32,悠人とライ

 他に人はいないのだろう。

 薄くいつもと変わらない笑みを貼り付けたライは、じっとこちらを見ていた。普通ならただそれだけに見えるけど、付き合いが長いからこそなんとなくわかる……あれは、なにかを企んでいる時のライだ。

「ライ、お前よくご主人の前に顔を出せたっスね……」

「そんな事を言わず、私も悠人もしょせんはヴィランじゃないですか」

 確かにそうだけどさ、きっと悠人が言いたいのはそれじゃないと思うんだ。

 ひょうひょうとした態度で笑うライと、影を動かしながら警戒を緩めない悠人。一触即発とはまさにこの事で、無意識に俺は悠人へ手を伸ばしていた。

「ゆ、悠人」

「ご主人も蒼も、手を出さないで。ここは、オレに任せてほしいっス」

 有無を言わせない、そんな言葉。その様子を見てかライは、前触れもなくケラケラと笑い始めた。

「あぁなんだ悠人、成長したな」

「あんたに裏切られた今、ご主人を守れるのはオレだけっスから」

「確かに、その通りだ」

 だから、俺はお付きとか部下とかいらないんだけど。

 けど内容が内容だしと聞いていると、横から肩を叩かれたような気がする。なにかと思えば、きょとんとした顔を俺に向ける汐莉がいて。

「太一くん、あの人は……?」

 あぁそうだ、汐莉はライに会うのが初めてだ。

「えっと……ライって奴で、もともとは俺の家にいたヴィランだ」

「いた?」


「はい、心苦しいのですがラグナロクにはついていけないと判断したので」


 間に入るように現れた声に顔を上げると、さっきまで前にいたはずのライが俺達の背後に立っていた。

「くっ……今相手をしているのはオレっスよ、ライ!」

 ライの手が俺と汐莉に伸びたが、それを悠人の影ではじき返す。

「ほう、昨日から一日でなんだか素早さもマシになった気がしますね、加点と言ったところでしょうか」

「査定をするなっス!」

 感情のままに影を動かして、拳を作る。

 ライに向けて投げているようだったけどその点はライのが上みたいで、ひらりひらりとかわされていく。

「しかしムラは残っていますね……ここは少し減点でしょう」

「あぁもう、アルカディアに寝返ったくせに先輩ズラするな! もうがまんできないっス!」

 地面を蹴り上げて、ライに向けて回し蹴りを一つ。

 空中での事なのにそれすらもよけたライは、胸元からさっきと同じナイフを取り出して――俺達の方に投げつけた。

「あぁ悠人いけないですね、ご主人様の方ががら空きじゃありませんか」

「そこまでオレもまぬけじゃないっス!」

「わっ!?」

 投げられたナイフを包むように影を動かして、そのまま俺達の前に薄い膜のような影を作る。これでライは俺達に攻撃できないのは確かだけど、同時に俺達も外に出る事ができない。

「おい太一、ここは僕達も」

「だめ、ここはオレとライ……ラグナロクの問題っス」

 いや、一応俺もラグナロクだけど。

 そんな野暮な事は言う度胸がないしと黙って傍観をする事にした俺は、影の中からじっと二人に視線を向ける。汗をうかべる悠人とは違ってライの顔には笑みが……笑みが?

「なんだろう、ライの顔……楽しそうだ」

 こんな、状況なのに?

 そんな俺の疑問は置いて、二人は同時に地面を蹴り上げる。

 悠人はそのまま器用に壁を蹴り、そこでできた影を元に大きな拳の形を作る。

「本当に悠人は、芸がありませんね」

「うるさい、顔を変えないで調子乗りやがって!」

 確かに言われてみれば、ライの顔はいつも通りのいわゆる素の状態だった。

「ご希望とあらば、顔も変えます……そうですね、こんな顔はいかがでしょう?」

 右手で隠した顔が次に見えた時には、もうあの薄っぺらい笑顔はなかった。そこにあったのは、少し吊り気味の特徴的な黄色い目で。

「って、オレぇ!?」

「はい、影と影もなかなか面白いかと」

「面白くないから、あぁもうこれだからライはきらいだ!」

 飛ばした影も同じように影で作られた壁で防がれたみたいで、悠人はあからさまに不機嫌そうな顔をする。ならばと次に出したのは大きめの矢で、拳とは比べものにならない速度だったそれも現れた盾の形をした影にふさがれてしまう。これじゃ、イタチごっこだ。

「もう終わりですか? なら、次は私からいかせていただきます」

「だかっ、オレの顔でその口調は面白くないってうわ!?」

 上から突然降ってきたのは人間一人は隠れてしまうくらい大きなハンマーで、悠人はギリギリのところでコンクリートの床に転がる。けどそのハンマーは消える事なく形を保ち、そのまま悠人の事を狙い続けた。

「よけろ、悠人!」

「わかっているっス!」

 受け身を取りながらよけても、それは変わる事なく悠人を追い続けていて。いくら悠人自身の能力だと言っても、まだ完全には使いこなせていない。対するライは経験の長さが違うし、なにより他人のレコードを使用できる能力だ。だから多分、少し使っただけで簡単に自分のものにできるのだろう。

「悠人……って、あれ?」

 絶体絶命。そんな不吉な言葉が脳裏をよぎったその時、俺はふとある事に気づいた。

 ある事というよりも、あれは――

「わざとさけている……?」

 いやいや、まさか。ライに限ってそんな芸の細かい事。

「……いや、あるな」

 あいつ昔から、人で遊ぶとこあるし。おおいに考えられる。

「けどそんな、こういった時に限ってそんな事」

「太一くん、なにブツブツ言っているのかな」

「触れない方がいい、どうせ役に立たない独り言だと思うぞ」

「聞こえているぞそこ」

 役に立たないかどうかはわからないじゃないか、俺の憶測も当たっているかもしれないし。

「確認、してみる……」

「太一くん、なにを……って、いきなりレコード出してどうしたの!?」

 右手に感情を込めて、深呼吸を一つ。これで壊れるかは、わからないけど。

「よい、しょ!」

「お、おい太一!?」

「太一くん!?」

 二人の動揺する声が聞こえてきたけど、そんなの気にしていられない。大きく振り上げた右手を何度も何度も押し付けて、俺は目の前の影に力を込めた。

 最初はびくともしなかったそれは徐々にヒビが入っているような気がして、ミシミシと鈍い音をたてていく。これなら、多分いける!

「これで、最後!」

 一番感情を込めた右手を押し付けると、小さく入っていたヒビがつながり大きくなっていく。そこからぽろぽろと穴が開き、壁だった欠片達が影へ戻っていった。

「すごい、崩したのか……!」

「だってこうでもしないと、出れなかったから!」

 自分にかかった欠片達を払いながら呼吸を整えて、そっと右手を二人の方に突き出す。

「太一……?」

 大きく感情を、ありったけの安心を込めて。

「二人とも、その辺にしろ!」

 飛び出した感情はまっすぐに飛んでいき、そのまま悠人とライの間を突き抜けていく。

 壁でぶつかったところで二つに分かれたそれは、ぐるりと回り――二人をそれぞれ囲うように回っていた。

「うわっ、ってこれご主人の!」

「太一様、これはいったい」

「二人とも、その状態で続行したら俺のレコードで締め上げる」

「ご主人、いつもはヴィランじゃないって言いながら今この場で一番ヴィランらしいの自覚あるっすか?」

 あるわけないだろ、そもそもこれはヴィランらしくない。

 明らかに茶化した様子の悠人を無視してライに顔を向けると、さっきと変わらない楽しそうな表情をうかべていた。あぁ、やっぱりそうか。

「ちょっと、ライに聞きたい事があって」

「ほう、どんな内容でしょうか」

 ごまかしてもきっと俺がなにを言いたいかはわかっているはず。だって、顔にそう書いてあるから。

 わかっていないような涼しい顔で笑っているライを少しにらんで、俺はわざとらしい不機嫌な顔のまま言葉を選んでいく。


「ライさ――本当にラグナロクを裏切ったのか?」

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