第297話 異世界生物研究所

 ウェルデア市に戻った二人は、暗い顔でオペロス支部長の前に現れ、ミリエス男爵たちが死んだ事を伝えた。


「まさか……本当なのか?」

 オペロス支部長が驚きの表情を浮かべ、次に目が笑った。

「あの男爵が死にやがったか」


 男爵の死を全然悲しんでいないようだ。街を寂れさせた張本人であるミリエス男爵の死は、オペロス支部長にとって好都合だった。掘り手一〇人と護衛五人の死は痛ましい事だが、ウェルデア市の為には……。


「支部長、十数人が死んだんですよ」

 俺が注意する。

「判っている。だがな、このままじゃ街が潰れそうだったんだ」


「でも、男爵が死んだら、男爵の息子とかが継ぐんじゃないんですか?」

「いや、こういう場合は、国王陛下が次の領主を決める事になる」


 領地が元々ミリエス男爵のものだったならば、親戚一同が集まり跡継ぎを決める所である。だが、ウェルデア市は国王陛下がミリエス男爵に領地を預けたばかりだった。


 陛下の信頼を裏切った形になった事で、ウェルデア市は国王の手に戻されるだろうとオペロス支部長が言った。


 オペロス支部長がニヤニヤと笑い。

「どうだ、ミコトが領主にならないか。陛下に希望すれば叶えられるかもしれんぞ」

「絶対に嫌です。そんな面倒な者にはなりません」


 オペロス支部長は俺が貴族だと知っていたようだ。迷宮都市のアルフォス支部長あたりから聞いたのだろう。だが、男爵には伝えなかった。


 男爵の人柄を知った今なら判る。伝えていれば、ミリエス男爵は俺を雇う事を嫌がったはずだ。儲けを独り占めしたい男爵が別の貴族を仲間に入れようとは思わないはずだからだ。


 この事態を知った国王は、シュマルディン王子の叔父ジェイラス・ゴゼバルを領主に任命した。ジェイラスはオディーヌ第二王妃の弟で、ダルバル爺さんの三男になる。


 思い掛けず、第三王子派が辺境の都市二つを手に入れた形になり、オラツェル王子の後ろ盾であるクモリス財務卿が珍しく怒鳴り声を上げたという。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 日本の奥多摩にある異世界生物研究所は、異世界で捕獲され日本に連れて来られた十数種類の魔物を飼育していた。その中でたまたま転移門の発動に巻き込まれ日本に転移したウサギがケージの中でジッと研究員の動きを見詰めていた。


 このウサギをミコトが目にすれば、初めて異世界からリアルワールドに戻った時、自分より先に転移門に入った出目兎でめうさぎだと気付いただろう。


 出目兎の前には作業台が有り、そこには拘束具で動かないように固定された大きなネズミが二匹居た。


 研究員の宮本はアルミ製の容器に入った溶液を注射器に吸い込み、ネズミ型魔物である鉄頭鼠に注射した。


栗栖くるす教授、活性化魔粒子溶液なんか魔物に与えていいんですか?」

 黒縁のメガネを掛けた宮本が上司である教授に尋ねた。


「今更何を言っている。魔粒子が魔物に与える影響を知る為の実験だ。構わんから次のネズミにも注射しろ」

 ひょろりと痩せ神経質そうな栗栖教授は実験を続けろと指示した。


「販売元の注意書きに生物への投与は危険性が確認されていないので止めろと書いて有りましたよ」

「ふん、その危険性を研究しているのが、我々ではないか」


「でも、これを注射し始めてから、鉄頭鼠が凄い早さで成長を始めています。異常ですよ」

 活性化魔粒子溶液を鉄頭鼠に与え始めて一〇日目、鉄頭鼠の体重は倍にまで増えていた。


「だが、種の成長限界を超えた訳ではない。普通のマウスはどうだ?」

「変化ありません。魔物特有の効果だと思われます」

「やはり魔物の体細胞に秘密が有るのか?」


「そうなんじゃないですか。魔導細胞に構造が似ていると言われていますから、魔導細胞を持つ人間に活性化魔粒子溶液を投与すると似たような効果が現れるかもしれません」


「そうか……人間にか」

 そう呟くように言うと栗栖教授が暗い影を帯びた笑いを浮かべた。それを見た宮本はゾッとする。


「きょ、教授。活性化魔粒子溶液を人間に投与する事は出来ませんよ」

「判っておる。人体実験などするか」


 教授の答えを聞いて、宮本はホッとしたが、別の懸念を口にする。

「ところで、一回の投与量が多過ぎませんか?」

 栗栖教授は不機嫌な顔になり宮本の顔を睨む。


「アメリカや中国も同じような実験をしているに違いない。結果を一日でも早く出さねば、海外の奴らに先を越されてしまう」


 結果を早く出す為に、一回の投与量を多くしているらしい。宮本と栗栖教授が鉄頭鼠の体重や体長を測定し、ノートパソコンにデータを打ち込む。その時、研究室の電話が鳴り、宮本が出た。


「教授、文部科学省から御客様がいらしたようです」

「よし、すぐに行くぞ」

「でも、片付けが……」


 そう言いながら活性化魔粒子溶液の入ったアルミ容器を金庫に仕舞った。

「戻って来てから、片付ければ良い」

 二人が慌ただしく研究室から出て行った。


 研究室に誰も居なくなったのを確認した出目兎は、ケージの扉に掛けられているダイヤル式南京錠を器用そうな指でいじり始めた。


 カチャカチャと音がし、しばらくしてカチャツとロックが外れる音が響いた。出目兎は扉を開け外に出ると大きな目でキョロキョロと周りを見回し、金庫に近付いた。


 人間たちが暗証番号を押すのを見て記憶していた出目兎は、ボタンを押しロックを解除すると金庫を開けた。そして、中からアルミ容器を取り出す。


 器用に蓋を開けると中の溶液を飲んだ。

「ブモッ」

 不味かったらしく吐き出した。


 出目兎は作業台に飛び乗り、拘束具で縛られている鉄頭鼠を見てニヤリと笑った。置いてあった注射器を取りたっぷりと活性化魔粒子溶液を吸い込むと鉄頭鼠に注射する。


 痛かったらしい鉄頭鼠が暴れるのを見て、出目兎は奇妙な笑い声を上げる。その後も活性化魔粒子溶液が無くなるまで、鉄頭鼠に注射を続けた。


 鉄頭鼠が暴れる力が強くなったのか、拘束具がミシッと嫌な音をさせる。次の瞬間ブチッと拘束具が切れ鉄頭鼠が自由になった。

 それを見たもう一匹の鉄頭鼠も暴れ拘束具を引き千切る。


 まずいと感じた出目兎はドアの方へ逃げた。ドアノブをぶら下がるようにして捻るとドアが開き外へ出る。その後を二匹の鉄頭鼠が追い掛ける。


 出目兎はエレベーターの方へ逃げた。丁度エレベーターのドアが開き研究員の一人が降りて来る。入れ違いに出目兎と二匹の鉄頭鼠が駆け込みドアが閉まった。


 エレベーターの中では出目兎と鉄頭鼠の追いかけっこが続けられていた。エレベーターが一階に到着するとドアが開き、出目兎が飛び出す。それを追って鉄頭鼠も飛び出し研究所のロビーが戦いの場となった。


 この騒ぎを目にした研究所の職員が警備室に連絡し助けを求めた。

 大勢の警備員が集まり、出目兎と鉄頭鼠を捕獲しようとしたが上手くいかなかった。鉄頭鼠の一匹が鉄のように硬い頭を窓ガラスに打ち付け壊すと外に飛び出した。


「一匹外に逃げたぞ」

「うわっ! もう一匹もガラスを割って逃げた」

 出目兎も鉄頭鼠が壊した窓から飛び出した。


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