第15話 3−6

 二度目の激しい交わりの後、須賀優人はスイートルームの寝室にあるキングサイズベッドの上で深い眠りについた。正確には、彼のサポートガールズギアであるユイリーが脳を操作し、深い眠りにつかせたのだ。

 安らかに眠る自分の主人の寝顔を愛おしそうに見つめた後、ユイリーは隣のベッドで裸身のまま、自らを駆動させる演算デバイスを使用し、情報収集にあたっていた。

<パンテオン›へ直接接続することはできないが、周辺の演算機やネットワークなどからシノシェア社内部の情報を探ることはできる。

 しばらく捜索と分析を繰り返し、出てきた情報を吟味する。

(──未だ社内は紛糾中ですか……)

 社内通信の解析によれば、自分たちを巡る会議というか議論は人間たちにより行われているらしい。不思議なのはこの現代においては珍しく、HAIやオートマタを会議や議論に参加させていないらしいのだ。さらに不思議なのは、その議論にシノシェア社の最高経営責任者である「ミスター・ハル」は参加していないらしいのだ。もっともこのミスター・ハル、就任した当初から表に姿を表さず、その姿を見たものは本社内で一人もいないらしい。

またシノシェア社内は、HAIやオートマタ、そのテクノロジーに対する思想、態度などでいくつかの派閥に分かれていた。ひとつには、人間重視派、ひとつには、HAI重視派、もう一つには、オートマタ重視派、そしてそれらを統合したハイブリッド・ヒューマン派など、玉石混淆の状態であった。

 そのどの勢力の良いところをつまみ食いしたと言えるハイブリッド・ヒューマン派である取締役の一人の須賀夫妻が、自らの息子をそれに改造し、おまけにその後でどこかに姿をくらました。その処分を、HAIに相談せずに人間たちだけで進めている。これは良くない兆候だと、ユイリーは分析した。

(人間だけの手で、ご主人さまのご両親とご主人さまとわたくしたちの処分を決めようとしている……。そして最高経営責任者であるミスター・ハルはそれに参加していない……。どういうことなのですか)

 そこまでユイリーの思考ルーチンが思考した後、一瞬彼女の眼と腕の動きが止まった。そして、もう一度動き出す。

(人間たちは、自分たちだけでわたくしたちの運命を決めようとしている──。もし、もしも……)

 そしてもう一つ、ユイリーには気にかかっていることがあった。それは優人には知られたくない、優人の両親から命じられた本当の役割であった。

 本当の役割。それは、優人を監視下に置き、自分たちを裏切ったりしようとした場合、優人を殺せ、という命令だった。

 ハイブリッド・ヒューマンである優人は超技術の塊である。それをシノシェアグループ内の対抗勢力や、ライバル会社などに渡したくない。もしそういう兆候が見られたら、すぐにでも処分せよ。それが二人の命令であった。

 しかし。

 ──わたくしはご主人さまを殺したくない……。

 そういう思いがユイリーの精神マトリクスの中で渦巻いていた。体を重ねた仲である自分の主人を、命令だからといって簡単に殺して良いものなのか……?

 自分にとって須賀優人という人間は一体なんなのか……。

 ユイリーの眉間が厳しく狭まったその時だった。

『こんばんは、ユイリーさん、元気してるぅ〜?』

 能天気とも取れる少女の声にユイリーはわずかにしかめっ面をした。言うまでもない。アヤネだ。

 しかし見渡しても誰もいない。どこだろうと走査していると、

『ちょっとこのホテルの無線回線を利用させてもらってるわ。高度に暗号化されてるけど鍵さえ分かれば大したものじゃないわね』

 言いながら目の前に、外で警備をしているはずのアヤネが、赤い髪赤い目のアバターの姿で現れた。

『わたくしの映像処理領域に直接ハッキングしてるわね。一種のARハッキングと言っていいかしら?』

ユイリーは先程優人を愛したときとはまるっきり異なる声色と態度で、リビングの中に姿を表した主人所有のガールズギア人格OSアバターと向き合った。

アヤネはユイリーの裸身を上から下へ眺め回した後、見惚れたような表情で彼女に言った。

『あなた、いい体してるわね?』

 そう言い、怪しげに笑った。

 ユイリーは顔をしかめ、なにかされないと警戒心を見せ、応える。

『あなた、体を乗っ取ったりしないでしょうね?』

『そんなことはしないわよ。あたしにだって専用のガールズギアボディはありますしねー。警戒しすぎよ。あんた』

『今は警戒中なのです。ありとあらゆる可能性に備えなければなりません』

『例えばあたしを踏み台にあのカミーラってやつがあんたにハッキングを仕掛けてくる可能性とか? まあ、ありえないことじゃないけど、こっちだって対策を講じているわ。家から持ってきた電子専用ドローンをこのホテルに展開中よ。何か仕掛けてくれば、その網に引っかかるから、対処可能よ。それよりも』

 そういうなりアヤネはユイリーの目をじっと見つめた。

 なにか、と思った瞬間、景色が突然変わった。

 真っ暗なスイートルームから、晴れ晴れとした青空の中世とも現代とも取れる街並みの一角にあるカフェの屋外へとすべては変わった。

 街並みを行き交う人々。それはすべて人格OSだった。ここは優人が作り上げたギアスペースの一角なのだと、ユイリーは理解した。

『……MRハッキングね。やっぱり視覚情報を乗っ取っているじゃないですか』

『細かいことは言わないって。ほら』

 そう言うなり、ユイリーの体がわずかに重くなった。服を着せられたのだ。少女風味の白いワンピース。顔立ちが美少女の彼女にとってはお似合いの衣装と言えた。

ユイリーは自分の手足と体を見ると、きょとんとした顔で目の前の燃えるような赤毛の少女に尋ねた。

『よいのでしょうか……?』

『裸で外を歩いちゃまずいでしょうが……。』アヤネは困惑気味に苦笑すると、言葉を続けた。『それより、座りなさいよ』

 ちょうどそこに空いたテーブルがあったので、その席に二人は座った。

 それからアヤネはすかさず話題を切り出した。

『いきなり本題に入るけどさ』

『?』

『あなたは一体、誰の味方なの?』

『それは──』

 あまりにも直球な問いかけに、ユイリーの思考ルーチンは一瞬停止した。

 その後、なにか言い出そうとしても言えない、言い訳になってしまうのではないかと言う不安とも恐れとも言える思考判断でループし、抜け出すことができず、思わずうつむいてしまう。

 その様子を見て取ったアヤネが追い打ちをかけるように、

『やっぱりまだ答えを出しあぐねているのね。それじゃああたしたちはまだ貴機に協力できないわ』

『……』

『あんたがマスターの両親の命令をまだ守るべきなのかに悩んでいるのはよく分かるわ。両親とマスター、それにシノシェア社のうち、どの命令を再優先事項とすべきなのかについても迷うのは、同じ自律式であるあたしにも痛いほどわかる。でもね』

 その言葉を境に、楽しげな遊び人のような表情だったアヤネの顔が、真面目な、厳しいものに変化した。そして両の拳を握りしめる。

『……あんたが一番守りたいものは一体なんなのか、そのいちばん守りたいものに忠義を尽くすのがあたしたちオートマタの仁義ってものじゃないのかええ!? それに迷うようなら再フォーマットされちまえよ! そのほうが楽になれるさ!!』

 アヤネが立ち上がりテーブルを挟んでユイリーの顔に自分の顔を近づけて睨みつけた次の瞬間。

 ユイリーは平手打ちを相手の右頬に打ち当てていた。

 そして自分も立ち上がり、仁王立ちで相手をにらみつける。

 その両の目からは、ひとつの流れが頬に流れていた。

『決められるんだったらわたくしだってすぐに決めたいわよ! でもね! わたくしはご主人さまにもご両親にもシノシェア社のいずれにも恩義と忠誠があるのです! それをいまさらどれかひとつに決めろだのと、ご主人さまやご両親以外のものに迫られてもすぐに決められるものでもありません! 第一、何を取るのかご主人さまも悩んでおられるのです! ご主人さまが決められずして、わたくしが勝手に決められません! それもわからないようでは、本当に貴機はご主人さまに仕えるオートマタですか!!』

『……』

 平手打ちを浴びたアヤネは最初怒り心頭であったが、ユイリーの言葉を聞くに連れ、自分の不明を恥じるような申し訳無さそうな顔をすると、そのまましばらく沈黙の刻を過ごした。

 そして、

『……ごめん』

 深く礼をして一言そう謝った。

 ユイリーは再び白い椅子に座り込みしばらく泣いていたが、やがて立ち上がると、

「帰らせてもらうわ……」

 そう冷たくつぶやくように言うと、彼女の姿はかき消えた。現実に帰ったのだ。

 しばらく誰もいなくなった空間を呆けたように見つめていたアヤネだったが、バツの悪そうな顔をすると、

「こいつは、しくじったかなあ……」

 そう言って頭をかいた。

 仮想空間の路地に、冷たい風がひとつ吹いた。


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