理の悪魔∨情の神∧新世界の先導者《エバンジェリスト》

歩夢図

Ⅰ.終末を望む者編

第1話.藁人形の女

 初夏の夜は、昼と性質が裏返る。


 昼間は汗ばむほどの陽気となったが、夜間はまだ肌寒い気温が続いている。


 今の季節、夜間は体を動かすことに気温が適しているのだ。


 それはパルクールの練習を行う緑門莉沙りょくもんりさにも当てはまる。


 それだけではない。

 夜のこの公園は人の気配がないのも良い。


 そんな公園で、莉沙はもくもくと鍛錬に励んでいた。


 柵を飛び越え、歩道に転がり、風を切る。


 後ろで束ねた髪を、疾走する馬の尾のようになびかせて。


 速く、速く。


 全身を駆使して躍動する。


 パルクールとは、己の身体のみで、あらゆる地形、障害物をも利用して、素早く効率的に移動することを目的とする競技である。


 強靭な肉体と的確な判断力が必要だ。


 常に現実と真剣に向き合わなければならい。

 少しの気の緩みが事故に繋がる。


 しかも彼女は独り。

 誰かと共に鍛錬しているわけではない。


 もしミスにより大怪我をしたとしても、すぐに救助に駆けつけてもらえない。


 僅かも気が抜けない。

 莉沙はその緊張感がたまらなく好きなのだ。


 そしてこの緊張感は、まもなくこの世界が終わるという緊張感にも通じる。


 いまの世界は終末を迎え、そしてその後に人類にとって理想郷とも呼ぶべき新世界が創世される。


 莉沙はその後の新世界創世のために、悪魔と呼ばれる存在から指名された先導者エバンジェリストの一人。


 終末までにできるだけ多く、理に従う人間を増やす使命がある。


 また、新世界創世へ向け、邪魔となる連中を粛清するという使命も。


 彼女はやがて公園の柵を乗り越え、公園外の歩道を駆け始めた。


 人気のない歩道を、時折、側転を交えたりしながら疾走する。

 すると、やがて前方に見える街灯の明かりに、人影を捉えた。


 その人物はカメラを片手に持った男のようだった。


 わずかに人の声らしき音が漂ってくる。

 何か独り言のように喋っているらしい。


 その男がいる場所は、ついこの間、三人の犠牲者を出した交通事故現場だった。





【驚愕】ヤバイ奴が事故現場へ冥福を祈りに行った結果……!


 はい! ワォチューブをご覧の皆さ〜ん、今が楽しきゃそれでいいじゃんをモットーに!自称ヤバイ奴を豪語するぽちょむきんでーす! !


 いつも炎上させてる俺ですが、今日はね、そんな俺でもたまにはいいことをするとこ、見せちゃおうと思いまーす!

レッツエンジョーィ!ビンビン!


 さて、ここは先月、車の暴走事故で三人亡くなったところです。

献花台にはたくさんのお花が供えてありますねぇ。


 こんな俺も亡くなった人のメーフク祈り手を合わせましょう。アーメンザーメンナンマイダ、レストインピィス……っと。


 おっと、お菓子やペットボトルも供えてありますねぇ。

 これ捨てちゃうんすよ。勿体無いっすよねえ。


 カラスや野良猫が荒らしてもいけないし、よし俺が代わりに食べてあげましょう!


 どうせ死んだ人は口がないから食べられないし、俺が食べてあげる方がきっと嬉しいはず。


 不謹慎とか俺を責める正義マンがコメントするでしょうが、そういう自分はこの食品ロスについてどう考えてるのかって話ですよ。


 お、このポテトチップス、新発売のやつじゃん。

 ポテトチップスってこの噛んだときのパリパリって音が良いんすよ。


 んー、なにこれ、マジうまい。

 俺の食べてる動画のおかげで宣伝なって、めっちゃ売れますよ、これ。


 メーカーには感謝してもらいたいですね。


 食べて喉が渇いたからペットボトルのジュースもね、いただいちゃいましょう……。


 言っとくけど、俺、犯罪おかしてるわけじゃないからね。

 見当違いの誹謗中傷止めてね。





 莉沙が見ているとも知らず、その男はぶつぶつとモノローグで撮影しながら、事故現場の供え物を食い散らかしている様子だった。


「それ、誰かに許可とってんの?」


 莉沙は唐突に男の背後から声をかける。


 腰を屈めて菓子を食っていた男が振り返った。


「でたー、リアル正義マン! いや女性だから正義ウーマンか?」


 男はそう言って莉沙の方へカメラを向けた。


「……勝手に撮らないでよ」


 莉沙は冷めた目を男に返す。


「いやー、せっかくだから俺とお姉さんとの対決、ワォチューブの皆さんに観てもらいましょうよ。絶対面白いって!」


「対決、なにそれ? 私の質問の答えになってないんだけど。あなた、誰かに許可とって献花台荒らしてんの?」


「これだけのお供え物、いちいち誰が供えたかなんてわかんないし、量が多いから一人一人に許可なんて取ってらんないでしょ」


 男には悪びれる様子もなく、むしろ今の状況を楽しんでいるようだった。


「……呆れた。そんな言い訳で悼む人の気持ち無視して、お供え物勝手に食べてるわけなんだ」


「おっと、俺が食べてはいけないってきたか! お姉さん、食品ロスってご存じない? 学がなさそうだから教えてあげるけど、実は年間何万トンもの食料が無駄に廃棄されてるわけ。もったいなくない?」


「わたし、そんなこと聞いてないんだけど」


「つまりさ、死んだ人間はお菓子食べれないわけだし、それなら俺が食べた方が良くない? お姉さん、物事はもっと論理的にものを考えないと」


 目の前の男は得意気に話した。


 車通りも無く、通行人も無く、静寂の中で二人は向かい合う。


 莉沙は鋭い目、相手の男は緩んだ目元で。


「勝手に論点すり替えるようなあなたが論理? こんなの撮影して面白がってる人間にふさわしい取ってつけたような言い訳ね」


「別にいいじゃない、食品ロスも解決できるし、俺も超稼げてるし、ウィンウィンっすよ。まあ、どんなにお姉さんが俺を叩いたところで、再生回数上位の俺が人気者って事実は揺るがないっすから」


 街灯がスポットライトのように二人を照らす。


「なんかあなた、消したいスイッチ入っちゃった。どうせ終末に生き残れないし」


 莉沙は冷たく男に言う。


「はあ? お姉さん、マジ何言っちゃってんの?」


 そんな男を無視し、莉沙はパチンと指を鳴らした。


「おいで、ストローマン……」


 そう唱えると、その莉沙の呼び声に応えるように、辺りにカサカサと乾いた物が擦れ合うような音が聞こえてきた。


撮影者の男は怪訝な顔を浮かべている。


 するとその男の足元に、無数の藁が地面から雑草が茂るように現れ、絡みつき始めた。


「なっ、なんだこれ!?」


 足を固定された男が驚いて慌てふためいていると、男を背後から影で覆うものが現れた。


 それは男よりも背丈があるもの。

 巨大な案山子のような藁人形。


 その藁人形は頭に黄色いハットを被り、右半分が焦げ茶色、左半分は緑色のベストを着ている。


 藁人形が服を着ていることは愛嬌があるが、その顔はやや不気味。


 藁でできた顔に、右目にはギョロリとした大きい目玉、左目には黒いただの点がついていた。


 口も持っているが、右側だけ口の端が大きく裂けている。


 ニタニタと不敵に笑う人形の歯が、街灯の光で白く煌めいていた。


 男を襲う左右非対称な藁人形。


 恐怖に竦み、ガタガタと奥歯を鳴らしながら震える男に、人形は覆いかぶさるように、その藁でできた身を崩して男を飲み込んだ。


「助けて……」


 その声を最後に男の姿は消え、献花台の前に残ったのは藁の山だった。


 やがて藁の山は一本一本が細く裂け、細かく千切れ、やがて目視できぬほど小さくなると、風に飛ばされる埃のように夜の闇の中へと、散り散りに消え去った。


 莉沙はおもむろに男が残したカメラを拾い上げ、地面に激しく叩きつけて壊すと、何事も無かったように再びトレーニングへと戻った。

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