第60話 着ぐるみ士、群れの長になる

 その後、冒険者の召集の為に冒険者ギルドに向かったシグヴァルドと別れた俺たちは、ギュードリンの私室にて『群れの長』として認められるための手続きをしていた。

 ウルフ姿になって、ギュードリンの足元に前脚を揃えて頭を伏せた俺の額に右手で触れながら、彼女は必要な宣言を行う。


なんじは我が子、汝は汝が王。汝、汝の群れをべるおさなれば、汝の群れを率いるにあたう」


 静かな声で宣言の文句を発したギュードリンの右手が、そっと俺の額を押した。そうしてから顔を上げた彼女が、さっさといつもの調子に戻る。


「はい、オッケー」

「これで……俺は名実ともに魔狼王フェンリルに?」


 前脚を持ち上げたり鼻先を上げて背中を見たりしながら、俺はしばらくきょろきょろと自分の身体を確認しつつ言った。

 正直、宣言をされる前と後で、何かが変わった感じはない。特に身体の模様が増えたりしてもいなかったし、毛の色もいつも通りだ。


「そうさ。これで誰に遠慮することも無く、君は『フェンリル』を名乗ることが出来る。私やルングマールに気を遣うことも無いさ」


 何とも所在なさげな様子で口を開く俺に、ギュードリンがからからと笑って俺の肩を叩いた。もっふもふの体毛に彼女の右手がぼふっと埋もれる。

 彼女の言葉に、首を傾げながら俺は眉間にしわを寄せた。


「……別に、ステータスの体感的に何かが変わったという感じも無いですけど」


 俺の言葉に、ギュードリンが小さく口角を持ち上げる。俺の肩をさわさわと撫でながら、彼女は言った。


「これはジュリオ君が人間寄り・・・・だからしょうがない。第十位階を使うにあたって、魔狼転身を使わないといけない制限は外せなかったからね。上がりきっているところまで上がっている状況さ」


 そう言いながら俺を撫でるギュードリンを見下ろして、目を見開く俺だ。

 確かに俺は未だに、精神的には自分を人間だと思っているし、ギルドの魔物出現ボードで魔物扱いされている以外は人間の範疇はんちゅうだと思っている。しかしこうして自由にウルフの姿を取れるし、意識して隠さなければ頭の耳と尻尾は出っぱなしだ。

 これで「お前は人間寄りだ」と言われるというのも、何となく収まりが悪い。


「人間寄り、ですか」

「こやつは何度か魔狼転身を用い、その度に純粋なウルフになっているかと思います。冒険者ギルドのボードでも魔物扱いですが、まだ人間の範疇はんちゅうに含めていいのですか?」


 そう聞き返す俺の脚元をうろつきながら、小獣転身したままのアンブロースがギュードリンの顔を見上げて問いかける。ギュードリンはアンブロースに視線を落としながら、小さくうなずいた。


「うん。魔狼転身はウルフとしての全力を発揮するために使うスキルだから、そのスキルを使う時はジュリオ君も完全なウルフになるし、使った後しばらくは魔物から戻れなくなるけれど、普段は……まぁ半人間メッゾ・ウマーノに片足突っ込んだ状況かな」

「あぁ……なるほど」


 その言葉を聞いて、どこか腑に落ちた表情をした俺だ。

 人間と魔物の混血だったり、後天的に魔物の血肉を取り込んだりすることで、魔物の特徴を持った人間を半人間メッゾ・ウマーノ、一般的には「メッゾ」と呼ぶ。中には完全に獣人ファーヒューマンと同じ姿の者もいるが、人間社会で生きるための分別は備えているし、ほとんどが共通文字や人間語を喋れるから、扱いとしては人間だ。

 確かに俺はルングマールによって魔狼王フェンリルの力を分け与えられている元人間。血肉を貰ったわけではないが、半人間メッゾ扱いも納得だ。

 人化転身をして人間の姿に戻りながら、小さく肩をすくめる。


半人間メッゾでいいなら、俺はまだ人間で大丈夫ですね」

「そうなんだー、よく分かんなーい」

「リーアは分からなくてもさして問題は無いであろうよ、その辺りの人間の仕組みは難しい」


 俺とギュードリンを見て首をかしげるリーアに、声をかけながらアンブロースが脚を叩く。屈み込んだリーアの手と肩を経由して、彼女が再び俺の方に乗った。

 確かにリーアはまだまだ幼い、人間の社会の仕組みを知らなくても無理はないのだ。

 と、ノックの音がする。全員でそちらに目を向けると、シグヴァルドが扉を開けて入ってきた。


「お母様」

「ん、どうだった」


 短く声をかけてくるシグヴァルドに、ギュードリンが問いかける。先程まで俺と彼らは話し合って、どれだけの戦力が必要なのかを相談していた。その上でこれは必要だというパーティーを選別してもらい、シグヴァルドの名義で招集をかけてもらってきたのだ。

 手元の資料に目を落としながら、シグヴァルドが話し始める。


「先んじて依頼を出していた『砂色の兎コニーリョサビア』の他、『雪中の狐ヴォルペネーヴェ』、『岩石の翼アリディロッキア』にも召集をかけました。『眠る蓮華ロートドルミーレ』と『土中の竜タルパ』も指名いたしましたが、あちらは現在アンブロシーニとブラマーニで活動中とのこと。今回は難しいでしょう」

「そうか。まぁ、私が『界』を開いて迎えに行くわけにもいかないしね。居場所が掴めないし、何しろ目立っちまう」


 シグヴァルドの報告を受けて、腕を組みながらギュードリンがうなずいた。ギュードリン自治区のギルドに所属するSランクパーティーが三組、そして俺たち。後虎院の一人を相手取る戦力としては十分だろう。

 だが、正直もう数名の人員がいた方が安心できるのも事実だ。加えてギュードリンが早々に追加招集を諦めたことに、リーアが首をかしげる。


「ダメなの?」

「えーと……『眠る蓮華ロートドルミーレ』も『土中の竜タルパ』も確かSランクパーティーですよね、援軍として呼び寄せられれば心強いと思うんですが……」


 俺もシグヴァルドの手元の資料を覗き込みながら口を開いた。

 別に今回招集できた三パーティーが、自治区の中にいたというわけではない。ただいずれのパーティーも、ホッジ公国とかタルクィーニ宗主国とか、自治区の近くの国にいるがゆえに集まれた、というだけだ。

 確かにアンブロシーニ帝国やブラマーニ王国からギュードリン自治区までは、かなりの距離がある。どんな魔物でも移動に二日三日はかかるだろう。だが、ギュードリンの『界』があればなんとでもなるはずだ。

 そんな言外の意図を込めて視線を向けるも、彼女はゆるゆると首を振る。


「私が『移動の界』を使うにしても、相手がどこにいるか分からなかったら意味が無いんだよ。アルヴァロは基本的にバンニステール村から動かないからいいけれど、一般の冒険者はあちこち移動する。特定の場所に呼び寄せて『界』を開くにしても、一日二日じゃ到底無理だ」


 その言葉を聞いて誰もが小さく息を吐いた。

 確かに彼女の『移動の界』は、場所を決めて開かないとならない。あちこち移動する冒険者を『界』を開いた場所に呼び寄せるのにも時間がかかるのだ。

 さらにシグヴァルドが、難しい表情をしながら口を開く。


「加えてお母様がこの自治区を離れれば、確実にアルビダが気付きます。お母様不在の折に後虎院が直接攻め込んでくる、という事態が起これば批判は必至です。なるべくお母様には自治区の中にいていただき、しかし御出にならないで・・・・・・・・いただきたい・・・・・・


 シグヴァルドの発言に、目を見開くのは俺たちだ。

 ギュードリンが直接出ていけば間違いなく、アルビダなど簡単に倒せるだろう。だが、ギュードリンがたとえ前線に出なかったとして、自治区の中にはシグヴァルドを始め、びっくりするくらい強力な魔物がわんさといるのだ。それこそ、アルビダに勝ち目はない。


「ギュードリンさんがいなくても、自治区の魔物が束になれば問題ない、とは思うんですけど」


 不思議に思いながら俺が口を開くと、シグヴァルドは大きくうなずいた。うなずきながらも、彼は淡々と話す。


「ええ。実際にこの後もお母様がお出になることはないでしょう。ですが、お母様や自治区の一般の魔物が打って出てしまっては、『元魔王と現魔王の対立』という図式が決定的になる。それは人魔共存に好意的な魔物にとってもよくない」


 シグヴァルドの言葉に、俺はハッとしながら目を見開いた。

 彼の言葉ももっともだ。ギュードリンは公然と人間の側に立っているとはいえ、ギュードリン対イデオンという図式が大っぴらに出来上がった時、標的になるのはギュードリン自身でも自治区の魔物でもなく、自治区の外にいるギュードリンに味方する魔物たちだ。

 既にホーデリフェのいるザントナーイ峡谷にも、ルングマールの本拠地オルネラ山にも手が伸びている現状だ。俺の「嫌な予感」が現実のものにならないとも限らない。

 そんな俺に、シグヴァルドがそっと頭を下げてきた。


「ですのでジュリオ殿含め、現役冒険者と現魔王の対立という図式を作るのです。ご承知いただきたい」


 ギュードリン自治区のトップに立つ存在として、冒険者の俺に頭を下げてくるシグヴァルド。彼に困ったように笑みを返しながら、俺は言葉を返した。


「政治って、大変ですね。俺が言うのもなんですけど」

「お心遣い痛み入ります」


 実に高度な政治的駆け引きだ。シグヴァルドの心労たるや凄まじいだろう。配慮する俺に、もう一度彼は頭を下げてきた。

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