗ってシートベルトをしたのでした。


 その際にミリタリーリュックは膝の上に固定しておき、両手でしっかりと抱えました。


……


 無事届け出もおわり正式に持てるようになると、仕事場に連れて行かれるようでした。


「検非違使の神戸分署八課で更に登録がるだろうから、それで使用許可は終わりになるはずだ。少々早いがくとしよう」と低い声と生真面目な顔でおっしゃって三ノ宮方面へ車を向けたのです。


 そして繁華街はんかがいを抜け、南に車を向けるとオフィス街に行ったのでした。


「ここがお前の勤め先になる場所だ」と有無をいわさぬ語調でいうと五階程のビルに車を乗り付け正面の来客用と思われる駐車場に車を止めました。


 そして「先に降りていなさい」と優しい表情の静かな口調でおっしゃいました。


 私は車の左側に何もとまって無いことを確認すると、静かに車の左側ドアを開き先に降りてミリタリーリュックのサイドハンドルを右手で持ち、左手で車のドアを静かに少し強めの力で閉めました。


“ドスン”と上質な音が響きました。


 するとお父さまはいつも通りの作法で、ハンドルを左に切り込まれ車から降りてフルロックをしたあと防犯装置を作動させたのでした。


 そして、「付いてきなさい、先方様に挨拶あいさつに行くから」と低い声の柔らかめな表情でいうと前を歩かれてきました。


 私はお父さまのあとを、ミリタリーリュックを右手でサイドハンドルを保持したまま付いて行きます。


 警備員詰め所でお父さまが課長に会いに来たむねと近衛中将を拝命していることも伝えると、その場にいた警備員全員が直立不動でお父さまに敬礼するような場面もありました。


 また外側は近未来的な北向きのエントランスでしたが、中に入ると内装はブルックリンインテリア調で天井が黒く壁は単色の赤煉瓦レンガではなく少なく見積もっても五種以上の色の煉瓦で綺麗に構成されておりフロアはチェスナットの長くて幅の広い無垢材を綺麗に組み合わせコーティングしているものと思われ、もの凄くオシャレなエントランスとなっていました。


 私の靴は少し特殊なゴム底の靴でしたので、足音はほとんど聞こえないほどクッション性も高かったので素材の厚みなどを知るには向かないと思われたのでした。


 その点お父さまの歩くときにレザーソールが響く“コッコッコッ”というあまりひびいていない音から考慮すると、チェスナットの無垢材と思われるものはかなりの厚みがあるのではないかと推察できました。


 チェスナットの無垢材一枚の幅も、百五十ミリメートルはありそうで長さも半端なく長いものでした、このため厚みも相当なものになると思われたのでした。



 お父さまが屋内おくないに入ってからコートを脱いで折りたたんでから行かれたので私も屋内に入ってからミリタリーリュックをいったん足元に縦置きし、コートを脱ぎ縦半分に折ってから袖を内側に折りたたみそのコートの中ほどを左腕で抱えミリタリーリュックのサイドハンドルを右手で持ち上げるとお父さまのあとに付いて行きました。


 そして私はお父さまの大きな背中について行き、行く先々で同じような所作しょさ真似まねました。


 幅の比較的広く明るい色目で電灯も煌々こうこうと付いている三メートル幅程度でフロアはエントランスと同じチェスナットが敷き詰められており壁もエントランス同様の煉瓦と思われ天井もエントランスと同色の黒い廊下ろうかを歩いて奥に行き、廊下よりも少し広めの幅のほぼ同色の階段を二階ほど上がり三階に進みました。


 エレベーターもありましたが、お父さまは階段を選ばれたのでした。


 そしてまた今度も同じような廊下を歩いて、重厚なダークブラウン系のマホガニー材で作られた両開きの立派な扉の前まで行きました。


「ここか」と低い声でいってドアノッカーでノックを四度するお父さま。


“コンコンコンコン”という綺麗きれいんだ音が響きました。


 そして「どうぞ」と中から年配の男性の低くはっきりとした声が聞こえました。


 お父さまが右側の扉を押し開けて入って行き、それに私も続き入ってからドアを閉めました。


 比較的広いのですが、様々な道具や機材が左右の壁面に置かれた部屋でした。


 幅に比べると奥行きはあまり無いようでした。


 北東側に向いていますが、お父さまの背中の向こう側に大きい窓が並んでいました。


神無月かんなづき 頼綱よりつなと申します。電話で話しただけで突然おとずれてしまい申し訳ない。今日きょうしかいて無かったものですから」とお父さまが一礼しながら真面目な声であやまったのです。


 お父さまが謝る所を見るのは初めてでした。


「こ、近衛の方にそんな頭を下げられるようなことはしてはおりませぬ、どっどうか頭を上げていただきたい。我々の方が、格下の存在なのですから。頼綱様の御息女ごそくじょを我々のところでアルバイトなどとおっしゃられたので、我々の方が耳を疑ったくらいでしたから」とその年配の方が言葉をしぼり出すようにおっしゃいながらあわてて立ち上がった、そんな音がしました。


 椅子が後ろにがる、“カラカラカラカラカラ”という音も聞こえました。


羽柴はしば 淳之介じゅんのすけ様、今日こちらには、娘の美空とご挨拶いたしたく参りました」とお父さまがしっかりした声でおっしゃいました。


「美空ご挨拶だ」とお父さまにうながされて、初めてお父さまの背中から右側に抜け出しお父さまと並びました。


「神無月 美空と申します。受け入れてくださり、とても感謝しております。なにぶん世間せけんにはまだうとところがありますが、よろしくお願いいたします」としっかりとした口調を心がけながら両手を前に回して深々ふかぶかと、お辞儀じぎをしました。


 私の顔にはしょくが表れていました。


 羽柴様は丁度目の前で立ち上がっている、灰色アッシュの髪のかなり年配のしぶみのある格好の良いおじさまでした。


 その方はチャコールグレーと思われるウール地のジャケットをAラインで着こなし薄茶うすちゃ色のあたたかそうなワイシャツにベージュ地でげ茶色系の英国えいこく調ちょうグレンチェックの入ったカシミヤとシルクのブレンド素材そざいと思われるレギュラータイをして、暖かそうなネイビーコーデュロイ生地のズボンをいて、ブラウンとレザーメッシュのコンビネーションのベルトをシンプルな銀色金具で締めておられ、しっかりとした口調で晴れやかな表情に変えておっしゃいました。


「私はここで、八課の課長をしております。羽柴 淳之介と申します、そして私の隣は」と左手の五本の指を揃えて手のひらを上に向け、課長から見て左手に座る方の方向ほうこうに向けました。


 課長にとっては左側でお父さまと私にとっては右側に位置する席に座る、オールバックで髪色もまだ黒い課長より少し若いと思われ、そちらの方もまた渋く格好の良い方だったのです。


 課長とは対照的で明るいベージュ系のウール地ジャケットに、青色のワイシャツを着こなし赤いシルク地のソリッドレギュラータイをしておられる男性から声がかけられました。


加藤かとう 亮二りょうじと申します。副課長をしております」としっかりとした口調のさわやかな笑顔でおっしゃいました。


 そして続けられました。


「失礼ですが、まだ高校生になられてはいないのでは?」と副課長がいだいていたと思われる疑問をおっしゃいました。


「はい、新年度より私立清祥せいしょう高等学校に進学する手筈てはずになっております。アルバイトの許可は学校側より得ていますが、他に何かございますか?」と私はしっかりとした声で答えてから、笑顔で聞きました。


 すると課長は「私立清祥高等学校ですか、御門財閥みかどざいばつの学校ですね」と一段と柔らかい口調に優しい表情でおっしゃいました。


「はいそのとおりです」と私はしっかりと生真面目な顔で答えます。


「問題ありません、御門財閥には顔が効きますので何かあっても大丈夫でしょう」と自信に満ちた快活ないい方で課長がおっしゃいました。



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※この作品はフィクションです実在の人物や団体、

 ブランドなどとは関係ありません。


地景:焼き入れの際に、地鉄に現われる働きの一種です。

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