青い夏へのあこがれを

針本 ねる

第1話

 6月になると、途端に気温が高まってくる。5月はまだブレザーでも我慢できるが、こうも暑いと人間は耐えられなくなるらしい。現にほとんどの生徒は袖をめくって白い手首が露になっている。人によっては体育祭の団扇やポータブル扇風機で風を発生させている。温暖化も相まって、今は風鈴で夏をやり過ごそうなんて思わない。今や学校にもクーラーが常設され、授業でも熱中症対策のため水分をとることも許される時代だ。気持ち程度でぶっ倒れない保証なんてどこにもない。

 北槻高校もそれは同じで、ほとんどの生徒は自由気ままに、しかし校則に収まる範囲内で暑さに対抗していた。大阪の北摂に位置する高校で、近辺では中間ポストあたりの偏差値の府立高校だ。近年ではサッカー部の活躍が話題を呼び、それ目当てで入学する学生も多いらしい。その代わり、登校時間が早かったり課題は多いなど、ほかの高校では見られない特色があるらしい。

 

 君塚翔きみつかしょうも北槻高校の学生だ。三年生を示す緑のスリッパを履き、今3年5組の教室で机に向かっていた。机には、近畿圏の大学のパンフレットや資料が置かれている。正面には担任、サイドには母親というポジションである。

 「○○大学はもう少しで頑張らないといけません。」「△△なら今の力でも大丈夫だと思われます。」自分のことなのに、うわ言のように聞こえた。進路選択は最も重要なのはわかっている。将来どんな人生を歩みたいか、どんな仕事をしたいのか。学歴で測られる現在だ、こと大学受験のミスは人生の分岐点である。そのために高校三年生は必死に上の大学へ進むため、やりたくもない勉強をするのだ。

 興味がないように見えたのか、それとも本人の意見が聞きたかったのか。担任の女教師は翔に質問を投げかけた。

「君槻君。あなたは将来何がしたいですか?もしくはどんな仕事がしたいですか?」

 翔にとってその質問はこの二年間で忌むべきものへと変貌していた。重い石が彼の心に波を立てる。

 何がしたいか、じゃぁないだろう。君には何ができる?のまちがいじゃぁないのか。先生も知ってるだろう?六年間必死に続けてきた剣道がそこそこの成績で幕を閉じた。勉強もそこまでできたものじゃぁなかった。昨年も今年も文化祭実行委員をしているが、自分の指示ではなかなか動いてはくれないし、的確な指示ができるわけでもない。

 つまり、俺には何も持ってないんだよ、先生。サッカーでもそうだ。有名なヤツは努力と才能とを持っているんだよ。それを持っている奴らが、またその上の奴らに挑むんだよ。けれど俺にはそんなメンタルはない。ましてや突出した技能もあるわけでもない。凡人だよ。凡人が、そんな俺に何ができるっていうんだよ。

 だが、そんな言葉を翔は喉の奥に追いやった。奥へ、奥へと押し込んで代わりにある言葉を引っ張り上げる。

「特には…、まだ検討中です。」

 大人たちは彼の言葉に、うんうんと頷き、「そろそろ6月ですし、ご両親と相談されてみてください。たくさん悩んで、自分のしたいことが見つかるといいですね!」と口にした。とても穏やかな声音だった。

 前側の扉を出ると、正面には一組の親子が用意された椅子に並んでいた。どうやら次の懇談の順番待ちらしい。

 じんわり小麦色に焼けた肌と、肩ぐらいまで伸びた黒髪が良く絵になる。少したれた瞳は、彼女の朗らかな印象と相まって優しさのオーラが溢れでている。手には新機種のスマートフォンが握られており、スッと二度三度スクロールしている。

 彼女は堂山春香。同じクラスのテニス部で、明るい雰囲気を常に纏っている少女だ。伸長は翔よりも小さいが、そのぶん彼女のボディラインははっきりとしている。小動物に近いというのだろうか。守ってあげたくなる気持ちを男子たちには持たせるらしい。

 春香は携帯から目を離し翔と目が合う。視線を交わすとニコッと笑顔になり意気揚々と立ち上がる。ふわっと甘い香りが彼女から漂う。

「君塚やん!ウチの前、あんたやったんか。知らんかったわ。」

 少しハスキーな声が耳に運ばれる。丁寧な関西弁である。

「まぁな。ていうか、ちゃんと見てへんかったんかい。」

「当たり前やん。誰も前の人なんかきにせーへんやろ?」

まぁ確かにな、と翔ははにかむ。背後では「堂山さん、次どうぞー」と催促している。あぁ、先生もう少しだけ話させてくれよ…。

 しかし、翔の願いも虚しく彼女は自分の脇を通り過ぎてしまう。彼女の柔軟剤の香りが強くきく。フローランスの少女は顔だけ振り返り小さくつぶやく。

「じゃぁな、君塚。また明日な!」

 あぁ、と応えて君塚親子は教室を出る。そのあと、母親から彼女のことを根掘り葉掘り聞かれたのは言うまでもない。

 

 

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