第90話 魔法薬

 エヴァソン遺跡から戻った俺と薫は、迷宮都市の西門の前で犬人族の二人と別れた。その後、拠点へ戻り仮設住宅兼研究室で暮らし始めた二人の医師を訪ねた。


 研究室では、鼻デカ神田とマッチョ宮田が、実験動物として使っている穴兎の身体をチェックしていた。俺は研究中の二人に魔法薬の研究が進んでいるか尋ねた。


 マッチョ宮田が眼を輝かせて、研究結果を記録したノートをテーブルの上に広げる。

「魔法薬……凄いですよ。ミコトさんは魔法薬が何種類有るか知っていますか?」


 下級の治癒系魔法薬の効き目を穴兎を使って確かめ、ゆっくりでは有るが見ている間に傷口が塞がっていく様子を確認した二人の医師は、少し興奮状態となっていた。


「いや、知らないが、その口ぶりからすると多いんだろうな」

 マッチョ宮田が頷き、回答を披露する。


「治癒系、解毒系、再生系、回復系、魔力回復系、万能系の魔法薬があり、それぞれが使用した素材によって幾種類にも分けられます。ここの薬師は大雑把に下級・中級・上級と分けているようですが、素材によっては薬効が異なるので同じ薬とは言えません」


 マッチョ宮田と鼻デカ神田は、伊丹に集めて貰った魔法薬関係の書物から調べた結果を知らせてくれた。医師の二人は知識の宝珠を使ってミトア語をマスターしたので、読み書きまで出来るようになっていた。


「我々は研究を次の段階である製薬へ進める事にした。だが、実際の製薬には素材と調薬魔道具が必要なのが問題だ。それらについて案内人が用意してくれる契約になっている。そこの所はどうなっている?」


 鼻デカ神田が製薬に必要な物を要求する。

「調薬魔道具については二通りの方法を考えてる。一つは中古の調薬魔道具を購入するというもの」


「中古……新しいものは用意出来んのか?」

「新しい調薬魔道具となると製作に一ヶ月掛かるそうです。それで知り合いの魔道具屋に依頼して探したら、廃業する魔法薬工房が有ったので、そこから調達する手筈てはずを整えました」


「中古か、仕方ない。それでもう一つの方法とは何だ?」

「調薬魔道具無しで魔法薬を製薬する方法です」

「ええっ、そんな事が出来るのか?」

 マッチョ宮田が驚いている。そんな情報は書物に無かったからだ。


「調薬魔道具の製作を頼もうとした職人に、調薬魔道具の歴史について教えて貰いました。あの魔道具が発明される前は『魔力発移の神紋』による<魔力導出>で代用していたようなんだ」


 この情報は医師たちの興味を惹いたようだ。

「面白い実験になりそうだ。その『魔力発移の神紋』というのは誰でも身に付けられるのか?」


 マッチョ宮田が尋ねたので、俺は少し考えてから答えた。

「魔物の狩りに同行して魔粒子を蓄積させなければなりませんが、可能だと思う」


「狩りだと……私は御免だ」

 鼻デカ神田は即座に拒否した。

「でしたら、私が試してみましょう」


 マッチョ宮田が名乗りを上げ、大胸筋をピクピク動かす。

 大胸筋で狩りをする訳じゃ無いんだけど、積極的に実験に挑んでくれるんだからいいか。


 午後になってから魔導院へ行く。薫、真希、鼻デカ神田、マッチョ宮田と俺が魔導院の門を潜る。

 初めて魔導院に来た三人には、『魔力袋の神紋』を授かって貰い、薫は『魔導眼の神紋』を選ぶそうだ。神紋や魔法の研究には『魔導眼の神紋』が欠かせなくなりそうだと言っていた。


「大丈夫なんだろうな」

 鼻デカ神田が同じ問い掛けを三度繰り返す。……そんなに不安なら止めればいいのに。

「不安なら、止めても構いませんよ」

「いや、教授から魔法についても機会が有れば調査せよと言われている。宮田君にだけ任せる訳にはいかん」


 結局、三人は『魔力袋の神紋』を授かり、薫は『魔導眼の神紋』を手に入れた。

 玲香だけ仲間外れとなる結果になった。これは十数日後には日本に帰る為、必要ないと判断したからだ。もちろん、玲香自身が強く希望すれば授かれたのだが、本人もあまり乗り気ではなかった。

 真希は魔法的なものを経験したいと言う強い希望が有ったので参加を許可した。


 この後、調薬魔道具などの機材を運び込み製薬作業を行う準備が始まった。素材である薬草は、猫人族の子供たちに採取して来て貰い、魔晶管はハンターギルドから購入した。


 仮設研究室の中で二人の人間が作業を行い、一人が観察していた。

「トリチル、ポポン草はどれくらいまで細かくすればいいんだ?」


 マッチョ宮田が乳鉢に入れたポポン草を乳棒で磨り潰しながら、同じ作業をしている十二歳くらいの少女に尋ねた。


 トリチルと呼ばれた少女は貧民街出身の薬師見習いである。廃業した魔法薬工房で働いていたのを引き取り、医師たちの手伝いをさせようと雇用したのだ。


 痩せた赤毛の少女は、マッチョ宮田が持っている乳鉢の中を確認する。

「まだ塊が残っています。もう少し続けて下さい」

「その後はどうするんだ?」


「蒸留水を加えて細長いガラス瓶に流し込みます。それからよく振って撹拌し薬効成分が分離するのを待ちます。水溶液が緑の部分と透明な水分・沈殿物に分かれるので、緑の部分だけを取り出し調薬魔道具の中で魔晶管の中身と混ぜ合わせます」

 マッチョ宮田はトリチルに聞いた情報をメモして続きを促す。


「最後に調薬魔道具を稼働させ、薬効部分と魔晶管内容液を反応させます」

「ふむ……それで完成か」

 マッチョ宮田の言葉にトリチルが肯定する。


「簡単なもんだな。本当にそんなものが効果が有るのか?」

 鼻デカ神田が懐疑的な言葉を放つ。トリチルが少し傷付いたような顔をする。


「これは穴兎の実験で使った魔法薬と同じ下級の治癒系魔法薬になります。治療院では、この魔法薬と『治癒回復の神紋』の<治癒キュア>で大抵の傷を治します」


「実験で使った魔法薬と同じか?」

 マッチョ宮田が呟くように言う。それを聞いたトリチルが慌てたように言う。

「あっ、でも、同じ下級でも品質の違いは有ります。それによって薬効に差が出ると聞いています」


「その品質の違いは、何が原因となるのだ?」

 鼻デカ神田が気になった点を追求する。


「前に働いていた工房の主から聞いたのですが、ポポン草には油成分も含まれていて、それが薬効を阻害するそうです」


「ふむ、なるほど。上手く油成分を分離出来た魔法薬ほど品質の良いものになるのか」

「他にも冬に作ったものは、品質が良いと言われています」

 マッチョ宮田が腕を組んで考える。


「冬はポポン草が枯れてしまうので、乾燥保存したものを使うのだろう。乾燥する過程で油分が抜けるのかもしれんな……いや、そんな理由なら、ここの薬師も気付いて、夏に採取したポポン草を乾燥してから使用するようになったはずだ……製薬過程の何処かで温度が関係するのだろうか」


 二人の医師はリアルワールドで使われている実験器具『分液ロート』を異世界のガラス職人に作らせ、油と薬効成分、水の分離を正確に行えるように工夫した。


 もちろん、地元のガラス職人は苦労したが、意外にも絵心の有る鼻デカ神田が具体的な絵図を描いたので、二人が満足する実験器具が完成する。


 その他にも製薬過程と温度との関係を実験すると、薬効成分と魔晶管内容液を混ぜ合わせる時、摂氏一〇度前後の温度で反応させると薬効が高くなるという結果になった。


 一ヶ月後、俺は魔法薬工房を立ち上げた。当座は下級の治癒系魔法薬だけを製造する工房だが、薬効が高いと評判になり、治療院から注文が入るようになった。

 今回の依頼を補助する為に始めた魔法薬工房だったが、将来的にはここに建設される『趙悠館』の重要な収入源の一つとなる。




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