第312話 ママ、XX科の薬変更・家族4人、公園迄お散歩
私のXX科の薬が変わったお話をしたいと思います。
昨日は、東京にあるS病院に行く日でした。夫とひなちゃんも一緒に車に乗って行きました。出掛けた時は雨でしたので、「俺とひなは車中で待っているから、一人で行って来なさい」と夫に言われました。いつも、夫が何か話す訳でもなくても、一緒にS病院と薬局に行ってくれていましたが、一人でがんばる事になりました。
15歳の時に東京のN病院のXXX科の紹介状を貰い、XX科は21歳の時が初めてで、その時は、東京のT病院に一人で通っていたのですが、3回通って、医師の5分間診療と研修医に切なくなって行かなくなりました。
25歳の時から、もう酷くて通わない日はなくなり、薬も飲まない日はなく、入退院を繰り返しました。最初、一人でA病院に津軽の雪の中でも通っていました。婚約していたので、婚約者の今の夫が一緒に行ってくれる日もありましたが、S医師の場合、25歳の夏から26歳の春迄の間に、S医師が他の患者と勘違いをすると言う行き違いがあって、殆ど夫は顔を見せる事がありませんでした。
26歳から、結婚は25歳の時にしたのですが、同居は都合で後になり、引っ越した為、弘前大学大学院は在籍していましたが、転居した為、病院をO病院に変えたので、医師もK医師になりました。この時の記憶は、もうありません。後々の周囲の話によると、母は、「私の夫がK医師に入室する様に言われていたのに嫌がって入らなかった」と言っていたので、そうなのかと思っていたのですが、夫に最近聞いた話では、「K先生が、診察中は、先生が誰を部屋に入れるか決めると話していたので、従ったのです」と聞きました。
長く入院したのは、テレビでも見掛けるM医師と最近ではNHK等でも見掛けるS医師の臨床として開かれた千葉のF病院、他に遅発性ジスキネジアの正体がわからずに薬の調整をする為に本当は入院した東京のT病院、徳島のT病院です。
今、子供が保育園に入るのを認められているのは、私の病気が重要な要因です。
話は戻りますが、一人で通うのは久し振りなので、がんばって来ました。
「何を話して来ようか?」と夫に訊くと、「最近、自分で、薬の効きについて呟いていたから、消極的に、薬を変えると言う事が可能かどうか聞いてみたらどうか」と夫が答えてくれました。
それを胸に、診察室に入ると、「最近、右半身の痺れと震えがある事、薬の副作用かもしれない遅発性ジスキネジアに8年前から困っていたのですが、眼瞼の痙攣は他院のXX内科の10万円のボトックス治療でよくなったけれども、豊麗線に打ったのに口元はよくならず、食べるのに困り、夫によると喋る言葉が口籠って聞こえるとの事で、進展しておらず、精神状態は、躁も鬱もはっきりしていて、ハイテンションの時は頑張り過ぎて倒れてしまったり、落ち込む時はどん底で、私の望む、フラットな私が何処かへ行ってしまったので困っています」と話しました。それから、薬の事を伝えました。
薬は変えて貰いました。「今の薬より新しい薬は2世代あるのですが、1番新しいのにすると、2週間しか処方できないから、状態が安定したら、通院が大変でしょう?」と言われて、臨床試験の済んだ1世代だけ新しい薬になりました。
しかし、今日調べてみると、血糖値が上がる副作用があるので、要注意だと思いました。
それから、S医師は、「旦那さんは今日は?」と仰いました。今年、S医師が埼玉にあったS病院を他の医師に譲って東京にH病院を開いて変えたばかりで、色々と手続きをしたばかりなのに、又、このH病院を畳んで、今度は、開業医から勤務医になるそうで、「原宿と大宮とになるのですが、どうしますか?」と訊かれたので、どう違うか伺って、一人で来たけれども、私だけでは決められないので、「携帯電話で電話を掛けていいですか?」と伺って、夫に相談して、時間帯等から大宮のS病院に決めました。
帰宅後、具合が悪くなりました。特に頭が痛くて堪らず、とうとう、夜9時のミルクタイムの前に、市販の頭痛薬のイブを夫に飲んで大丈夫か尋ねて飲みました。頭がガンガンする中、授乳して、寝ました。
今朝、起きても未だ頭痛がしました。この薬は何でしょうか?
それから、家族4人揃って遠くの公園迄お散歩をしたお話をしたいと思います。
先週から、「日曜日は遠くの公園にお散歩して、ママの保育園の送迎トレーニングをしたいね」と話していました。しかし、先週は、ママの具合が悪くて行けませんでした。
今日は、晴れていて、お散歩日和でした。
でも、朝ご飯を食べた後、前述の様に、昨日から、XX科の薬が変わったので、具合が悪く、昼寝をしていました。11時頃になって、「起きるのを待っていたよ」と夫が言ってくれて、そのまま、外出しました。
私は、お腹も痛かったのですが、我慢しました。
ゆうちゃんは、いないいないばあのくっくを履いて、夫は外出用の服に着替えて、私もミッフィーちゃんの長袖Tシャツに着替えたのですが、もしかして暑いのかもしれないと思い、夫に、「今日は、半袖がいいかな?」と訊くと、「そうだね」と言うので、ペアルックになるのですが、夫は、ユニクロのUTのあしたのジョーの白のLサイズ、私は同じ絵柄で黒のSサイズを着て、お互いに下はブラックジーンズでした。ひなちゃんは、コンビミニの崖の上のポニョの様なひらひらの服だったのですが赤い花柄のラップクラッチに替えました。
ひなちゃんは、ママがおんぶしました。ゆうちゃんは最初天道虫のハーネスを付けてあんよでした。コンビのリッコと言うベビーカーは持っているだけでしたが、とうとうパパに抱っこになり、それでは、もう仕方がないと、ベビーカーに乗せました。
今日は、途中でラーメンを食べる予定でしたので、夫が忘れ物のゆうちゃんの幼児用お食事エプロンを取りに途中で引き返してくれました。私達3人は引き続き歩いていて、夫は後から追い付きました。かなりのショートカットをしたみたいです。
それから、てくてく歩いて行って、ラーメン店に入ると、座敷に上がらせて貰って、ひなちゃんは、座布団の上におぶい紐毎寝かせて、ゆうちゃんは、子供椅子の上に座らせて、空いたベビーカーにひなちゃんをシートを倒して寝かせました。
ゆうちゃんは、「ひなちゃんの」と言って、ベビーカーが自分の物だと主張しましたが、「ひなちゃんが、ねんねこするのに、ベビーカーがないと可哀想でしょう?」と説得しました。
ゆうちゃんは、お子様ラーメン、パパは、味噌ラーメン、ママは、あんかけのラーメンを頼みました。私は、贅沢にも、他人の焼いた餃子が食べたいと思って、夫に餃子も頼んで欲しいとお願いしました。その間にお手洗いに行って来ましたが、思う様には行きませんでした。
ゆうちゃんの食欲は止まりません。だって、麺類が大好きなのですもの。皆で美味しく食べて、店を去りました。ひなちゃんは、ゆうちゃんと違って生後5ヵ月から離乳食が始まります。未だ先になりますが、それ迄待っていてね。
そこから、公園に向かいました。夫は、天道虫のハーネスを付けたゆうちゃんを歩かせてみましたが、川を渡ったりして、怖かったのか、抱っこをせがみました。ちょっと歩いただけで、私は又、ひなちゃんをお店からベビーカーに乗せた侭、お手洗いに行きました。未だお腹が痛いのが治りません。そこで、ベンチにひなちゃんを寝かせて、おぶい紐にセッティングし、「よいしょ」と背負い上げました。
「帰ろうか。結構帰りも遠いし疲れるよ」と夫が言うので、そうしました。
帰り道、書店で、お子様DVDでアンパンマンの秋の歌を見つけました。「この間のと同じじゃないの?」と私が言うと、夫は、「こっちは、知育だよ」と言うので、3,000円近くするのに、8,000円しかないはずのお財布から夫が買っていました。ゆうちゃんには甘いなあと思いました。多少、これで静かにしてくれるのならいいなと言うのと、好きな物は見せて上げたいと言うのと、色々な刺激になるかなと言うのが夫にあるのかなと思いました。
帰途、他にコンビニに寄っただけでした。
帰宅すると直ぐに、ママはひなちゃんにミルクを上げました。ゆうちゃんとひなちゃんとママは、爆睡しました。
夕方寝から目覚めると、アンパンマンのDVDを見せました。ゆうちゃんがちゃんと見ないから、夫に消されてしまいました。ゆうちゃんが、「アンパンマン」と言うので、「今度はちゃんと見るのですよ」と言われて、見せて貰えました。
面白かったのは、ゆうちゃんが見るのは兎も角、ひなちゃんが、手足をバタバタとして音楽を楽しんでいたので、私も歌を歌ったり、ひなちゃんの足を動かしたり、私の顔を近付けたりして、遊び相手をしました。可愛かったですよ。ひなちゃんの足の付け根なんかを押すと、えへえへと笑うのです。
毎日、毎日、色々な事があるけれども、近年稀に見る酷さと夫に言われた私の病状もまあまあな時もあるのですよ。
お出掛けして楽しかったです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます