第4章 傍迷惑な来訪者編

第75話 予想外の転移

 三条薫の日常は、オルゴールの音色で奏でる明るいメロディで始まる。目覚まし時計を止める為に伸ばした腕にヒヤリとする空気が触れる。


 季節は冬、今日から三連休となる日。久しぶりに転移門へ出掛ける予定になっている。けれど、異世界に転移する訳ではない。転移門の研究の為に使用不能転移門を調査するのが目的だ。


 忘れられない夏休みを異世界で過ごした薫は、自ら立ち上げた会社SDP開発の経営や研究開発を少しずつ優秀な社員に任せるようにし、余った時間を神紋や魔法の研究に費やすようになった。


 休みの日には、横浜の自宅で組み上げた神紋術式解析システムで加護神紋を研究し、使える付加神紋術式を開発するのがここ数ヶ月のトレンドだった。だが、今日は違う。


 最近、何故リアルワールドで魔法が起動しないのかを研究し始め、唯一こちらの世界で起動する転移門に使われている神紋術式の解析を始めたのだ。

 だが、その研究も行き詰まり気味で、その打開策として使用不能転移門の調査を行う事にした。


「薫、早く起きなさい。真希マキちゃんが迎えに来るわよ」

 ドアの外で母親の声が聞こえた。真希と言うのは薫の従姉妹いとこである。薫にとって姉に近い存在で、今回の調査旅行に同行する。最初は一人で行く予定だったのだが、娘を心配した母が真希に同行を頼んだのだ。


 ベッドの上に起き上がり部屋を見回す。可愛いヌイグルミやパステルカラーのクッションなどで飾られた女の子らしい部屋に、場違いな大型高性能パソコン。


 オーダーメイドで高性能パソコンを提供する会社から薫個人が購入し使用している。その会社は研究用高性能マシンを販売している会社で、薫の会社と取引がある。


 朝食を食べ出掛ける支度が終わった頃、従姉妹の真希が現れた。

「お早うございます」


 薫は、大学二年生である真希を頼りになる大人の女性だと夏休みまで思っていた。だが、異世界でいろいろな体験をし精神的に成長した事で、真希の子供っぽい考えや未熟な面に気付くようになった。

「真希姉さん、おはよう」


 三条真希、平凡な大学の平凡な女子大生である。小さな頃から薫を妹のように可愛がっていたので、何かの旅行に付き合うよう頼まれた時、すぐに承知した。


 最寄りの駅から電車とバスを乗り継いで別荘地に到着。

「薫ちゃん、転移門を調査するって言ってたけど、調査用の機械とか持って来なくて良かったの?」

 美人というより小柄で可愛い感じの真希が尋ねる。


「機械による調査は、政府が散々やっているから、お金を払えばデータを貰えるのよ。私が調査したいのは神紋の構造だから、自分の眼で確かめるしか無いの」

 真希が首を傾げている。

「良く分からないけど、そうなんだ」


 時刻は正午過ぎ。目的地である使用不能転移門は、バス停から二キロほど山の方へ歩いた場所にあった。もう少し奥に行くと別荘地となっており、夏場には大勢のセレブが避暑地としている。


「ちょっと待って、急ぎ過ぎよ」

 別荘地へと続く細い舗装路を歩く薫の後ろを、真希が厚手の白いコートをパタパタとひらめかせ小走りで追い掛けている。


 薫は普通に歩いているつもりなのだが、魔粒子により発生した魔導細胞と古武術家伊丹により鍛えられた歩法の所為で奇妙なほどスピードが出ている。


 使用不能転移門は自衛隊により封鎖されているが、鉄条網で囲われているだけで自衛官による監視はない。監視用のカメラは設置されているし入り口は施錠されているので侵入は難しいが、不可能ではない。

 機能しない転移門にまで自衛官を派遣する予算がないと言うのが実情だろう。


「後二〇分くらいで月が重なるのよ。急いで」

「月? ……今は昼間よ」


 薫と真希が噛み合わない話をしている間に、鉄条網が見えて来た。道路から一〇メートルほどの場所が四角いリングのように鉄条網で封鎖されている。


「あそこなの……何も無いじゃない」

「時間が来れば分かるから、静かに」


 鉄条網の内側は雑草が蔓延はびこるだけの荒れ地だった。観察だけなら鉄条網の外からでも可能なので、時間が来るまで二人は静かに待つ事にした。


 そして、時が来た。異世界の転移門が起動準備を始める。

 重低音の唸るような音が聞こえ始める。次に鉄条網の内部に光が発生する。磁場も異変を起こしているようで鉄条網から放電現象が起きた。

「さあ、始まるよ」

 薫が声を上げた。


 その瞬間、薫たちが歩いて来た道を一台のマイクロバスが通り掛る。

「うっんんん」


 運転しているのは六〇過ぎの男性で、突然、胸に痛みを感じハンドルに倒れこんだ。心臓の持病を持つ彼の胸にはペースメイカーが埋め込まれており、磁場の異変でペースメイカーが誤動作を起こしたのだ。


「な、なんだ!」「どうしたんだ!」「嘘でしょ、運転手さん!」

 マイクロバスの中では、還暦を迎えた校長の誕生日パーティに出席する為に乗車していた教師と高校生たちが、狼狽し大声を上げた。


 道路から外れ荒れ地を走り出したマイクロバスは、引き寄せられるように転移門の鉄条網へと突進した。


「何、あれ?」

「えっ、ええっ!」

 自分たちの方へ突っ込んでくるマイクロバスに気付き、薫と真希が大声を上げる。


 慌てて避ける彼女たちの横をかなりのスピードでマイクロバスが通り過ぎ鉄条網に激突する。鉄製の柱がひしゃげ太い針金が千切れ飛ぶ。


 マイクロバスは正面の鉄条網を突き破り反対側に突っ込んだ所で止まった。クラクションの音ががけたたましく響き渡る。


 その間も、転移門は異世界とリアルワールドを繋ぐ準備を着々と進めていた。地面から響く音が段々と大きくなっている。


 驚きと恐怖で固まっている真希を残し、薫は素早くマイクロバスに近寄り中を覗き込むと、数人の男女がバスの中に居た。薫はバスのドアを叩き。


「大丈夫ですか? ドアを開けて下さい!」


 ドアを叩く音と薫の声に気付いた高校生らしい少年が、バスのドアを開いた。

「何だぁ、助けが来たと思ったら……クソッ!」


 薫の顔を見るなり悪態を吐く少年に、薫の眉間にシワが出来る。

 年上らしい少年を無視しドアから中を覗き込んだ薫は、数人の怪我人が居るのに気付く。すぐにスマホで救急車を呼ぼうとした。だが、転移門の影響だろうか電話が繋がらない。


「ここは危険です。取り敢えず外に出て下さい」

 悪態を吐いた少年が、バスから降りて来た。


「運転手のアホが、訴えてやるからな」

 大した怪我もしていないのにブツブツと文句を言っている少年の後ろから、小太りの中年男性が降りて来た。


「何だ、この音は事故で耳がおかしくなったのか」

 転移門が発する重低音を聞いた中年男性が呟いた。


 マイクロバスに乗り込み、頭から血を流している小柄な女性に肩を貸し、バスから降りようとした時、その異変に気付いた。


「えっ……何で転移門の神紋が浮かび上がっているのよ」

 ゲートマスターが不在で機能しないはずの転移門が本来の機能を発揮しようとしている。


「薫ちゃん、逃げるのよ」

 先程まで動けなかった真希が異変に気付き、薫を助けようと駆け寄って来る。

「こっちに来ちゃ駄目!」


 次の瞬間、眩しいほどに転移門が輝き周囲に光を放つ。そして、転移門の効力範囲に居た数人の男女が意識を失った。


   ◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇


 同じ頃、人が寄り付かない場所にある転移門の一つに軍人オークが集まっていた。

 港湾都市モントハルに近い火山の麓に観測所遺跡というものが有った。今も噴煙を上げる火山の近くなので誰も近寄らないが、石造りの堅牢な遺跡は使用されていた時代に近い形で残っていた。


 転移門が有るのは、遺跡の中の大きな部屋で窓のない暗い空間だった。オークメイジが<明光ライト>の魔法で周囲を照らしている。


「ズリュバ分隊長、この装置は上手くいくんですか?」

 分隊長と呼ばれた大柄なオーク、剛毛に覆われた身体に厚手の半袖シャツに似た鎧下と黄土色のズボンを着こみ、その上に革鎧を着け腰には柳葉刀を提げている。


 人間のハンターに似た格好だが、種族特有の筋肉が盛り上がった体型と猪に似た顔が猛々しい雰囲気を放っている。


「青鱗帝の命令で作られたものだぞ。動かなかったら帝国魔導工房の技術者が死んで詫びることになる」

「そ、そりゃあ大変だ。その技術者、今頃祈っているでしょうね」


 部下の持つ小さな箱は、ドニバグ将軍から預かった転移門初期化装置だった。半年以上転移機能が稼働しなかった転移門を初期化し登録されているゲートマスターを削除する装置だ。


 半年以上転移機能が稼働しなかった転移門と言う条件は、転移門の神紋に含まれるアルゴリズムの中に長期間転移を起こさなかった転移門は点検が必要だという機構が組み込まれているからだ。


 点検が必要となった転移門は点検要請信号を送信し、そのセキュリティは『点検待ち』と言う一段低い状態となる。転移門初期化装置は内蔵する莫大な魔力で低下したセキュリティを破り神紋に干渉し初期化するのだ。


「さっさと装置を転移門に仕掛けろ。転移門の中心点で起動準備が出来た瞬間にボタンを押さなきゃならんのだぞ」


 部下が装置を転移門の上に置き、転移門が起動準備に入るのを待った。

 ズリュバの遊撃分隊は総勢五名、あまり優秀な分隊とは言えない。消えて無くなっても支障がないと言う理由で選ばれたのではないかとズリュバは疑っている。


 転移門特有の震動や重低音、発光現象が起きる。

 転移門の上に並んだ部下たちを確認してから、転移門初期化装置のボタンを押した。


「ガトゥ、将軍に報告は頼んだぞ」

 一人だけ転移門の外にいる部下に声を掛けた。

「ハッ、了解しました」


 だが、装置から膨大な魔力が流れると転移門の効力範囲が拡大した。本来なら転移門の上に居る者だけを転移させるはずなのに、傍に居たガトゥも転移の渦に飲み込まれる。


「えっ、そんな」

 ズリュバはガトゥの間抜けな声を聞いた直後、意識を失った。



   ◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇


 日本で、いや、世界で初めて人間とオークの同時交換転移が発生した。

 JTGは使用不能転移門が稼動した事実に気付くのに一日ほど掛かった。迎えに行ったマイクロバスが戻って来ないのを不審に思った某高校の校長が警察に連絡し、鉄条網の中でマイクロバスと死亡した運転手を発見したのは夕方近くの事だった。


 そして、マイクロバスに乗っているはずの教師や生徒が消えているのを転移門と結び付け、JTGに連絡したのが翌日である。JTGはすぐに監視カメラの録画映像を確認し、総勢八人の男女が異世界に転移したのを知った。


 だが、その後の映像がブラックアウトした為に、軍人オークが日本に転移した事実を突き止めるのに時間を要した。


「なんて事だ。うちが管理する使用不能転移門がいきなり起動し、八人も異世界に連れ去るなんて」

 東條管理官は、連携している陸上自衛隊基地の鏡英司二尉から、その事実を聞いて頭を抱えた。


「異世界転移した者はこの八名です」

 鏡二尉からリストを貰った東條は、その中に三条薫という名前を発見し、希望を見出した。


「三条薫と言うのは、中学生の女の子かね?」

「そうですが……その子がどうかしたのですか?」

 鏡英司二尉は幹部候補生では有るが、まだまだ若い自衛官で頼りない面もある。

「彼女は私の所の依頼人だった。異世界の言葉を喋れたはずだ」


 異世界に放り出され生き残る確率は、一割程しかないだろう。だが経験者が一緒だと五割ほどに上がる。その経験者が中学生だというのは不安になるが、ミコトが鍛えたと聞いているので期待したい。


「しかし、何故、いきなり転移を起こしたんだ。未帰還者が戻ったのだろうか。そんな報告は受けていないが……」


 異世界からの帰還者は三ヶ月以内に戻るケースがほとんどで、四ヶ月、五ヶ月と過ぎるとほとんど居なくなった。そして、六ヶ月経過を境に帰還していない者は死亡したと判断された。


 それまではすべての転移門に自衛官の監視者が居たのだが、帰還者の居ない転移門は使用不能転移門とされた。


「帰還者を探すように警察に依頼するか」

 東條管理官は警察時代の同僚に依頼する決心をした。


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