温泉の二人
ほう、ここか。しかしまあ、谷奥温泉の名の通りで、ホンマに谷の奥にあるわ。
「ユッキー。ここの温泉の特徴は」
「ここは長寿の湯として知られてるの」
「なるほど! ユッキーも今年で七十九やもんな」
「コトリだって四十三よ」
あいたたた。寿命が短いのもかなわんわ。下手すりゃユッキーより早いもんな。さて今日の宿やけど探すほどのもんやないな。ここが福寿荘か、
「こんにちは、予約してた木村ですけど」
「いらっしゃい」
ユッキーの温泉旅行の趣味もどんどんディープになっとる。まあ、有名どころなら肩書ばれやすいし、バレたらバレたで大変なのもあるからな。コトリもこの手の鄙びた民宿好きやし。
「まず風呂やな」
「楽しみ、楽しみ」
ここが村営の公衆浴場か。岩風呂ってのが乙だけど、かなりどころでないぐらいガタ来てるな。でもボロッちい割には案外混んでるわ。
「お嬢さんたち、どこから来たの」
「はい、神戸からです」
「まあ、遠いとこから」
「そりゃ、長寿のためですから」
どっと笑い声が、
「その歳からここの温泉入ったら二百歳まで生きるかもよ」
まあ、見た目はそうやろな。それでもホンマに長寿に効果があるかどうかはともかく、気持ちのエエ湯やで。風呂を上がると、
「景色は悪ないけど、なんもあらへんな」
「それがイイんじゃない」
まあそうや。宿に戻ると、
「タケシさんもえらいとこにおってんやな」
「さすがのシノブちゃんでも、ここはわかんないよ」
タケシさんの行方を追ってたんだけど、やっと見つかったのは赤壁市の城下町フォト・コンテストに応募してるのを見つけたからやねん。そこから立木写真館に勤めてるのがわかって、その前に谷奥温泉の民宿福寿荘におったんがわかったんや。谷奥温泉も温泉好きのユッキーでさえ聞いたことがなかったところやってんよ。
ここのところ国内出張でやってる遊びが、お忍びでディープな温泉巡りをやること。これもミサキちゃんがおったら、ちょっとうるさいんやけど、育児休暇中やからな。これぐらいはお目こぼししてもらおう。
「メシはなかなかやで」
「うん、こういうのは好きだよ」
素朴やけどしっかり手間がかかってるのがわかるんよね。
「山菜のアク抜きが見事やな」
「どじょうも旨いもんや」
「モズクガニも最高」
山の幸って感じがビンビン伝わって来るわ。これをお代わりせん手はない。
「それにしてもアカネさん変わったね」
「あれだけ三十階来るのを嫌がってたのにな」
進んでやって来て、コトリやユッキーたちに頭を下げて頼むんよね。
『なんとかタケシの行方を捜してください』
言われんでもやっとったけど、シノブちゃんには土下座しそうな勢いで、
『タケシのカメラとレンズを探してください』
どういうこっちゃと聞いたら、必ずタケシさんはカメラとレンズを売り払うはずだって言うんよね。カメラマンがカメラやレンズを売るもんかと思たけど、
『タケシのカメラは・・・』
ようそれだけ覚えてると思うぐらい特徴を教えてくれた。シノブちゃんは中古カメラの販売店に網張ってたら出て来たんよね。見つかったと聞いたら三十階に飛んで来て、しっかり抱きしめて、
『間違いなくタケシのカメラとレンズです。ありがとうございます』
代金ぐらいかまへん言うたんやけど、強引に押し付けられた。あれだけ感謝されたらシノブちゃんもやりがいあったんちゃうかな。
「シオリもさすがね」
「そやった」
タケシさんの居所がわかったと聞いて、アカネさんは涙流して感謝してくれた。連れ戻しに行かなあかんけど、時刻が時刻やんか。さらにやで、アカネさんにしろ、シオリちゃんにしろ、テンコモリ仕事抱えてるやん。
いずれにしても翌日からの話やと思たし、迎えに行くにしてもオフィス加納のスタッフを行かせると思ててんよ。そしたらシオリちゃんは、
『アカネ、すぐ行け』
『はい』
『仕事はなんとかする。どれだけ時間がかかっても必ずタケシを連れて帰って来い』
『ありがとうございます』
『それと伝言を頼む。課題は合格だ、それと連続無断欠勤の記録更新を止めてくれってな』
シオリちゃんは逃げ出したタケシさんの籍を置いたままにしてたんだよ。
「ところで赤壁市の調査やけど」
「あれか。どうしようかな」
評価は微妙。市長の行政手腕はなかなかや。在任中に観光都市として発展させてるんは間違いあらへん。問題は内容やな。
「まあ裏で政治資金集めしてるぐらいは、どこでもそれなりにやってるから、エエようなもんやけど」
「これだけ外部資本を引っ張り込んだら、いずれ行き詰るわ」
「赤壁市に残る分が少なすぎるのよね」
地場産業でカバーするのが理想やろうけど、そうはいかへんのはわかる。足らん所は外部資本でカバーするのはなんも問題あらへんけど、ちょっと極端すぎる気がする。観光都市言うても、観光客が落としたカネを税金として回収して成り立つんやけど、これじゃ殆ど外に流れてまうもんな。
「そこまで地元になかった訳やあらへんのにな」
「むしろ積極的に潰してる気がするわ」
「手は出さん方が賢明やろな」
「わたしもそう考えてる」
まあエレギオン・グループが本格的に進出するにも、美味しいところは既に抑えられてるし、喧嘩してまで進出する魅力は乏しいな。
「コトリ、どうする」
「余計なもめごとにクビを突っ込むのは好まへんけど、アカネさん絡みやから、臨機応変にしとこ」
「そうね」
次の料理が来て、
「うひょ、鹿肉の陶板焼きやんか」
「これは美味しそう」
鹿肉の臭み抜きも完璧や。鹿肉は焼き過ぎると固くなるから、陶板焼きとはアイデアかもしれん。
「これはいけるで」
「だったら」
「いかなきゃ」
「すみません、追加で三人前」
凝った料理もエエけど。こういう料理食べると、古代エレギオン時代を思い出すんよね。もっとも当時は、お代わりは女神のマナーに反するとされとったんや。それどころか、味の良し悪しを人前で口にするのもタブーやってん。
アングマール戦の前の女神の巡幸の時なんか、そりゃ、御馳走だしてくれてんけど、チョッピリやってんよね。これも女神は人前ではガツガツ食べへんのがマナーとされててんよ。
「あの頃のマナーは誰が決めたんやったっけ」
「あれは三座の女神。コトリが面倒がって任しちゃったんじゃない」
「ユッキーも他人のこと言えへんで」
「そうだけど、あの頃は、ああせざるを得なかったし」
あの頃はマジの公認の女神やったからしょうがないと思うけど、
「イイ時代になったね」
「ホンマや、なんぼでも好きなだけ食べれるもんな」
「ビールもイイけど、岩魚の骨酒飲もうよ」
「それイイね」
三杯ぐらいお代わりしたら、
「お客さん、すみません。モズクガニも岩魚も鹿肉も売り切れです」
「じゃあ、他はなにがありますか」
宿の人が目を丸くしてたけど、
「ここは投資してもイイかもね」
「アカンて。ここはこのままにしとくのが一番」
「そうかもね。でもせめてお風呂ぐらい」
「アカン、あれが風情ちゅうもんや」
まあユッキーの気持ちはわかるけど、中途半端に観光開発されるのが一番タチが悪い。やるなら徹底的にやるぐらいじゃないと。他のことなら氷の計算しかしないユッキーが温泉になると甘くなるんや。翌朝はもう一度お風呂に入って、タクシーを呼ぶように頼んだら、
「送らせて頂きます」
あは、あれだけ追加注文の嵐があったのは前代未聞だってさ。だからこれぐらいはサービスしてくれるって。やっぱりエエとこや。風呂ぐらいは直してもエエかもしれん。
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