プロの凄味
アカネ先生から次に任されたのがオフィス加納の仕事。まだ弟子ですから、近所の商店街のスーパーのチラシの写真です。こんなものまで引き受けてるのに驚きましたが、
「これは近所づきあいもあるけど、弟子の育成用のものだよ。でもね、これも仕事だよ。オフィスの看板背負ってるのを忘れないように」
弟子の育成用と言われても、ボクの腕がそこまで低く見られているのにガッカリした気分になったのは確かです。この手の仕事はやった事があるので、サッサと済ませて持って行ったら、
「おもしろくない。やり直し」
おもしろくないと言われても牛乳パックとか、ペットボトルですから、工夫のしようもないのですが、撮り直して持って行っても、
「ありきたり。却下」
何度何度も却下された挙句、驚いたことに、
「納期もあるから、見といてね」
なんと、なんとアカネ先生が撮られたのです。これがビックリ仰天もので、ボクも見ただけでその商品に飛びついて買いたくなる写真がそこにあります。
「タケシ、どうしてわざわざオフィスに仕事を頼んでるか考えたことがある? タケシの写真ぐらいなら誰でも撮れるのよ。それ以上のものをクライアントが要求しているのをキモに銘じといてね」
しかし凄い写真で、実際に撮られるところを見ていましたが、後からどんなに真似ようとしても、似た写真さえ撮れません。あれこれ格闘しているところに、ツバサ先生が通りがかり、
「あれはそう簡単には撮れないよ。無造作に撮ったように見えるかもしれないけど、今のタケシじゃ無理。あれがアカネの商売繁盛伝説の写真だからね」
これも聞いた事だけはあります。まだ弟子時代のアカネ先生が商品広告を撮ると、どの商品も飛ぶような売れ行きになったとか。そのためにまだ弟子であるにもかかわらず、指名依頼が山のように押し寄せてきたそうです。
「タケシ、一つ教えておいてやるが、アカネは才能の化物みたいな奴だが、才能だけで撮ってるのじゃないよ。どんな仕事だってアイデアと工夫をテンコモリ詰め込んで、惜しみなく努力するのだ。こんな仕事だって手抜きなしどころか、ここまでテクを上げてしまったのだよ」
そのテクニックには驚かされましたが、こんな物をいきなり要求されても、
「タケシ、ちょっと来い」
ツバサ先生の部屋で見せられてものは、
「これがアカネの初仕事だ。これはモデルまで使って足が出たが、それだけの価値がある仕事だと評価している。当時のアカネのテクニックは低かったが、それでもアカネは持てるだけの力を振り絞り、アイデアにアイデアを凝らしてこの写真を生み出した」
柴田屋の極渋茶の広告写真ですが、普通に撮れば茶筒とか、茶葉とか、淹れたお茶を撮るぐらいしか思いつきませんが、撮られていたのは極渋茶を飲んで、思いっきり渋い顔をしてる顔です。
「これを極限にまで高めたテクニックが商売繁盛伝説の写真だ」
オフィス加納ではテクニックの用語の使い方が他と少し違うところがあります。通常の使い方はボケとか、流し撮りとか、逆光撮影とか、構図の工夫とかの撮影法ぐらいに使われます。
そういう使い方もオフィスでもしますが、もっと包括的というか、トータルなものとしても使われます。たとえばアカネ先生の商売繁盛伝説も一つのテクニックで撮られた物でなく、シチュエーションに応じて様々なテクニックが駆使されているとして良いはずです。
なかなかうまく表現できないのですが、通常で考えるテクニック、たとえばボクから見たら驚異としか思えないツバサ先生の光の写真や麻吹アングルでさえ、
「あんなものは基礎技術だ。それを盗むのが弟子の仕事だ」
「盗まれても良いのですか」
ツバサ先生は大笑いされて、
「たかが基礎技術を盗まれたぐらいで、アカネの写真に簡単には追いつけないよ。あの写真こそが真のテクニックだ。あれを盗めたらたいしたものだ」
まだボクも不消化の部分がありますが、いかに高度なテクニックも写真を撮る基礎技術の一つに過ぎず、それらのテクニックを自由自在に駆使するだけでなく、それでもって如何に質の高い写真を撮ることこそが、オフィスではテクニックと呼んでいると見て良いはずです。
「あったりまえだろ。どんなに絵が上手くたってプロになれないよ。プロの絵描きは上手な絵を描くことじゃなくて、売れる絵を描くことだ」
これはボクにもわかります。写真は偶然の一枚を拾い上げることもありますが、アカネ先生はまず撮るべき理想のイメージを抱き、それに近づけるために、どんな努力も惜しまれません。さらに言えば、そのイメージが途轍もなく高いところになります。
撮影後にロー画像の編集をしているところを見たことがありますが、殆ど手を加えることがありません。ロー画像段階で九分九厘完成しているのです。それも、撮った写真のほぼすべてがです。その写真でさえ、
「これはイマイチ」
「切れがもう一つ」
「アングルが甘すぎた」
ほとんど気に入らないようです。それらの写真はボクの最高傑作さえ鼻息で吹き飛ばしそうな作品ですが、アカネ先生にとっては失敗作の位置づけであるのはよくわかりました。そして最後に、
「これなら合格点かな」
選び抜いた一枚は、目の覚めるようなものです。あのレベルこそが、ツバサ先生とトップを争う巨匠の仕事だと見せつけられた思いです。あの写真を撮れる事こそをテクニックと呼び、区々たる撮影技術は光の写真や麻吹アングルでさえ基礎技術と言い切ってしまっているぐらいです。それからは心を入れ替えて商店街の仕事に取り組んでいますが、
「タケシ、工夫がないと思えば終わっちゃうんだ。なんの変哲もないものでも、工夫の余地はいくらでもあるんだよ。それをいつでも絞り出せてこそプロなんだ」
今日もボクが撮って来たすべての写真をチェックし、そのすべてに指摘の山を築いた後に、
「タケシには可能性があるよ」
「ホントですか」
「ツバサ先生も期待してる。頑張ってね」
本当にボクに可能性があるのでしょうか。アカネ先生との途轍もない差に茫然とするばかりです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます