思い出話

 今日のアカネはツバサ先生と一緒に商店街の串カツ屋さんに。オフィス加納というか、ツバサ先生の方針で弟子の数は師匠に付き一人か二人にしてる。師匠はサトル先生とマドカさんがいるから合計四人だから、弟子の数は最大で八人になる事になる。もっとも最大なんていたことなくて、だいたい五~六人ぐらいかな。どうしてこの数にしてるかだけど、


「数抱えた時もあったが、本気で育てるならこの方式が良い」


 ツバサ先生のこの言葉は裏も表もないんだ。機材の準備もそう。これも独立した時に一人で出来るようにするためのもので、その日の撮影予定から必要な機材を考え準備させるんだ。撮影機材は重いのが多いから、持って行きすぎると荷物になるけど、足りなければ、


『それが無いのだったら撮影中止、帰るぞ』


 ここまでやられることもある。アカネも一度ぐらいは撮影中止事件を起こしてる。


「ウソつけ、片手を余裕で越えてるぞ。だいたいだぞ、室内撮影に化け物みたいな望遠だけ抱えてきたりとか、魚眼レンズだけってのもあったぞ・・・」


 カメラバッグごと忘れた時には、ロケ先でさすがのツバサ先生も怒るのを通り越して唖然としてたもんね。よくあれで破門にならなかったか今でも不思議なぐらい。



 撮影現場ではアシスタントから始まるけど、この段階が一番つらい。誰がどう見ても自分が現場の足を引っ張っているのは丸わかりだし、そのために撮影スケジュールが遅れるだけじゃなく、


『今日はここまで。明日もこの続きをやる』


 こう言われたら申し訳なさと、絶望感しか出て来ないんだ。アカネも何日か撮影を遅らせたことがある。


「アカネ、見栄張るな。アカネの時は休日が全部潰れても追いつかず、納気が遅れるクライアントへの釈明でスタッフが総出で走り回ってたぞ」


 ギャフン。でもその通り。仕事が遅れに遅れて、一年近くオフィス加納が無休状態になり、今でも、


『アカネの時に較べれば・・・』


 これが弟子への慰めの定番として使われてる。もっともアカネほど程度の低い弟子が取られることは珍しく、


「あんなものが二度と起こるか!」


 ツッコミがウルサイぞ、合ってるのが悔しいけど。オフィス加納最大のミステリーとさえ呼ばれるアカネの採用がウルトラ例外で、通常の弟子のレベルは高い。そりゃ、基本技量として求められるのは西川流の師範クラスだもんね。だから焦点を笑点と勘違いするようなレベルの者はいないんだ。


「いる方が今でも信じられん。F値をフォーミュラ・レースのカテゴリーとか、パン・フォーカスが食パンを撮るためのピント合わせ法とか、絞りを一番搾りと思い込むとか・・・」


 うん。散々やらかした。それでもツバサ先生がエライのは、そんな弟子でも付いてくる限りは絶対に見放さないこと。怒鳴りながらも弟子の水準に合わせ、わかるように何度でも教えてくれるんだ。どれだけツバサ先生が弟子の育成に情熱を傾けてるかよくわかるし、アカネも感謝してる。


 写真への指導もそう。とにかく撮って持って行けば、根こそぎガンガン指導してくれる。一枚一枚にこれでもかの指摘の山を積み上げるから時間がかかるのだけど、必ず最後まで見てくれる、アカネは師匠なら誰でもそうだと思い込んでたけど、マドカさんに聞くとそこまでやるのは異常らしい。



 そんなアカネにも弟子がいる。アカネの弟子育成法もツバサ先生直伝のつもりだけど、やって見ると確かに難しい。弟子入りがあんなに難しいのに三ヶ月ぐらいで逃げちゃうのが多いんだ。


「それはアカネのせいじゃない」


 珍しくツバサ先生が弁護してくれたけど、アカネだけでなく優しそうなサトル先生や、あの上品の権化みたいなマドカさんの弟子も同じぐらい逃げてるものね。もちろんツバサ先生もそう。


 アカネの時はサキ先輩、カツオ先輩、アカネ、そしてマドカさんまで逃げる素振りも見せなかったから、必ず残るものと思ってたけど、


「あの頃の弟子は根性あったよ」


 さらにあの頃はアカネとマドカさんがプロになり、サキ先輩は動画にその才能を見出されとポンポンと一人前になってたから、これからドンドン量産されるのかと思ってたんだけど、そこから十年以上して個展まで漕ぎ着けたのは、片手もいないんだ。それも誰一人合格できず、オフィス加納を去ってるんだ。


「あの頃が異常だったのだよ。マドカですら並に見えるぐらいだっただろ」


 今から思えばそうだったかもしれない。マドカさんの入門時の写真を見ても、全然上手いと思わなかったもの。あれぐらいだったらアカネの方が上だったし、サキ先輩や、カツオ先輩は段違いだったし。


「タケシはどうだ」

「そろそろペンギンを撮らせようかと」

「まだ早いのじゃないか」


 アカネの経験とマドカさんの時の事を合わせて考えると、動くものを撮る段階は重要な気がしてる。本来のステップは動物なりが済んだら、次は人物とか、アート系の風景写真なんだけど、実はその段階に進んでプロになった者はアカネの知っている限りサトル先生だけ。


「サトルの場合か。あれは変則だったのだよ。わたしも歳が歳だったから焦ってね。そりゃ、いつお迎えが来るかわかったものじゃなかったし」


 加納先生が最後の弟子にサトル先生を取ったのは八十歳の時。うん、いつ死んでもおかしくないものね。実際にもサトル先生が個展を成功させて三か月後に亡くなってるし。


「だからサトルが得意とする風景写真に特化させてプロの壁を強引に越えさせたのだ。サトルのテクニックに一番合ってたからな」


 日本の風景を渋く撮らせたら、サトル先生に勝てる者はいないと思う。あればっかりは、アカネでも難しいもの。


「その代り、人物写真を大の苦手にしやがって、逃げちまいやがったのだ。お蔭でオフィスは倒産寸前まで追い込まれた」


 これも聞いてる。オフィスの危機を知ったツバサ先生が大学を中退してまで駆けつけ、なんとか盛り返して今に至るって感じかな。


「だからサトルにはもう一度、壁を越えさせる手間がかかったよ。結局だけど、サトルはまだ壁を完全には越えてなかったのだと思う」


 動物を撮れるのが、なにかのカギになってるのは間違いないと思うんだ。もうちょっと格好良く言えば、予想できない動きの中でベスト・ショットを拾えるテクニックかな。マドカさんだって、これを会得することで壁を越えたんだと思う。


「アカネやマドカの場合は、どっちかというと例外だが、プロの壁を越えられる者自体がそもそも例外だからな。越えられる奴は越えられるし、越えられないものはどんなに努力を重ねても弾き返される」


 これも弟子を持ってみてよくわかった。アカネは通り抜けたから実感なかったんだけど、確実にプロの壁はある。そもそもだけど、壁にたどり着くだけでも大変で、そこまで行く者もホントに少ない。


 そこから越えなきゃならないけど、これを越えられる者は才能としか言いようがないのよね。オフィス加納で最後に越えたのはマドカさんだけど、あのマドカさんでも悪戦苦闘の果てだったし。


「タケシはどうだろう」

「ここからが正念場です」


 ツバサ先生もタケシには期待している。もちろんアカネも期待している。でも壁からは導くことは出来ても教えられるものじゃない。本人の努力と天分がどれだけあるかに尽きるんだよな。アカネも一人ぐらいプロを育て上げてみたいもんだ。


「マドカ以来だものな」

「なかなか出ないものですね」


 ここからは手探りの世界になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る