「今のところは落ち着いているようですが、顔色があまりよくないですね」


 アルフォンス君もクロードの様子を心配そうにうかがう。


「ええっ、助かったんじゃないの!?」


 緊張が解け床にしゃがみこんでいたジュリアンが、また泣きそうに聞き返す。


「大分出血しましたからね。緊急の危険はひとまず脱しましたが、これより悪くなることはあっても良くはなりませんよ。一刻も早く病院に送り込みたいところなのですが」


 失血性のショック症状がいつ起こるか分からない。そうなった場合、正直、今ここでできることはあまりない。

 各人の個人データはそれぞれのブレスレット端末に記録されているから、全員の正確な血液型はすぐに確認可能だ。せめて注射器の一本でもあれば、衛生面には目を瞑ってでも輸血するのだが、さすがに代用品になるようなものは、クマ君調べでも屋敷にはなかった。

 せっかく魔法があるのだし、血液だけ転移とかで移動できないかな、ともちらっと考えたが、さすがにいきなりそれをやるのはもう人体実験の域だ。下手したら提供者側まで危険にさらすし、うかつな真似をしてここで容体が急変したらそれこそ手の打ちようがない。


 できるものなら今すぐラスボスに挑戦したいが、ボス部屋への行き方なんて、軍曹の肖像にも書いてなかった。

 分かっているのは、ゲームマスターの権限は、最初に選ばれたゲームにおいてのみということだ。つまり、前座とも言えるホラ吹き男爵ゲームが終わり、次のゲーム開始の決定権はすでにゲームマスター『女王の亡霊』の手からは離れている。

 対ラスボス戦は、また軍曹の設定による別のルールの下で始まるはずだが、それが何かは不明だ。ようやくスタート地点に立てたのに、ゴールの方向が分からないなんてシャレにもならない。


 十五年前のように、退館時間三時間まで動きがなくなるとかだと最悪だ。このまま漫然と時間を過ごしていたら、下手したらジュリアンのゲームが差し込まれることになりかねない。

 いや、もっと最悪なのは、『向こう側』にも僕達を呼び寄せる権限がない場合か。

 僕は前座が終わったら、自動で最終ゲームに進めるものかと思っていたが、何も起こらない現状を考えると、そうとは限らなかったようだ。予選の通過は、決勝戦開始の保証ではなかった。

 結局全ては軍曹の作ったルール次第なのだから。 

 今はただ、奴への挑戦権を得た状態にもってこれたというだけなのだろうか?


 ゲームクリアした上で、更に何らかのアクションなど、開始条件をこちらから満たさない限り最終目的地へたどり着けないのだとしたら、今回で終わらせるなんてほぼ絶望的だ。

 これまでのように、きっとどこかにヒントが隠されてはいるだろう。

 だがすでに屋敷中を隈なく見て回っているのに、またそのヒントを求めてこれから探し回るのか? それを解明するまで、この先一体何年かかるかも分からない。


 あと一人。もうゴールテープを切るだけなのに……。来年以降に繰り越されたら、また最初からやり直しになるのかと思うと気が遠くなる。


 これならいっそ、やるべきことが見えていた今までの方がマシだったなと、嫌な焦燥感が湧いてくる。

 行われるかも分からない次のラストゲームの開始を待ちわびながら、なんとかクロードの小康状態が続くことを祈るしかないのだろうか。


 とその時、居ても立ってもいられなくなったアルフォンス君が、空を睨みつけるように突然叫んだ。


「殺人者の審判はもう全部終わっただろう!? 早く最後のゲームを始めてくれ!!」


 まさにドストレートなアプローチ。まるで、僕が自分のゲーム前に挑発して見せた時の再現のようだが、彼の場合は計算ではない必死の訴えだ。 


 オーディオルームで謎のメッセージを受け取っているし、今までのことから考えても、こちらの声は間違いなく届いている確信だけはある。無駄だとしても、とにかく思いついたことは何でもやってみるしかない。


 軍曹の肖像の前面部分の情報しかないアルフォンス君は、遺産相続騒動の全容もその発端も知らない。特に、『奴』を殺さなければ終われないという解放条件などは、僕が意図的に隠しているせいで、推測の材料自体持ち得ない。

 彼が把握しているのは、ゲームの内容と、ここにはいないリストに残る最後の一人の名前だけ。

 奴が応えてくれることを願って、虚しく呼びかけるしかないのだ。

 しかし、僕はラスボスと例えてはいるが、その人物に何の決定権もないことを知っているだけに、希望の見えない叫びに何とも居たたまれない気持ちになる。


 ただ、切羽詰まったあまりの考えなしの行動とも違うのかなと、ふと考え直す。


 確かに彼の言う通り、もうリストの挑戦者は全員ノルマを終えた。

 次の挑戦者=『殺人者』が今回の招待者である僕達の中からいなくなった現状なら、もう不利益を被る者は誰もいない。仮に空振りだったとしても、リストの内容をここにいる全員に明かすことにそれほどの混乱や不都合はないはずだ。ノーリスクなら、やるだけやっても損はない。リストの最後の人物の存在を明かしても構わない状況になったという判断か。

 そいつを殺す予定の僕としては、後で何が仇になるかも分からないので、公開する情報は可能な限り絞っておきたいところなのだが、そこまで求めるのは贅沢なんだろう。


 そしてアルフォンス君は、はっきりとその人物の名を叫んだ。


「今すぐ次のゲームを! ジェラール・ヴェルヌ!!」


 遺産相続騒動が始まる直前からずっと行方不明だった祖父――いや、全ての元凶の名を。


「え、お父さん? どういうこと?」


 思わぬ名が出て、ぽかんと問いかけたのはイネスだ。

 そこにいる誰もが、従兄の無事を願うアルフォンス君の謎の行動を、不審の、あるいは痛々しい目で見守る中――突然、あの音楽が鳴り始める。


 『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』が。


「え!?」

「まさか!?」

「嘘でしょ!!」


 動揺し、口々に叫ぶ声が聞こえる。

 僕もこれには少なからず驚いた。


 今までこの曲が呼び起こすものは、誰にとっても恐怖や絶望感だったかもしれない。しかし今の僕には希望の光が差した思いだ。


 肩透かしを食らったと同時に、待ち望んだ最終決戦が突然始まろうとしている展開に、改めて気合を入れる。

 大丈夫だ。いつでも殺せるように、覚悟は決めている。いやなことは、さっさと済ませた方がいい。そして何食わぬ顔で日常へと戻ってやるのだ。


 それにしても、こんな簡単なことだったなんて。なるほどと納得すると同時に、苦々しさが込み上がる。

 時間と回数を重ねていけば、きっといつかは確実にたどり着く。

 けれど、簡単なのに難しくもある。何かに追い詰められるか、余程の強欲でもなければそうそうできないだろう行動だ。

 人が死ぬゲームを目の当たりにしてきてなお、自分と誰かの命を天秤に載せて、更に次のゲームをラスボスに求めるなど。

 事前にある程度の対策を立てて、勝算を持った上でなら僕もできるし、実際やったが、まったく未知のデスゲームにアルフォンス君まで巻き込んで飛び込む勇気はさすがにない。次に死んだらさすがにもう蘇れないだろうし。


 だから、多分僕では無理だった。これはある意味、災いが福に転じたと言うべきか。

 良くも悪くも冷徹に計算する僕は、後先考えずに人前で感情に任せての言動など取らないから。もっと情報量が増えて、確信に手が届くまでは。


 ――本当に軍曹の仕掛は、悪辣だ。


 すでに体が慣れた奇妙な浮遊感に、ありがたく身を委ねた。

 今回だけは、僕を抱き留めようとするアルフォンス君の腕を転移ですり抜けて。


 アルフォンス君の目が驚きに見開かれる。


 ちょっと胸が痛むが、きっとこの先は距離が必要だ。

 彼に、これからの僕の犯行を悟らせず邪魔もさせず――何より、欠片も関わらせないように。


 そして僕の殺意に、わずかの躊躇いもよぎらないように。

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