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 僕の格好は、防寒インナーを上下、その上からジャージを上下着て、そのジャージの裾にかぶせる様に靴下を二重に履いた。そこからさらに防寒カーゴパンツを履き、ネックウォーマーマスクをし、ダウンジャケットを着ている。

 確かにダルマっぽくはある。

 さらに釣り用の指の先だけ出ている手袋をはめ、その上から大きめの手袋もしている。これは機械操作や何か細かい事をする時は、一番上の手袋を脱げば楽に出来るからだ。仕上げにニット帽……

 ……ダルマは——認めよう。確かに動きにくい。

 しかし同じ月食を肉眼で観るのと望遠鏡で見るのとでは、全然印象は違うのだ……

 ハァ、その講釈は後にしよう。

 早くも息が切れてきた……暑い。

 家を出て、メインの道路から一本入った川沿いを進むと寂れた商店街に出る。ちょうど学校からの帰り道を逆に、大久地駅に向かっている。

 駅を左手に見ながら逸れて行くと周りは閑静な住宅地になる。それを分断するように、なだらかな上り坂が200メートルほど続いている。

 僕の目指している場所はその頂上。

 上りきったそこにある神白兎かみしらと公園だ。

 ネックウォーマーマスクの口元のガードはあごに引っ掛けている。気温は予報通り5度くらいなんだろうか? 顔全体で受けている冷たい空気がとても気持ちが良い。

 住宅地なので辺りは明るいけれど、とても静かだ。時折りテレビの音や笑い声が聞こえる程度だ。ハア、ハア……呼吸が荒く、鼓動が、かなり速いが、イベントのせいでは、ない。あきらかにこの坂のせいだ!

「ハァーー」

 そう言って仰いだ夜空に満月が煌々こうこうと輝いている。雲はやっぱり少し多めで、たまに月を隠しているけれど——きっと大丈夫。

 少し足が軽くなる。僕も単純だ——

 20時15分——ようやく公園に着いた。

 神白兎公園の敷地面積はそれなりに広く、入ってすぐの所に自由広場がある。

 あれ?公園入り口から少し離れた路上に車が停まっている。エンジンは——掛かっているみたいだ。さすがに皆既月食は観に来る人がいるんだろうか?ひょっとして結構いる?

 自由広場は、子供や親子が遊ぶメイン広場だ。遊具は、うんていとトンネルとすべり台が合体したようなものしか無いけれど、かなり広く、自転車の練習をしている子やバドミントンをしているカップル達もいて、結構賑わっている。

 ただし昼間は——だ。

 この公園には敷地面積の割には数本の街灯しか無いので夜は全体的に暗く、人もほとんど見かけない。

 今も……自由広場には人は居ないか。

 ここから階段を上るとトイレなどの施設があり、さらに上ると、ダンボールやソリで芝滑りが楽しめる斜面緑地がある。

 僕は斜面緑地を横目に階段を上り、案内表示板の前に立つ。

 道は2つに分かれていて、右が遊歩道。左が目的地である見晴台みはらしだいだ。そこにも街灯は無いけれど、150センチほどのベンチが3基と自動販売機が2台ある。

 望遠鏡をセットするには充分な明るさで、天体観測をするのには最高のスポットだ!

 でも、ここまでの間に人っ子ひとり見かけなかった。やっぱり見晴台に何人か居るのかな?

 雲が月を隠したせいか、辺りがより暗くなった。

 早足になる。鼓動が早まる。疲れのせいなのか不安のせいなのか、もうわからない。

 場所取りなんて考えもしなかった。

 天気も良く、月帯食げつたいしょくでも無く、皆既月食を最初から最後まで観れるチャンスなのに——

 ——見晴台だ!でも、やけに静かだ。

 自動販売機の明かりで人影が見える。

 やっぱり居た! でも1人? 他人と一緒なのは気まずいけれど助かった。充分観測は出来る。

 少し落ち着き、ゆっくりと近づく僕はに気づいた。

 望遠鏡? その人はすでに望遠鏡をセットしている様だ。

 この時間にこの場所に1人だもんな。やっぱり天文好きな人か。僕は、変に納得していた。

 その人も近づく僕に気づき、こちらを見ている様だ。

 掛かっていた雲が外れて満月の明かりが見晴台を照らし出す。

 ——自動販売機の明かりとは桁違いに明るく、満月の光がその人を照らし出す————

 腰まで届く純黒じゅんこくの長い髪が光っている——

 僕の鼓動が一気に速まる————————

 ————高鳴る

 そこに立っていたのは——

 乃万嶌のましま かな——だった。

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