好いていた人と

花咲左近

1・日常

 朝、もう見慣れた天井が目に入る。

 ここに引っ越してきた当初は見慣れない天井だ、と冗談交じりにつぶやいていたものだが、一週間もたたないうちに飽きた。

 人間が新しい環境に慣れるのは思ったよりも早いらしい。

 布団から出るのが嫌になる前に体を起こし、寝起き特有のけだるさを感じながら台所に向かう。

 トーストを一枚だけ食べ、スーツに着替えて駅へ向かう。

 何の変哲もない、一社会人の日常。

 

 「あっ!小林君!おはよ~」

 

 駅について、七瀬が声をかけてくる。

 彼女は、同じ中学で、当時は仲が良かった・・・と、個人的には思っている。

 高校は別の学校だったが、方向だけはおなじだったため、毎日挨拶を交わしていた。

 その習慣はなぜか高校を卒業して、大学、はては社会人になって3年たった今でさえ続いている。

 改めて数えると10年、よくもまあここまで続いたものだ。

 越してきて初めて大学に行くときにもいた時はさすがに驚いた。

 そこまで行くとその過程、より具体的に言うと5年目くらいで、もしかして俺に気があるのか、と考えたこともあった。

 が、彼女が嬉しそうに彼氏ができたといってきた日にそんな考えは崩れ去った。

 今思い出しても、あの笑顔はたいそうかわいかった。

 

 「顔色悪いね、何?昨日は夜遅かったの?」

 「んなことないよ、最近ちょっといそがしいだけ」

 「忙しいだけでそんなクマができるとは思えないけど・・・まあいいや」

 「逆にそっちは調子よさそうだな、最近なんか楽しそうだ」

 「あらら、わかっちゃう?いやー、最近仕事もプライベートもいいことづくしでね。これで気分がよくならないやつがいるかー!ってくらい」

 なんて考えながら、今日もまた、他愛もないことを一、二言話して、そのあとはお互い喋らず視線をスマホに移行する。

 この、彼女との会話とも呼べないような何かだけが、いわゆる社会人の日常とは違うのかもしれない。

 電車が来る、お互い、一番近い扉から絶対に乗るタイプなので、必然的に同じ車両になる。

 大抵、近くにいるものだから何か話そうとは思うが、何か言おうとするたびネガティブな考えが頭によぎって息が止まる。

 駅に着く、降りる駅まで同じ、ということまではなく、じゃあなとだけ告げて、電車を降りて会社に向かう。

 

 

 今日も疲れた。仕事自体は忙しくはないのだが、最近は特に人との会話がうっとうしくてたまらない。

 もとよりコミュニケーションは苦手なのだ、会話をしないと仕事が成り立たないからしてはいるが、誰もが俺の考えを察して、いいように動いてくれないかと思う。

 まあ、そういう展開の小説は、だいたいどれもバッドエンドなわけだが。

 うだうだ言ってても仕方がないのでさっさと家に帰ることにする。

 幸い、明日は休みだ。

 道中、コンビニで酒とつまみを買って、晩酌としゃれこもう。

 

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