第17話 好き好き 大好き 愛してるって作品について

詩の話をしたいと思う。とは言っても、ツイッターや詩サイトで交流のあった人はもうここの日記を見ていないと思うので、独り言みたいな形になるだろう。言葉の積み重ねによる意味の重量を増やす、文体だけでテクノのような厚みを作る事は可能なのかという試みをフライングする形で、投稿してみた。最近、私の中では他にも①「どんなに時間を掛けて魂を文に落とし込んでも、興味関心が無ければ記号や模様になるという事」②「様々な表現や形がある中で適切な物がなければ、伝は達しない。最悪PC画面に書かれた点字を目の見えない人に読ませる形になる。逆に適切であれば意味は通じる。」③「長い返事で解説訂正をしちゃうなら、これをそのまま素直に載せたら良いのに、どうして私達はややこ詩にして読ませるのだろう。」④「意味は後からでも付いてくる。」みたいなのがグルグルと頭を回転しているのだった。ああ…テクノしてぇって気持ちと、①~④の考えが混ざり合ったら、ほんとポン!って感じで閃いた。


それを試しに投稿してみたけど、反応は多分ないだろうなと思っていた。真面目にやってる方からすれば意味もない模様、謎の英語が書かれまくったTシャツみたいなふざけたしょうもない詩でしかないと思う。前も言った通り、have a senceって詩みたいな事を基本はしたいので、それと比べるとプロトタイプ過ぎる作品だからだ。だけど、なんか皆さんの反応が思っていた以上に良かった。嬉しいってよりは「えーなんでさ…」という気持ちが強かった。


別にあそこでの反応が全てではないけどさ、本当にポンと思いついたのをサッとやっただけで、そこに深みとか魂とかないんだよ?君達はそういうの余りにも軽くて単純なのが嫌いなんじゃないの?って思った。ゴチャゴチャとした読み書きよりも、単純明快の方が好きなの?と反応に対して私は複雑な気持ちになっていた。私が必死になって、ああでもないこうでもないと悩みながら書いて出したのもに出来れば返事が欲しかったよ。こんな軽いノリの詩に、私の詩の大半はやられてしまったのだ。やっぱり詩は言葉を知らないといけないし、想像して心情や風景を変換しなきゃいけないから手間なんだと思う。だから私の普段の詩文はきっと訳わかんないんだと思う。それを取っ払った結果がああなったのかもね。


まぁ、お前クソつまんないみたいな事も言われてしまったけど、やりたい事に向かってどんどん形を変えて詩を書いていきたいなと思う。少なくとも全くの無価値をこの先やろうとしている訳じゃないって事だけでも分かっただけ嬉しい。

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