身の振り方
チェンジリングについての説明は大体理解した。
新しい体の個人情報や、この国についての詳細などは、後でゆっくり調べればいい。
大体の情報収集や疑問も、万能ブレスレットで万事解決ということだから実に心強い。
それよりも重要なのは、今後の生活についてだ。
僕の職業は医師。物語的にはチート寄りの技術持ちになるだろうが、正直車が空を飛ぶ世界で通用するとは思わない。幕末にタイムスリップするくらいなら、たとえ能力が発揮できなくても文句のあろうはずもないが。
そして何かの能力に目覚めているような感触も、今のところは特にない。言語習得も不完全だし、僕は凡人のようだ。
その点についても、課長は懇切丁寧に説明してくれた。
「国家公務員特別職待遇で、日常生活に不自由しない生活費が国から支給されます。住居も、希望があれば寮に入ることができます」
いきなり問題解決だ。衣食住が何とかなるらしい。
しかしタダより怖いものはない。
「それはありがたいですが、条件などは?」
「異世界の技術や文化などの調査に、適宜協力してもらいます。それから定期的なミーティングへの参加義務が課され、新しい能力に覚醒していないかの検査や、会議に出席して異世界ならではのアイディアなどの提言が求められます。基本、これらが履行されれば、一般人として普通の暮らしは保障されます。それからこれは全国民に言えることですが、何らかの必要性が生じた場合には、そのブレスレット端末で所在地確認や生体モニターがなされます」
「なるほど。権利には義務がセットであって当然ですから、特に問題はありません。僕でお役に立つことがあるかは分かりませんが」
「必ずしも優れた異能が芽生えるわけではありませんから、その点は気負わなくても大丈夫です。むしろ開花する方が少数派なくらいですし。ただ、異世界人のまったく違う視点というのが、社会や技術に対していかに有用であるかはデータで証明されていますので、その点だけでも重用される価値があるわけです。あとは悠々自適に暮らすなり、やりがいのある仕事をするなり、ご自由にされて結構です」
「それほどの好待遇ですと、かえって申し訳なくなってくるくらいですね」
「我が国の待遇は世界トップクラスだと自認しております。そのため他国からの亡命者も多く、チェンジリングの保有数も世界一です。人権意識の低い国では奴隷のような扱いもあるそうですが、そのような環境下ではあるべき能力も発揮できるものではありません。国家の重要な資源として優遇し、のびのびと自由にしていただくことが、結局は一番国への還元率が高いというのが、我が国の基本的方針です」
なるほど。仮に成果を出せない者がいても、その姿勢自体が、世界中のチェンジリングを引き寄せる宣伝効果となるわけだ。
そしてやはり人権意識に問題のある国もあるということだ。僕は実に運がいい。人生で初めて、幸喜という名前に名前負けしなかった気分だ。
このアルグランジュが科学重視に舵を切ったのも、魔法王国が魔法技術に振り切ったのも、元をたどれば、それぞれ数百年前にやって来たチェンジリングの持ち込んだチート知識のためだそうだ。
「一つの国の方向性すら決定付けてしまう、チェンジリングとはそれほど重要な存在なのです」
課長はごく当たり前の口調で、僕を正面に見てそう説明した。
大した知識を持ち込めそうにない僕としては、納税者の皆さんに申し訳ないばかりだが、とにかく偉大な先人に感謝しておこう。
続いて、生活拠点の話に入る。
「住居についてですが、賄い付きの寮か、部屋を借りて一人暮らしか、ご自宅か、お好きなように選んでいただくことができます」
「寮と賃貸は分かりますが、自宅、ですか?」
理解しかねて、オウム返しに問う。
このアルグランジュにある、僕の自宅というと……?
「先程も申し上げましたが、その体の持ち主の権利はそのままあなたに引き継がれます。あなたは現在、首都郊外に庭付きの一軒家を所有しています」
「……」
庭付きの一軒家――その一言に、遥か昔に失った光景が心に蘇り、もの寂しさを伴った懐かしさの念が去来する。
しかし、すぐに自嘲とともに内心で否定した。
家だけあっても、家族がいなければ何の意味もない。その選択肢はないだろう。
課長は自身の専用端末で資料を確認してから、「あ!」と短く呟き、前言を保留にした。
「すみません。ちょっと待ってください」
担当とはいえ、彼も急なことで、事前リサーチは不十分なのだろう。むしろろくな準備もなしでよくやってくれている。
課長は改めて確認し直してから、難しい表情で唸った。
「やはりご自宅の方は、あまりお勧めはできないかもしれませんね。共同所有となっているので、同居人がいる状態になってしまいますから」
「それはご家族、ということですね?」
ふと、僕の脳裏に、処刑会場で見た黒髪の青年がよぎった。
僕を「マリオン」と呼んだ彼は――。
他人ではありえない深い絶望が、思い返した今でも胸に突き刺さる。
僕の問いに対し、課長はどうにも歯切れが悪い。
「家族――というか、その人物とはかなり複雑な関係性になります。あまり関わり合いにならない方が、お互いのためなのではないかと」
「複雑……ですか」
「詳細な情報は、すべて端末に転送してありますので、あとでご自身で確認していただければと思います」
あえて濁して、自分の口からの説明は避けたようだった。
僕も大人なので、その点は追及せず、別に生じた疑問を投げかける。
「仮に問題はなかったとしても、すでにご家族が住んでいる場所に、平然と乗り込んでいくような剛の者はいるものですか? 中身はまったくの別人なのに、体だけは家族のものだというのだから、お身内としては余計複雑な感情を持つのではと思うのですが」
さすがにいくら法で認められているとはいえ、堂々と所有権を主張するのは面の皮が厚すぎるというものだ。家族の場所に侵入してくる同じ顔をした他人を、いわばご遺族となる人はどう受け止めるのだろう?
臓器移植などでも、ドナーのご家族は複雑な感情を持つものだが、その比ではないのではないのだろうか。なにしろ体丸ごと見ず知らずの他人に持っていかれたようなものなのだ。本人の提供の意思確認もなく、否応なしに。
「その辺りはやはりケースバイケースですね。体の前の持ち主は正式に死亡扱いとなるのですが、他人でもいいから一緒にいたいという例もあれば、辛くなるだけだから二度と会いたくないと受け入れられない遺族もいます。この世界で、天涯孤独となるチェンジリングにとっては、いい関係を新しく築いていける一つのきっかけにはなる場合もありますが……やはり良くも悪くも感情的になる問題なので、関わらない方が、無難ではありますね」
ましてあなたの場合はなおさら――そんな一言が付く。なにしろ僕は複雑らしいから。
考えてみれば、死刑囚だったのだ。推して知るべしといったところか。
その後も一時間ほどこまごまとした質疑応答を続け、いくつかの注意点を受けてから、大まかな説明会はお開きとなった。後日正式な手続きの席が設けられるそうだ。
「さて、必要事項の説明は以上です。本日のスケジュールはこれで終了となります。この後、どうされますか?」
資料を片付けながら、課長が話題を変えた。
「さて、どうするものなんでしょう?」
急に丸投げされても困るのだが、何をすればいいのだろう?
「そうですね。専用の施設なり寮なりに直行するか、賃貸の物件を探すか、街を見学してみるか、食事にするか……職務以外の時間は、何でもご自由にしていただいて結構です。ガイドや通信、移動、施設利用手続き、支払いなども、すべてブレスレット端末で対応できますが、ご希望があれば案内人もつけましょう」
「ご親切にありがとうございます。それでは、まずは一人でこの国の観光でもしてみようと思います」
僕は初めての外国の街並みでも、単独でぶらぶらと散策を楽しむタイプだ。考えたいこともたくさんあるし、見ず知らずのガイドがいたら、ペースが崩される。
「分かりました。では、治安の心配はさほどいりませんが、事故などにはお気を付けて。カウンセリング等随時受け付けておりますし、その他困ったことがあれば、いつでもご連絡ください。それと寮の準備はいつでも対応可ですので」
「その節はよろしくお願いします」
自由でありながら手厚く、実に至れり尽くせりだと、感心するしかない。
後は、課長から女性スタッフに引き継がれ、僕は続いて更衣室へと案内された。
「とりあえず無難なものをご用意しましたので、お着替えください」
言われて気付いたが、僕は囚人服だったのだ。
説明を受けている間に、急遽女性用の衣装一式を揃えてくれたらしい。今頃別の部署でも、僕の受け入れ態勢やいろいろな手続きが急ピッチで整えられているのだろうか。
やはりお役所仕事と言ったら、この国では誉め言葉に違いない。
「――――」
一人になった更衣室で、僕は初めて今の自分の姿を見た。
六十五歳の誕生日まで見慣れた、初老の男性はどこにもいない。
アニメのような水色のストレートヘアの女性が、姿見から青い瞳で僕を見返している。あの黒髪の青年と同じ色の目だ。
驚きに、言葉を失った。
若い――いや、あまりにも若すぎる。想像よりも遥かに。
これでは少女だ。せいぜい十七、八といったところか。どう見ても高校生くらいだ。
それが、死刑囚。――一体、どうなっている?
ああ、こんな時こそアレの出番だ。万能ブレスレットで調べていこう。
気を静めて、用意してもらったシンプルなワンピースに着替えた。
奇妙な感覚だ。手に取ると、今までのものより二回りはサイズが小さいと感じた服が、着てみればぴったりとフィットする。本当に前とは別の体なのだと、改めて実感する。
「――――」
姿見でじっくり観察してみる。身長は普通くらい。少々スリムなものの、出るところは出ていて、不健康な感じはない。
自分のこととなると途端によく分からなくなるが、多分服も似合っている。
しかし穿き慣れないスカートで、どうにも落ち着かない。
今まで着ていたものに近い実用的な服装を、あとで揃えよう。
それから更衣室を出た僕は、専用車を断ると、映画のような未来都市の街並みへと足を踏み出した。
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