ガールズギア/ハイブリッドヒューマン

あいざわゆう

第1話 1−1

何も見えない暗闇の中、須賀優人の唇に、柔らかい何かが触れ、それで彼は気がついた。

 ……?

 その瞬間、なぜか眼の前を白い文字でオートマタの起動シークエンスのような文字列が暗闇の中を大量にスクロールしていく。

 その白文字の奔流が止まると同時に、彼の目は静かに開かれた。

 ……ここは?

 と思うと同時に、背中にいつもの感触を感じる。

 ──ここは、俺の部屋か……。

 理解すると同時に、視力がゆっくり戻っていく。

 しかし暗い。何かが上にあるようだ。

 更に視力が戻っていく。そこでそれがなにかはっきりとした。女の顔だ。少女の、顔。優人はその顔に見覚えがあった。

「……ユイリー?」

 優人が夏休み等にアメリカの両親の家へでかけたときに世話をしている、美少女型オートマタ──自動人形、あるいはアンドロイドとも別称される存在の、通称ガールズギアだ──のユイリーだ。そういえば、さっきの柔らかいなにかに記憶があった。

 ──ユイリーの唇か……。なら、さっきはユイリーがキスしたのか。しかし。

 優人はそこで訝しんだ。アメリカの家にいるはずのユイリーがなぜ日本の家にいるのか。そして、自分は夏休みになったのでアメリカの家にでかけたのになぜ日本の家にいるのか≥?

 そうしている間にも、影は遠くなり、代わりに白いものが目の前に広がっていく。見覚えがあった。

 ──天井か。やっぱりここは俺の部屋なんだな。なら、やはりなぜ俺はここにいる?

 そう思いながら優人は起き上がろうとした。ここで別の違和感に気がついた。

 手足、いや、身体自体がなぜか大きくなっていて、動かしづらいのだ。その動かしづらさと、身体自体に痛みが走り、どうにも動かない。

 半ば起き上がったところで、

「大丈夫ですか、ご主人さま?」

 言いながらユイリーが手を差し出し、優人の体を支えた。オートマタなのに、温かみを感じた。最新鋭のオートマタは保湿式の人工肌だし、さらに複合式による温度調節機構などもあるので、人間のように肌は温かいし汗もかくのだ。

「大丈夫だよ、ユイリー」

 言いながら優人はユイリーの顔を見た。

 銀色のサラサラとした長い髪、人間とそっくりなきめ細かい肌、美しいカーブを描いた輪郭の顔に、紫色のアーモンド状の双瞳、形良い鼻と耳、笑うと大きく開く口、赤い紅の唇が手既設な位置に配置された、美少女という他にない顔立ちの少女──の姿をした機械人形であった。

 彼女はガールズギア素体の姿である、銀と白をベースに、青のラインが入ったハイネックのレオタードを身にまとい、手足には銀色の長手袋とハイソックスを身につけ、体のあちこちに人間との識別用のセンサーギアやハードポイントなどを装備している。そう言う風に取り決められているのだ。

 しかし優人には単なるアンドロイドには思えなかった。オートマタ《自動人形》、いや、ガールズギアは彼にとってそれ以上のものなのだ。

「……ユイリー、現在の日にちと時刻は」

「八月十五日午後二時三十三分です」

「八月十五日だって?」

 優人は思わず大きな声をあげた。

 優人は夏休みに入った直後の七月下旬、両親が勤めるオートマタ企業「シノシェア」本社があるアメリカへ遊びに行く前日までの記憶はあるのだ。しかいs,出発当日以降の記憶はなく、気がついたら八月になっていてしかも日本の自宅にいる。

 わけがわからない。

 優人はその端正な顔をしかめるとユイリーに詰めよった。そこで気がつく。着ているものは家にあるパジャマだ。しかし、体が大きくなっているのでキツめになっている。

 詰め寄って体を動かすと、全身に痛みが走る。思わず軽く声を上げる。

「ご主人さま、まだ体がフィットしてませんので……。歯に差し歯やブリッジをしたような違和感や痛みがありますが、しばらくは我慢してください。直に慣れます」

「フィットしてないだって?」

優人は更に顔をしかめる。

「何だその言い方、まるで俺が義体化でもしたような……」

 そうユイリーに言いかけて、なにかに気がつき、その後の言葉を止めた。

 窓は開いていないはずなのに、部屋に冷たい一陣の風が吹き抜けたような気がした。

 まさか。

 ──記憶がないってことは、もしかして。

 息を呑む。胸の奥から、心臓の音に似て異なる、何かが鳴り響いているような気がした。

 恐る恐る、いや、探偵が真実を犯人に確かめるようなゆっくりとした声で、ユイリーに尋ねる。

「ユイリー、俺がここを出発してから、何があった?」

 ユイリーはすぐに答えるかと思った。

 しかし、一瞬の間があった。まるで、人間が言いたくないことを答えるかどうか迷っているような沈黙があった。データベースなどを検索、整理しているのかもしれなかった。しかしそれだけではない、人間に近い感情があるのではないかという何かが、その間にはあった。

 いくばくかの間のあと、ユイリーは赤い唇を開いた。

 そして、彼女は告げた。

「ご主人さまはアメリカに旅立たれました。しかし、乗っていた飛行機がロスアンジェルスに到着寸前、事故に遭われたのです」

「事故、だって?」

「はい。その事故で飛行機は墜落。多数の死傷者が出ました。その事故でご主人さまは一命をとりとめました。しかし、瀕死の重体だったのです。そこで」

 ユイリーは意図的に間を開けた。自分が航空機事故に遭って死にかけたというのも衝撃的だが、さらに何があるというのか。

 喉をゴクリと飲む。

 その行為を意図的に無視するかのように、ユイリーはオートマタらしい無表情でサラリと言葉を続けた。

「ご主人さまのご両親を中心とするチームが、ご主人さまの体に義体化処置手術を施しました」

「やは、り……」

 優人の父遵一と優人の母キャサリンはオートマタメーカー、シノシェア社の取締役で、オートマタやガールズギア開発の最先端を行く技術者でもあり、さらに人体義体化・電脳化技術のオーソリティでもあった。だから、死にかけ息子の体を義体化して生きながらえさせるというのは理にかなっているのだが……。

 ちなみに、シノシェア社の創立者はゲイリー・P・K・アーネソンといい、オートマタとHAIの発展に大きな影響を与えた狂……いや、天才技術者なのだが、ある時突然公から姿を消し、その後どうなったのかは今でもわからない。

 それはともかく。

「俺が、義体化……」

 優人はそれだけ喉の奥から言葉を絞り出すと、そのまま黙り込んでしまった。

 ユイリーがつけてくれたのだろう。エアコンの駆動音だけが、静かに部屋を満たしていた。

 その静寂を破り、ユイリーは自然な合成音声で言葉を続ける。

「ご主人さまに施された義体化手術は単なる義体化ではありません。ご主人さまは脳の大部分をオートマタ用の超高性能量子脳に置き換えた、人間とオートマタとの間の子、いわば『ハイブリッド・ヒューマン』となられたのです。実はそのことで、お話があります」

 言い終わると同時に、どこからともなくビーブ音が聞こえ、優人の視界のあちこちに今はホログラムでスマホやタブレットでも空中に表示可能なウィンドウがいくつも表示される。

 それを視線で追うと、現在の時刻や優人の身体情報などが表示されていた。それらの情報を熟読してみると、間違いなかった。自分は、義体化されており、同時に脳の一部も人間のものでは無くなっていること。それは明らかであった。

 優人がそれらのことについて口を開こうとしたときであった。

「優人、帰ってきていたの!?」

 勢いよく部屋の扉が開かれ、元気のいい猫のような声とともに、白いワンピース服姿の少女が飛び込んできた。

 そして、部屋の中に一歩入るなり、急に足を止め、体を凍りつかせる。

 それから、猫のように大きな二つの眼を見開き、猫が威嚇するように叫んだ。

「優人―っ!? あんたガールズギアと何してんのよーっ!?」

 優人は誰が来たのかを知ると、

「まずいのが来た……!」

 と顔をしかめた。

 猫の耳のように頭の上左右で長い黒髪をまとめた少女はさらに怒りの色を深めると、

「まずいのが来たってなによ!? あんたこそ、まずいことしてるんじゃないのっ!? 風俗用のガールズギア呼んでいけないことしようとしてたわね! さあっ、白状しなさい!!」

 そう叫びながら優人とユイリーの間に割って入り、優人に詰め寄る。その顔は修羅場の猫のような顔であった。

「ミャーコ、そうじゃないってば……」

 名前を呼ばれたミャーコは顔をさらに真赤にすると優人の耳元で叫んだ。

「ミャーコって呼ぶなあ!! あたしの名前は猫山美也子! ミャーコじゃないわよ!!」

「猫山だしミャーコじゃないか……」

「うっさい!!」

 耳元で大きく叫ばれるが、自動的に耳の集音ボリュームが絞られてミャーコの罵声が小さく聞こえる。そういう意味では義体化に感謝しながら優人は弁明する。

「違う、違うんだってばミャーコ!」

「何が違うのよ!!」

 ミャーコが優人の襟首を掴み激しく揺さぶったときである。

「あの……、美也子さん、本当でございます。ご主人さまとはそういう商売の関係ではありません。わたくしは、ご主人さまのご両親が住まわれているアメリカの家でご主人さまのお世話をしていた、自律式カスタムガールズギアユイリーと申します」

 ユイリーが二人の間に割って入り、そう説明した。

 その声は忠誠心あふれる侍女の声であり、また彼女の声でもあった。

「え、そうなの?」

 ユイリーの説明に美也子が目を丸くして、優人の襟首を放す。

 義体化なのでその必要はないのだが、人間だったときの癖で思わず咳き込みながら、

「けほっけほっ、だから違うんだよ……。彼女は俺の世話役のガールズギア、ユイリーだよ。風俗用ガールズギアじゃないってば」

「そ、そうなんだ……。ごめん……」

美也子は申し訳無さそうな顔で誤ると優人のもとから離れた。

ユイリーが先程優人に説明したことを手短に説明すると、

「飛行機事故で助かって向こうで療養中って聞いていたけど、今日家を見てみたら帰ってきているっぽいくているのかなーって思って……」

 と安心したような残念だったような顔で胸をなでおろした。

 無い胸である。

 それはともかく。

 優人はおめー、さっき誤解してあれこれやってくれたよなと内心思いながらそれをおくびにも出さず、

「ユイリー、さっき話があるって言っていたよな? それってなんだ?」

 そう問いかけた。

 ユイリーは一つうなずくと、

「お客様もいらしましたし、場所を変えて話しましょう。リビングにでも」

 そう言って優人の体を支えると、立ち上がらせた。

「あ、ああ」

 優人は応えながら木製の床へと足をおろし、立ち上がる。

 体が大きくなった違和感と、体の節々に感じる痛みに歩きづらさを感じながら、

(話って、なんだ? そもそも、ハイブリッド・ヒューマンってなんなんだ?)

 そう訝しがるのであった。

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