うっかり
目覚めは爽快だった。
普段は何でもないことですぐ目覚めていたが、体質なのか若さなのか疲れのせいなのか、ともかくぐっすりと眠れた。
体に何の不調もなというのは、なんと快適なことだろうか。
軽くストレッチをしてから、昨日パスした浴室へ行くことにする。客間なので、部屋にも小さなシャワールームは付いているのだが、僕はゆったりと湯船に浸かる派なのだ。
屋敷の間取りは完璧に頭に入っている。
支給品の中からタオルと下着類を漁って、迷うことなく浴室に到着した。
家自体がハイテクなので、昔のラブコメ漫画のように、お風呂場でどっきりな鉢合わせ、なんてハプニングは起こらない。先客がいれば、普通にお知らせしてくれるし、そもそもロックがかかっているのだ。
まあ先客がいたとしても別にどうということもないが。
部屋を出る前に風呂場の用意を賢いお家様に頼んだのだが、移動の間にすっかり入れる状態になっていた。この家で僕がやるべき家事は何かあるのだろうか?
脱衣所で全部脱ぎ捨て、きちんとシャワーで体を洗ってから湯船に浸かる。
性別が変わったせいで、やはり昨日までとは少々勝手が違ったが、まあその程度のことだ。すぐに慣れるだろう。それよりも長い髪にかかる手間の方が気になった。こんなにも面倒なものだったのだなあと、短髪の手軽さを改めて知る。
湯を堪能しながら、今日の予定について考える。
そういえばアルフォンス君には、今朝はまだ会っていない。事情が事情のため、昨日から五日間の有休を取っているそうだから、部屋でゆっくりしているのかもしれない。
ところで、その休暇は実質は忌引きのつもりだったようだが、体は生きているものの、中身が法律上死んだとされた場合、葬式などはどうなるのだろう?
僕からその件について触れるつもりはないが、きっとアルフォンス君は、葬儀はしない気がする。
そういえば、向こうでの僕の葬式はどうなるのだろうか。遺体はもう発見されたのか、それとも本当に精神の交換が起こって、あちらでも復活現象が起こっているのだろうか。
僕自身は完全な無宗教だから、死んでいたとしても、葬式など別にしてほしいとも思わない。周りの迷惑にならないように遺体の対処だけしてくれれば十分だ。
僕の職場は、死とは切り離せない場所だったから、業者や宗教関係者がよく出入りしていた。
患者さんやご家族の心が救われているならそれが一番だと余計な口出しこそはしなかったが、正直よくも見て来たような口から出まかせが出るものだと、内心忌々しい中にも感心したものだ。
宗教の勧誘などは、ひどいのになると地獄に落ちるぞなどと言う輩がいたが、君はただの一人でも地獄に落ちた人間を見たことがあるのかと。それを自分で確かめたのかねと、意識的に頑固老人の言動で徹底して突っぱねたものだ。
僕のような一人暮らしの高齢者ともなると、怪しげな者がやたら寄ってくるようになるわけだが、その都度徹底的に論破して二度と僕に近付いてくる気力も起きないようにしてやった。
僕は非合理的なものには、少々不寛容なのだ。
戒名の値段で悩んでいた知人には、少々余計な差し出口を挟んでしまったこともある。あれは値段でランクが変わるのだ。そもそも、死んだ後で使うための名前を、大金を出して買うという発想が僕には理解できない。普通に詐欺ではないのか。「この名前はあの世で評価されます」。――「この水は癌に効きます」という謳い文句とどう違うのだ? あの世のことでは検証のしようもないという意味で悪魔の証明でもあり、余計悪質なくらいではないか。
そもそも高ランカー戒名とはなんだろう? 住職たちが侃々諤々とナンバーワンをランク付けする世界大会があるわけでもあるまいし。一体どういう法則の元誰が決めたのだ。漢字圏でない仏教徒はどうなっているのか。まったく最後のひと稼ぎとばかりに、死んだ後まで金次第とは、実に世知辛い話だ。
人間死んだら終わりだ。死後の名前の使いどころなどありはしない。
生きている間に使えるだけ、まだ怪しげな幸福の壺やら印鑑やらの方が役に立つというものだ。鰯の頭も信心からというし、本人が幸せならまあ許容範囲なのだろう。
しかし僕の死後は地獄どころが異世界で若返っているのだから、人生分からないものだ。もちろん、なんたらどうたらコジなんて実用性のかけらもない長ったらしい名前を名乗る合理性も必要性もかけらも感じはしないわけだが。
おっと――とりとめもないことを考えていたせいで、長湯になってしまった。まあ、いつものことだが。
朝からゆったり寛ぎすぎてのぼせてしまったと反省しつつ、湯から上がる。
タオルなどなくても、脱衣所のハイテク装備で、長い髪まであっという間に乾いてしまう。勤勉だったはずの僕が、このままではどんどん怠け者になっていく。
女性用の下着も特に問題なく着けられる。ぴったりのサイズなのに少々の窮屈さを感じたが、まあこれもすぐに慣れるだろう。
今は支給品しか手元にないが、衣服や下着など、動きやすいものもあとで何点か買い揃えておこう。
それから、喉が渇いたから、ダイニングへと向かった。
アルフォンス君もすでに起きていて、テーブルでお茶を飲んでいるところだった。
「おはよう、アルフォンス君」
「ああ、おはようございます。コーキさ……」
振り返ったアルフォンス君は、僕を見て唖然とした。
その手からマグカップが落ち、こぼれた飲み物がテーブルに広がる。
部屋の隅にいるクマ君に目をやるが、動き出す気配がない。
お掃除はしないのだろうか?
ああ、なるほど。これがAI規制の弊害か。掃除するべき状況でも、突発的な事態に対して、自身で判断できないのだ。事前に詳細な設定をしておくか、必要に応じてその都度、指示を出さないといけないのだろう。
「テーブルの上をきれいにしてください」
クマ君に向かって言うと、スムーズに職務を遂行し始めた。これでよし。
「ところでアルフォンス君。マグカップを落としましたよ。急にぼけっとして、どうしたんですか?」
「――どうしたじゃ、ありませんっ……」
われに返ったアルフォンス君が、頭を抱えて苦情を呈してきた。
「下着姿でうろつかないでくれますか!?」
言われてから、そういえば、と気が付いた。
「これは失敬。一人暮らしが長かったもので」
「俺だってそうですよ!」
つい前の癖が出てしまった。同居なのだから、こういうところも気を付けなければいけないのだな。
「自宅のようにくつろげる家なので、ついうっかりしてましたよ」
「いいから服を着てきてください!」
ぷりぷりと怒っている。その過剰反応に多少驚いたが、昨日より自然体になった様子で何よりだ。
昨夜の衝撃も何とか飲み込んで、僕のリクエスト通り同性に対するような接し方に心構えを切り替えたのかもしれない。
率直な物言いができる程度には仲良くなれたようだと、同居の手応えを感じながら自室に引き上げる僕の背中に、溜め息混じりの苦言が投げかけられた。
「一応今は若い女性だってことを、ちゃんと自覚してくださいよ!?」
――思い切り女性扱いだった。
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