入居

 アルフォンス君も善は急げと言っていたが、僕もどちらかというとせっかちな方だ。

 一度決めたら、即座に行動に移す。


 万能ブレスレットで、とりあえずの新居をこちらに決めたことをチェンジリング局の民生課に連絡しておいた。


 引っ越しというと大変な労力がいるものだが、僕の場合、自分の持ち物がまったくない。

 せいぜい今日支給された端末と衣服のみなので、このまま身一つで入居してしまえば引っ越し完了となる。

 こんな簡単な引っ越しは人生初めてだ。子供の頃の引っ越しですらもう少し働いたのに。


 まるで友人宅にふらっと立ち寄るような身軽さで、アルフォンス君が開けてくれた玄関ドアを手ぶらでくぐった。


 懐かしさを感じさせる暖かい玄関ホールに入った瞬間、あれほど焦がれた家庭に、やっと戻ってこれた感動を覚えた。


「一軒家に住むなんて、本当に久しぶりです」


 それこそ半世紀近い。引っ越しのたびに部屋のランクは上がっても、大学からずっと一人暮らしを続けてきた。


「生体認証の登録しますね」


 閉じた扉の内側で、アルフォンス君が指示を出すと、一瞬僕の全身が光に包まれた。


「全身スキャンしました。以後自由に出入りできます」


 登録完了を、事もなげに告げられる。


 これで僕もこの家の住人。仮に荷物で両手が塞がっていても、鍵いらずで苦もなく自動で入れるようになった。

 スマートウォッチの上に、スマートハウス。使いこなせる頃には、僕はとんでもない怠け者になってしまっていそうだ。

 アルフォンス君など、くつろぎモードで上着をソファーに脱ぎ捨てている。すかさず飛んできた小さなドローン型のロボットが、伸ばしたアームで回収していった。

 とにかくもう慣れたので、便利さにあえていちいち感動などはしない。しないのだ。


「しかし、今更言うのもなんですが、あまりに不用心じゃないですか? 初対面の相手の人間性も知らないうちからフリーパスにして、もし悪人だったらどうする気です? 金目のものを盗んで逃げるかもしれませんよ?」


 感心混じりに呆れる僕に、アルフォンス君がフフフと不敵に笑う。


「コーキさん。もうご存じでしょうが、俺は警察官なんですよ。逆恨みもないわけじゃありません。職業上鍛えてますし、プロとして防犯対策も万全です」

「なるほど。それは頼もしいですね」


 初対面で泣きそうな顔だったり、謝られてばかりだったりで弱腰の印象が強かったが、確かに資料上の彼は、非常に優秀な警察官らしい。

 見かけも態度もキャリアだけあって、どちらかというとエリート然としたと印象が強い。眼鏡があれば明智警視風と言えるかもしれない。職場で年上の部下に嫌味ばかり言って嫌われていなければいいのだが。


 しかし所属は雰囲気に反して、強行犯捜査課だという。とりわけ強硬姿勢の強い部署だそうで、さすがに動きもきびきびしているし、シャツになった上半身は言うだけあって鍛えられているようだ。

 やはりこういう高度な科学文明社会でも、そういった部署だとゴリゴリの強面ばかりだったりするのだろうか? そんな部下ばかりだったら、逆にいじめられていないかも心配になるところだ。


 うまく馴染めているなら、仕事とプライベートでガラリと変わるタイプなのかもしれない。公私のけじめがついているのは結構なこと。

 ただ今回の場合、明らかにプライベートだ。やはり僕に対して油断しすぎなのではないだろうか。もちろん僕は不義理を犯すつもりなどないから、結果的には問題ないのだが。


 脳内で少々脱線しつつ、アットホームな雰囲気の玄関ホールを堪能する。


「部屋はどうしましょう。コーキさんならマリオンの部屋を使っても構いませんよ。昔のまま手付かずなんですが」

「さすがにそれは遠慮しておきますよ。客間などあれば、そちらでお願いします」


 アルフォンス君の提案に、即答する。

 あまりマリオンと同一視されすぎても困る。残されている服など、絶対に着てはいけない。

 別人であることは、逐次突き付けていくべきだろう。


 そこでふと、僕達の関係性は世間的にはどういうことになるのかと疑問がわいた。


 僕は、公的にも戸籍上も、彼の従姉であるマリオンではなくなっているのだ。

 もし日本の基準に当てはめるなら、現状はなかなか危険水域にある行為と言わざるを得ない。街で声をかけて知り合った少女を下宿させているというのは、明らかに体裁が悪い。エリート公務員が、十七歳の少女を拾って囲い始めたなどと非難されたらぐうの音も出ないではないか。破廉恥警察官と、世間で大炎上すること請け合い。ただの同居で、家の権利も半分持っているのだと正当な弁明をしたところで、現状は他人。言えば言うほど疑惑は深まり、社会の圧力に負けて、事実でもないのに世間に謝罪し、懲戒処分を受ける羽目になってしまうのだ。社会的制裁を受け、築き上げたキャリアも台無しになったりしたら目も当てられない。


「そういえば、資料ではマリオンさんは三十二歳となっていましたが、現状、中身の年齢はもちろん違いますし、見かけだけならまだ未成年です。一体何歳を名乗るのが正解なんでしょう?」


 来栖幸喜としての六十五歳、資料通りの三十二歳なら問題もないだろうが、肉体年齢の十七歳なら完全にアウトではないだろうか? この国の成人は二十歳だ。


 僕は、何歳を公称すればいいのだろう?


 そういえばライトノベルなどでは、十七歳まで生きた人間が転生して、次の人生でもまた現在十七歳だから、精神年齢三十四歳だというような理屈を時折見るが、僕はそれには異論がある。

 精神年齢は、生きた年数とは違う。十七年の人生を二度送ったなら、精神年齢は最大で十七歳だろう。合計三十四年ではあるが、合計三十四歳とはならない。

 何故なら三十四歳の精神年齢を語るならば、その年齢に相応しい扱いを受け、また見合った社会経験をしていてしかるべきなのだ。

 社会に出て、嫌味な上司に叱られたり、初めての部下を持ち責任ある立場で仕事をしたり、厄介な仕事相手と渡り合ったり、結婚して子供を産み育てたり、あるいは「まだ結婚しないの?」という著しく余計なお世話をそつなくかいくぐり続けたり、一人暮らしで慣れない家事を頑張ったり投げ出したり、役所、ライフラインなどの融通の利かない手続きにイラつき、NHKの集金人との世知辛い攻防をこなし(僕が若いころは手渡しだったのだ)、親戚とのしがらみやご近所付き合いに煩わされながら、PTAや自治会活動などに世間からの圧力のもと内心いやいやながら参加して、隣り合った名も知らぬご町内のお年寄りの嫁への愚痴に適当に相槌を打ったりと――とにかく年齢に応じた様々な経験を積み重ねてこそ、ようやくその精神年齢へと達し得るのだ。

 悩みといえば家族や勉強、友達付き合いや恋愛程度の、大した社会的責任もない気楽な子供時代の経験を2回繰り返したからと、いきなり三十四歳の精神年齢を語ろうなど、おこがましいにもほどがある。大人を舐めるのも大概にしなさいと言いたいところだ。それが五十歳でも八十歳でも、その年齢に至らなければ到達し得ない境地というものはあると思うのだ。

 たとえ不遇な人生で経験値が高くなったとしても、それは人より苦労した十七歳に過ぎない。

 ――おっと、また横道にそれてしまった。


 ともかく、僕は最大年齢である65歳を名乗るべきだと思うのだが、この国の法ではどうなっているのだろうか?


「この場合は、本体の生年月日での年齢が適用されます。ですからコーキさんも資料通り、三十二歳ということになりますね」


 さすが弁護士資格も持つアルフォンス君は、速やかに回答をもたらしてくれた。


「なるほど。君が破廉恥警官の謗りを受ける心配がなくなってまずは一安心です。実質十七歳の肉体で公的には三十二歳扱い。すると、十年後なら四十二歳なのに二十七歳相当。なかなかの美魔女を名乗れますね」

「まあいずれにしろ俺は独身ですから、社会的にもそう困ったことにはなりませんけどね」


 僕の見当違いな懸念を察したアルフォンス君が、僕の軽口を失笑しながら受け流した。

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