二唱 契約の〈真義〉を受け継ぎし、ユレンシェーナの民

「フリア、ブライヤーが言ってた堕ちる覚悟って……」

「反転する覚悟、という意味でしょうね」


 抑揚のない声でフリアが呟いた。


「私はトーリさんと違って、法石の力なしに魔法が使えます。戒魔士、つまり、オルドヌング族の血を引いてますから。だから、〈イドの解錠〉を起こした王子と同じように、自分の利益のために誰かを害することがあれば、その力は災いと化す……」


 フリアが自分の手の平を見つめた。


「でも、フリアだって魔法でブライヤーを攻撃したじゃないか」

「あれは攻撃したのではなくトーリさんを守っただけです。ブライヤーさんを取り押さえることはできても、最初から攻撃するという意志で何かをするのは……ましてや、相手は反転した戒魔士ですし」

「その、反転するっていっても、具体的にどうしたらそうなるの……?」

「他者を、魔法の力で殺める」


 フリアは泣いても笑ってもいない無表情だった。


「人殺しになればいいということです」

「そんなのだめだ!」


 反射的にトーリは叫んだ。


「何か…他に……そんなことをしなくたって──」


 世迷い言のように言いながら、妙案は一つも思い浮かばない。

 フリアの瞳に、ふと理知がひらめいた。


「……〈回帰〉」

「え?」

「全ての魔法の力を無に還す特殊な力です。その秘技を受け継いだアファナシエフ家は今はもうこの大陸にはいませんが、本家なら何か情報があるかもしれません」

「本家って、でもオルドヌング王族は貴族連盟に管理されてるんだろ。そう簡単に会えるとは思えないし、会えたとしても、メルクマールさんの時と同じで三か月後とかそんな感じになるんじゃないの?」

「そこはわたしがいれば大丈夫だと思います」

「大丈夫?」


 こてんと首を傾げれば、フリアが、あ、と失言をしたように口元を抑えた。


「ええと、だから……その、……えっと、今更なような気もするのですが、……トーリさん、驚かないで聞いてくださいね?」

「うん。……うん?」

「今からわたしが言うことを、驚かないで聞いてくださいね、という意味です」

「うん。あ、いやちょっと待って」


 考えもせずうなずいてから、トーリは驚かないよう心の準備をした。何を準備したのかわからなかったが。

 と、木々の間、いきなりひょっこりと現れた。


「告白はもっと雰囲気のいいところにやることをおすすめするよ」


 短く刈り込んだ髪。清潔で穏やかな目に強い意志を感じる瞳。まさしく海上都市ヴェール・ド・マーレの領主その人に。


「な、ああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 フリアと一緒になって後ずさりしながら、トーリは目をむいて叫んだ。

 本人?偽物?とっさに疑問が浮かぶぐらいには、この場にいるのが似つかわしい人物だ。

 だがしかし、メルクマールの両脇、物々しい甲冑を思わせる男二人が目に入った。叫んだトーリの頭を今にもかち割りそうな凄絶な睨みに、本物だ、と震え上がる。


「ああ、すまないね。驚かしてしまったようだ」

「ん、なぁ……」


 開いた口が塞がらないとはまさにこのことで、トーリは立ち尽くす。


「奇遇だね」

「奇遇というには無理があると思います!」

「そうか。では大人しく君たちをつけてきたということを暴露しよう」

「え」

「ああ、話を遮ってしまってすまない。フリア君は、オルドヌング王室に連なるユレンシェーナ家の者だよ。そう言いたかったんだろう?」

「へ?」


 トーリの口からすっとんきょうな声が上がる。

 フリアの瞳がこれ以上にないぐらい見開かれた。


「で、も……、オルドヌング族は白い髪に赤い瞳で――!」


 ぐるぐると混乱して頭の整理が追い付かない中、かろうじて口にできたのはそれだった。

 続々と集まってきたメルクマールの警護と思しき男たちに囲まれるも、それどころではない。

 メルクマールがここに現れた経緯とか、彼がなぜフリアの正体を知っているのかとか、何もかもをすっ飛ばして一気に混乱に陥る。

 かつて、オルドヌング族の王子は魔法の力で人を殺めた。

 人のため世のため誰かのためなら奇跡すら起こす魔法の力は反転し、破壊のための災いの力へと反転した。

 王子は力を制御できずに暴走し、多くの死者を出した。人々はその殺戮を〈イドの解錠〉と呼び、忌み嫌った。

 その結果なのか、オルドヌング族は身に宿した災いの力で身体の色素すら破壊してしまったのだという。

 髪の毛は老人でもないのに骨のような白、瞳は血の色を映した赤。それがオルドヌング族の特徴だ。不吉で呪われた一族。


「それは王子の直系に連なる者の特徴だね。密接に関わり合いのあるユレンシェーナ家とマキラ家は影響を受けて、瞳や髪の色素が破壊されている者もいるけど、他は私たちと何も変わらない。ブロンドやブルネットの髪の持ち主もいる」

「そんな……でも、いや! うそとかじゃなくて、だって、ええ!? 待って!?」


 単純な驚きに任せて騒いだところで、はっとトーリは思いだした。フリアの告白に、自分が驚かないと言ったことを。

 見れば、フリアはどこか寂しそうな顔で深くうな垂れている。

 急に冷静になり、トーリは、ごめん、と口にした。フリアの手をそっと取る。


「フリア。君の口から聞かせて。君から君のことを教えてほしい」

「……わたしの名前は、フリアレア・フラル・ユレンシェーナ・ル・オルドヌング。真義の一つ、〈契約〉の力を受け継いだ一族です」


 オルドヌング族。

 魔法を使い、七百年の黄金時代を駆けた伝説の一族。


「いるんだ……本当に」


 胸の奥から不思議な感覚がゆっくりと湧き上がってくる。感動とは異なる、神秘を目の当たりにした気分。

 むぅ、とフリアがむくれる。


「いるんだって、それを言ったら、トーリさんたち〈竜の民〉も似たようなものじゃないですか」

「そこまでじゃないしぃ!?」

「ブライヤーさんに言わせれば、お互いフェードアウト寸前の一族のようですし」

「くうきゅ!」

「あ、ごめんなさい、クィーも一緒でしたね」

「クィーも一緒?」

「クィーと呼ばれてるその子は、白竜の子供だよ」

「へ」

「くっきゅ?」


 メルクマールの声に、クィーが他人事のように首を傾げる。


「白……竜?」

「そうだよね、フリアレア君」

「なにもかも最初からお見通しというわけですか」

「コツがあってね」

「コツなんてもので見分けられたらこちらもたまったものじゃないのですけど」

「りゅう」


 トーリは声にした。


「竜……」


 竜。大気を統べ、天候を支配する、天空の覇者。

 真夏ですらダイヤモンドダストを起こし、羽ばたき一つで建物を倒壊させ、大地を雷で引き裂く、巨大な力を持った──


「……竜?」


 昔、記憶の中にある竜と、海上都市ヴェール・ド・マーレの青竜、それらと目の前のクィーが竜であるという情報が結び付かず、疑問符。


「くうきゅ」


 フリアの頭の上で胸を張るクィーはとても自慢げだ。


「だってクィーはもふもふで……」

「白竜は成人してもみんなもふもふです」

「じゃあ角はどれ!?」

「額にあるオパールみたいなものですね」

「気づけるもんかあ! クィーって竜だったの!?」

「ぐーきゅ、ぐーきゅ!」

「ちょ、ちょっとトーリさん……っ、落ち着いて」


 フリアの肩をつかみ、がっくんがっくん揺さぶっていれば、目を回したフリアが息切れしながら訴えてくる。


「あ、ごめん」


 ぱっと手を離し、クィーをまじまじと見つめる。


「へーえー……、白竜の子供ってこんな感じなんだ。ってなんで教えてくれなかったのさフリア!」


 と、今度は白けた半眼がフリアから返された。もちろんクィーと一緒に。

 あれ?とトーリは半笑いを浮かべた。

 フリアは両腕を組むと、平べったいまな板――ではなく胸板を張った。迫ってくる。


「その昔、竜と〈竜の民〉の契約を結んだユレンシェーナ家の末裔であるわたしが」

「くきゅ」

「都合よく白竜の子供を連れて」

「くきゅくきゅ」

「あまつさえ竜と再契約するのを夢見てるようなお子様の前に現れたとして」

「くーきゅーきゅ」

「トーリさん、クィーと契約したいって、たとえ冗談でも絶っっっっっっっっ対に言わない自信、ありましたか?」

「くーきゅ?」


 一歩、また一歩追い詰められていくうちに、フリアが一回りも二回りも大きく見える。

 反対に、フリアに圧倒され委縮したトーリは肩を寄せ、みるみる小さくなり。


「あ…………………………りません」

「よろしい」

「きゅ」


 ぐぅの音も出ない。

 冗談でなら、そんな邪なこともちらと思っただろう。

 察するに、セトはフリアの正体も事情は全て知っていたのだろう。はぐらかされたし、そういえば、フリアのことを、お方、と、かしこまった言い方をしていた記憶。


「でも! クィーのことはともかく、フリア自身のことはどこかで教えてくれたってよかったじゃないか!」

「言い出すタイミングを見失っちゃったのですよ。面白い話でもありませんし」

「水臭い!」

「みず…くさいですか」

「そりゃそうだろ! 一緒に旅する仲間なのに!」


 フリアの瞳が薄っすらと見開かれ、淡い微笑みに取って変えられる。

 だがそれもつかの間のこと、厳しくメルクマールを見やる。


「それで、わざわざわたしたちを追いかけてきて、わたしとクィーの正体をトーリさんに教えに来てくださった、というわけでもないのでしょう。ご用件は?」

「海上都市ヴェール・ド・マーレをあんな風にしてくれた報復を」


 氷水を背中にぶちまけられた気分だった。

 さすがのフリアも固唾を飲んで緊張の面持ちだ。

 ふっと、メルクマールが硬質な表情をやわらげた。


「なんてことを言うつもりもないよ。まあ、私憤が一切ないと言えば嘘になるが」

「ごめ……ん、な……さ…、おれ……、が」

「謝罪は不要だ。私自身、大きな被害を受けたわけではないしね」


 どくり、と心臓が嫌な動悸を鳴らす。

 海上都市ヴェール・ド・マーレで起きたことを忘れたことはない。

 忘れられるわけなんて、ない。

 メルクマールがどうしてトーリたちの前に現れたかなんて、考えずともわかる。

 トーリは海上都市ヴェール・ド・マーレに災厄を見舞った原因だ。追われる理由なんて十二分にある。領主である彼自らが直接赴いてくるとは思わなかったが。

 どうして見逃してもらえると思ったのだろう。

 恐怖で身体が竦む。

 他ならない、あの都市を大切に思っている男がいる。

 次に吐き出されるのは、侮蔑か、嘲笑か。何が来てもいいようトーリはぐっと覚悟する。

 やがて。


「……謝罪を大切なことだと思っているのなら、その言葉の重みを知っているのなら、君自身が謝罪の言葉をもっと大切に使ってあげなさい」


 思いもよらない言葉に、顔を上げる。

 そこにはトーリ一個人と正面から向き合うメルクマールという人物がいた。


「……はい」


 目を逸らさない。

 真っ直ぐに、メルクマールを見つめ返す。


「それで、あなたはわたしたちを法的に裁くつもりで追いかけてきたのですか」

「そういうわけではないよ。その他の大勢が公の場に出したくないと思っている君たち二人を、司法の場に連れて行くのは、不可能ではないだろうが労力を要するからね。それに、私自身、君たちに法的な罪に問いたいわけではない」

「なら、どうしておれたちを……?」


 メルクマールはフリア──正確には頭の上のクィーを見た。


「単刀直入に行こうか。クィー君を譲り受けたい」

「お断りします」

「くっきゅ」


 フリアの一刀両断に合わせて、クィーも首を横に振る。

 一人、唐突に話題の沖合に置いていかれた気分でトーリは二人のやり取りを見守る。


「青竜を失ったから、今度は白竜というわけですか? 随分と軽いことですね」

「過去にはこだわらない主義なんだ。ついでに、契約魔法の使い手であるフリア君も一緒に来てもらえるとありがたい」

「わたしはおまけですか。あー、フリアさんかなしー」

「加えて、〈竜の民〉であるトーリ君が協力してくれるのならとても大助かりだ」

「海上都市ヴェール・ド・マーレの領主様が男女両方とも行けるというスクープ、どこに売れば大儲けできますかね?」

「フリア君、君はまともに取り合うつもりがなければないほど、冗談を返す癖でもあるのかい? 面白すぎるからやめてくれ」


 ぴいぴいと囀る小鳥のようなフリアのうるささが笑いのツボに入ったのか、メルクマールがそっぽを向きながら笑いを必死にかみ殺している。

 褒め言葉なのだろうが、フリアのこめかみには、びしびしびしびし、といつにも増して怒りの四つ角が浮かんでいる。

 トーリはこっそりとフリアに耳打ちした。


「フリア、遊んでないで真面目に話しようよ」

「なっ、誰が遊んで……! というか、トーリさん、メルクマールさんには何だか対応が甘くありません!?」

「そ、そんなことは──あるかもしれないけど……。海上都市のこともあるし」

「それはそうですが!」


 フリアはいらだたしげにかぶりを振ってから、軽くうつむいた。


「……どうしてクィーが、いえ、竜が必要なのですか」


 足元に生い茂る草をさざめかせ、風が舞う。

 ざあっと乱れた風が、木々を不安げに揺らす。


「あなたには富も、名声も、市民からの信頼も人望もあるように思えます。領主という立場に縛られ、それを疎ましく思っているわけでも、その期待に応えなければと焦っている様子もありません」


 言いながら、徐々にフリアの感情が高ぶっていくのがわかった。声が、かすかに震えている。

 俯かせていた顔をばっと上げて、メルクマールを睨むフリアは泣きそうなほど切実だった。


「わたしたちのように表に出ることを否定されているわけでもない! 息を殺して、存在しないことを余儀なくされているわけでもない! 誰かに疎まれるわけでもない! この上、何を欲するというのですか!」


 心がばらばらになりそうな叫び声だった。パールグレイの瞳は弱弱しく揺れている。

「それは――」


 言いかけた瞬間。

 メルクマールが唐突にせき込んだ。

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