本当に刺さった痛い話

柿尊慈

本当に刺さった痛い話(起)

「昔、偽物の刺さらないナイフと本物がすり替えられて、自殺する演技をした役者が舞台上で本当に自分を刺してしまった事件があってね」

 配布されたパンフレットに視線を落としていた僕は、そんな織羽おりばくんの言葉に集中力を掻き乱されてしまった。

「それは……これから初めて劇を観ようという人にする話じゃないんじゃないかな」

「ふふっ」

 その横顔は相変わらずの美青年ぶりで、実は彼も舞台役者なのではないかと錯覚してしまう。友人である彼はイケメン俳優で、僕は彼の知り合いの舞台に連れてこられた一般人、というような感覚だ。

 しかしまあ、美形の彼はまだしも、僕は間違っても役者になれないだろう。性格は明るくないし、奇妙なシチュエーションにおいてしかペラペラと話すことができない。表情をコロコロ変えたり、激しく動いたり美しく舞ったりすることは向いてないはずだ。

「結構才能はあると思うけどね、河童場かわらばくん」

 僕の小言を拾って、織羽くんは肯定的な反応を示す。

「文学部にいると、戯曲が好きな人とか、劇をやってる人とかを見ることが少なくないんだけど、なんとなく暗い――というと失礼かな。なんだか陰があるような人ばかりだよ。むしろそういう……なんていうのかな。自己主張およびキャラクターの弱い人の方が、役に入りやすかったり、役を忠実に再現できたりするんじゃないかな。元々性格に難があるような人は、たぶんそういう役しかできないし」

 遠回しに、君はキャラクターが薄いねと言われたようなものだ。

「言い訳をしておくけど、君に才能がありそうだと言ったのは、決して君が薄っぺらいからというわけではなく――僕がこの目で、君が没頭している場面を見ているからなんだよ。何かに取り憑かれたように――詳しくないけど、明智小五郎とかが舞い降りてきたかのように、すらすらと饒舌になって真相を暴く君は、ある意味で彼らに近いんじゃないかなと思ってね」

 あまり明智小五郎が好きではない僕にとって、その言葉は喜ぶべきものだとは感じられない。

「ところで、織羽くん。ひとつ聞きたいんだけど……」

 僕は乱歩を思い出させるものから逃げるように話題を変えた。

「この、フリーカンパっていうのは、どういう意味かな?」

 パンフレットと一緒に配布されていた公演のチラシに「料金はフリーカンパ制です」と書いてあるのだ。映画を観ればお金を払うのは当然だが、さて、この意味不明な記述のために、僕は今回の公演に対する対価を、どれだけ払えばいいのかわからないのである。

 今日、織羽くんと待ち合わせる前にも、彼に料金の確認をしたのだが「交通費だけ持ってくればいいよ」といわれ、安心していた。しかし、フリーカンパと何だよ、と。料金のことが書いてあるじゃないか。無料とは書いてないじゃないか、と。払えなかったらどうすればいいんだ。

 織羽くんは一瞬だけ周囲を確認してから、僕の方を見ず、ひとりごとのように言った。

「やや、グレーな話をしようか。今から俺たちが観ようとしているのは学生団体の劇だから、正直言って生活がかかってるわけじゃない、お遊びのようなものなんだ。

 だけどこれが、プロによるものだったら話は変わってくる。彼らは生きるために劇をやっているわけだから、当然ギャランティが必要だ。そして、大がかりな舞台や衣装をつくればその分だけ費用がかさむ。そうなってくると、キャストやスタッフへのギャランティを払い、次回公演の準備ができるほどの額の売上が必要になってくる。

 売上というのはズバリ、チケット代さ。例えば客のひとりから2000円を取って、1回の公演に50人が来るとする。つまり1回の公演で、10万円が入ってくるというわけだ。例えば2日間、1日に2回公演を打てば、40万円が入ってくることになるね。もし衣装代に50万円かかっていたら、これじゃ赤字だ。

 しかしチケット代は、単純に赤字を回避するように設計すればいいわけじゃない。というのも、施設の利用料金についても考えなければいけないからだ。ここは市民に開放された施設だけど、それは無料で開放するというわけじゃない。

 この公共施設の利用料金が非常に厄介というか、複雑なんだよね。というのも、料金は一定ではなくて、入場者に対する料金に応じて変化するから。わかりやすく言うと、お客さんひとりから500円もらう劇と2000円もらう劇とでは、施設の使用料金が違うんだ。もちろん、後者の方が高くなる。つまり、客から多くの料金を取ろうとすれば、自分たちが施設に払う金額も増えてしまうというわけだよ。さじ加減が必要になるわけだね。予想される客の人数からチケットの価格を決めて純利益を計算し、最終的にどれだけ赤字なのか、あるいはどれだけ黒字なのかを考えなければならないんだよ。もちろん、そもそもチケットの金額によって客は行くか行かないか決めるから、完璧な試算なんか出せない。

 前置きが長くなったけど、客がいくら払うのかというところが、劇団にとっては重要なんだ。これは、利益を考えない――ただ自分たちが楽しめればいいと考える傾向の強い学生演劇団体にとっても同じなのさ。やりがい重視で赤字確実でも、やっぱり出費は小さい方がいいからね。

 入ってくる金額についてはいったん置いておくとして、そうなると一番費用を減らせるのは、客から一律の料金をいただかない、ということなんだ。繰り返すように、施設使用料は客の払う対価によって変動するのだから、料金が0円――つまり無料であれば、利用料金のグレードは一番小さくなる。

 しかし、このままだと本当に金が入ってこない。プロは間違いなくこの手法は取らないだろう。学生はといえば、金がない。ない金をみんなで出し合った――あるいは、これから出し合う予定だけど、できることなら1円でも多く負担は減らしたいと思うだろう。そこで便利なのが、フリーカンパという言葉なんだ。

 君もうちの大学に入学したくらいだから、英語の知識はある程度あると見ていいよね。フリーというのはこの場合、無料のという意味じゃないよ。自由という意味だ。つまりいくら払うかは自由、払うかどうかも自由、というわけ。はっきり言うけど、募金みたいなものさ。

 こうすれば、もしお客さんから1億円がカンパされたとしても、あくまでも勝手に渡して来たお金だから、施設利用料に影響することはないんだよね。1億円を払った人も1000円を払った人も、1円も払ってないお客さんもいるわけだから、そもそも料金としてカウントできないんだよ。

 たまに、いくら払えばいいのかわからなくて困る、ちゃんと料金を決めてくれ、みたいな話を聞くことがあるけど、それには団体なりの苦労というか、リスク回避的なものがあるんだよね。あくまでも施設利用料は売上全体ではなくチケットの金額で決まるから、5000円のチケットが1枚も売れなくても、施設利用料は5000円のグレードに対応してしまう。だったら、最初から決めないで客一人ひとりの感性に任せた方が色々と楽なんだ。

 そういうわけだから、河童場くんはこれを観終わった後に一銭だって払わなくたっていい。もちろん、貯金すべてを寄付する手だってある。価値があるのかないのか、どれだけの価値があったのか。すべては君が決めていいんだ」

「でも僕は、カンパお願いしますって言われたら素通りすることはできないよ」

 織羽くんは小さく方を振るわせる。

「そうだね。君はそういう、やさしい人間だ」

「でも困ったことに、僕は本当に今お金を持ってきてないんだ」

「劇団員はみんな、同じ大学の学生だよ。後日気に入った役者をキャンパス内で見かけたら、あの時払えなかったカンパですって言って押しつけたらいい」

 それはそれで、横領されそうなものだけど。

「まあ、お金の問題が絡んでるんだなってことがわかったよ。とりあえず帰りには、ありったけの小銭を支払うことにする」

 僕はさりげなく、財布の中身を確認した。

「でもなんというか、価値が決まっていないというのも変な話だよね。決められないっていう方が、正しいんだけどさ」

「タダほど怖いものはない、なんて言葉もあるよね」

 織羽くんが、神妙な面持ちでつけ加える。

「料金は、関係者のモチベーションある程度関わってくるからね。5000円ももらうなら、それ相応のがんばりを見せないと! って思うかもしれないし、逆に無料だと決まっていれば、どうせ客が払うのは時間だけなんだからと、手を抜く可能性だってありうる。

 そして組織運営的な意味での一番の問題は、お金というのは数字で、誰にとっても同じだけの意味を持つけれど、その重さの感じ方は一人ひとり全然違うということだ。バイトをしながら学費を払っている学生は、5000円は高額だから頑張らなきゃと思うかもしれない。一方で、お金に困ったことがない富裕な家庭に生まれた学生なら、5000円なんか大したことないと考えるかもしれない。その場合、このふたりの練習態度や意欲には大きな差が出てきてしまうから、不満やすれ違いが生じる可能性が非常に高くなる。どうしてもっと真面目に取り組んでくれないのか。どうしてそんなに熱心に暑苦しくとりかかるのか。

 これはお金だけに限らず、時間についても同様だね。忙しい人ほど1分1秒が大事だから、練習時間を忠実に守ろうとするかもしれないし、ヒマな人ほど時間の価値は低いから、平気で遅刻してくるかもしれない。まさに価値観の違いというやつだ。つまり、料金0円なら値段に対する違いは生じえないけど、その練習に費やす時間や作品それ自体の価値は、やっぱり参加者によって違うんだよ。そしてそのおかげで――」

 ここで織羽くんはぴたりと言葉を止めた。そして誤魔化すように微笑してから、自身もパンフレットに目を通す。


 織羽くんの知り合いの女性が、自分の出演している劇を観てくれないかと誘ってきたらしい。同じ大学の文学部に所属している女性で、織羽くんとも交流が多く、織羽くんは既に何度か彼女の劇を観ているようだ。そしてありがたいことに、知り合って間もない僕にも、織羽くんは声をかけてくれたのである。

 織羽くんが土曜日にバイトのシフトが入っている関係で、僕たちは日曜の午後――どうやら千秋楽というらしい、最後の回を観に来ていた。

 大学の最寄り駅から、乗り換えを挟んで数駅隣。様々な方面へと走るバスがいくつも待機しているロータリーを華麗に無視して歩くこと20分ほどすると、この劇場が見える。いや、文化会館とか呼ぶべきなのだろう。覚えてないが、建物の名前も何とか会館だった。

 劇場という言葉からイメージされるのは、薄暗い地下の――そう、ライブハウスなんかに近いものだ。対してここは、市が運営している公共施設のひとつであり、音楽の演奏会などが頻繁に開かれているもので、アンダーグラウンドなイメージはない。明るいというと変だが、地域に対してオープンな印象がある。今回は演劇の鑑賞に来たわけだが、入口に張られていた今後のイベントのポスターは音楽関係のものが多く、たまにではあるが、地元の有名な歌手によるコンサートも行われているらしい。

 そのため座席数はなかなかのもので、そこらへんの映画館よりもキャパシティが大きいようにすら見えた。理由は後でわかるが、劇場のことを調べたときの情報によると、座席数は200らしい。今は開演15分ほど前。座席はキャパのおよそ半分――に、少し届かないくらいか。70~80人ほどが座っている。

「なんだか、平均年齢が高いような気がするんだけど」

 きょろきょろと観客席を見回すと、白髪まじりの男女が多いのがわかった。

「少し離れたところに、昔ながらの一軒家が立ち並んでいてね。そのあたりだけ住民の年齢が高くなってるんだ。

 子どもはとっくの昔に独り立ちし、なんなら孫さえいるけど誰も会いに来ない。農作業でも始めたいけど、腰が悪くてそんなことできやしない。かといって家でテレビを観てるばかりじゃ不健康だ。散歩がてら、休んだり時間を潰せたりするような場所はないものか。

 で、ここがちょうど活動限界のあたりにあるわけだよ。おかげでこの建物は、おじいちゃんおばあちゃんだらけさ。でも公民館のような公共施設っていうのは、高齢者の孤立を防ぐことに大いに貢献しているから、教育的な施設という本来の目的を達成できているかはさておいて、社会にとって必要な施設というわけ。

 俺や君を含め、ここにいる若い人たちはおそらく学生だよ。近くの別の大学の劇団員、あるいは俺みたいに出演者の知り合いだ。高齢の方は正直、観に来たくて来ているわけじゃなくて、たまたま今日やってるから入場してみた、くらいなもんだよ。席が埋まるから役者たちの最初のモチベーションは高まるけど、開始10分くらいでおじいちゃんおばあちゃんの大半はお昼寝タイムに入るから、やっぱり彼らにとって重要なのは俺たちの反応なんだ。俺たちが釘付けになっているかどうかが、役者たちのやりがいとか喜びに繋がるというわけ。河童場くんは、こうして劇を観るのは初めてってことだから、そこまで劇自体が面白くなくても新鮮に感じられるんじゃないかな。あとでアンケートに回答するとか、気に入った役者に声かけるとか、してみるといいよ。きっと彼らも喜んでくれる。だから存分に、楽しんでくれたまえ」

「……楽しませたいなら、さっきみたいな話はやっぱりするべきじゃなかったと思うよ」

 織羽くんがケラケラと笑う。

「さっきの話ってのは、どれのことだい? 高齢者の話?」

「ナイフの話」

 初めて観た劇の最中に事件なんか起きたら、僕は一生劇が観れない体になってしまうような気がする。いや、これからの人生で劇を観るなんてことはもうありえないかもしれないんだけどね、そもそも。今回のように、織羽くんに誘われでもしない限り。

「ナイフの話はね、少し前に襟平えりひらから聞いたことなんだ」

「エリヒラ?」

 聞き慣れない人名に、僕は首を傾げる。すると、僕の左側に座っている織羽くんは、体を捻って肘置きにもたれかかり、僕の持っているパンフレットを指差した。改めてパンフレットを開き、キャスト紹介のページを見る。出演者は4人。多いのか少ないのかもよくわからない。見開きの、右側のページの下の段の女性。襟平実――エリヒラ、ミノリと読むのだろうか。すると彼女が、今回織羽くんに声をかけた役者さんということになる。そして、ナイフの話をした張本人。

「いや、彼女は今回の劇で相当苦労をしたみたいでね。5限が同じ教室なもんだから、昼食を取りながら毎週その愚痴を聞かされ続けてきたんだよ。誰々と誰々がケンカしたとか、誰々が怒って帰ったから昨日は練習が中止になったとか、そういう話ばかり。観に来いというのなら、もう少し観に行きたくなるような話をしてくれればいいのにね。実際は、ネガティブキャンペーンだよ。でももしかしたら、俺がおかしいのかもしれないじゃないか。劇を観る前に劇に関する嫌な話を聞かされたらモチベーションが下がる、なんてのはありえないことなのかもしれない、と。だから君で実験をしてみた。どうだい、ワクワクしてる?」

「テンションが下がっているよ」

「うん、じゃあ俺は正しいわけだ」

「観終わったら襟平さんに、宣伝の仕方は考えた方がいいって伝えないとね」

「河童場くんが言ってくれるのかい?」

「人見知りの僕が言えるわけないでしょ」

 などと談笑していると、ブザーが鳴った。時計を見ると、上演開始時刻の5分前である。舞台上にひとり男性が出てきて、スマホの電源は切れだの、トイレ休憩はないだの、くどくどと説明し始めた。

「彼は、誰だろうか」

 かなり離れた場所にいるのに、淡々と喋る男性からはひどく冷たい印象を受ける。神経質な顔つきで、まるで整え方を間違えたかのように眉毛が吊り上っている。開演前の挨拶だというのにニコリともせず、まるでその説明のために雇われたかのように、嫌そうな顔をしていた。黒い襟つきのシャツに、黒い細身のパンツを履いている。衣装ではないだろうし、写真つきのキャスト紹介のページに乗っていないとなると、裏方の誰かなのだろう。

「彼が曲者くせもののひとりらしいよ」

 男性が舞台袖に去っていくと、織羽くんが声をひそめて言うのが聞こえた。

「今回の劇の脚本を書いて、演出を手がけているらしい。ええと、名前はなんだっけ。――そう、郡田ぐんだだ。1年前かな。彼と同じ授業を受けたことがあって、他のグループに彼はいたんだけど、彼のところのグループは話し合いがギスギスしていたね。自分への反論に対しては徹底的に――かつ、かなり論理的に叩き潰すし、自分が他の人の意見のアラを探すまでは次の話題に進めないとか、まあ自分勝手な人だよ。いや、自分勝手という意識はないんだろうね。公共心が強いといってもいい。彼の立場が果たして公共的かはさておき、自分の考えが人類の総意、一般意志であると疑わない感じだ。彼が中心の舞台稽古が、どれだけギスギスしたものであるか想像に難くないね」

「織羽くん、これ以上のネガキャンは許しませんよ」

 くくっと笑って、織羽くんは背もたれに体重をかける。

「まあ、それだけ嫌な練習続きだったのに、襟平は俺に来るよう言ってきたんだ。この劇には、よほどの何かがあるに違いないよ」

「――小道具のナイフをすり替えてあるとか?」

「そういうことだね」

 ふたりで笑い合うが、照明がフェードアウトしていくのを感じて、僕たちは静かに姿勢を正した。

 白髪の目立つ観客席が、闇に溶けていく。いや、僕自身が闇に飲み込まれているのかもしれない。ただ電気を消すのとは違った、不思議な暗黒の訪れ。人々の叫び声が聞こえてくる。実際のものではない。効果音だ。視覚情報が遮られた分、耳が過敏になっている。舞台の上の方にあったスピーカーから聞こえているものだろう。叫び声のシャワーを浴びているような気分である。

 次に照明がついたとき、世界はすっかり『劇』になっていた。うっかり僕は、劇の雰囲気に興味を持って前のめりになってしまったのである。

 そこからの上映時間90分は、穏やかに、それでいてスリリングに過ぎ去って行った。正確には、残り数分のところまで。




 劇はいわゆる伝記モノで、主人公ヴォロネークの誕生から始まり、彼が独裁者として君臨して恐怖政治を行うのが物語の大半を占め、その生涯を若くして終えるまでの物語であった。

 出演者についても簡単に説明しておくと、独裁者ヴォロネークを演じる男性がひとり。彼はヴォロネークしか演じていない。その他の出演者は、男性がひとりと女性がふたり。劇中、彼らは複数の役を演じているので、パンフレットに記載されている役名も溢れかえっていた。特に、織羽くんの知り合いである襟平さんは、10の役を演じることになっていて、早着替えはもちろんのことながら、少年役に少女役、老婆の役までこなし、個人的に彼女にMVPの座をあげたいくらいだった。

 もうひとりの女性は、劇の後半ではヴォロネークの妻を演じることが多く、もうひとりの男性は、ヴォロネークを告発する正義の青年デュキンを演じていることが大半であった。

 ヴォロネーク役の男性は背が高くすらりとしているが、それでいて肩幅もしっかりしている。役者というよりも、イケてるダンスユニットのメンバーが演技をしているというような印象を受けた。かといって演技が生ぬるいというわけではない。怒りのシンボルのようなヴォロネークというキャラクターを迫力満点に演じており、舞台上の彼から客席までは距離があるのにもかかわらず――むしろその距離のために、力強い怒鳴り声が助走をつけて僕の頭をぶん殴ってくるようで、観客である僕が、恐怖政治に脅える民衆の気持ちを痛感したほどである。

 舞台はとても簡素なもので、舞台奥の中心に平台が凸状に積まれただけのものだった。ぱっと見て手抜きとも思えるようなシンプルなつくりには事情があったのだが、それはこのあとの「取り調べ」でわかったことなので、この時点では説明しないことにする。

 さて、劇の内容それ自体はかなり面白かったのだが、それについてクドクドと述べていくわけにもいかないので、色々な意味で重要になってしまったシーンの話をしたいと思う。

 物語はクライマックス。ヴォロネークの圧政によって家族や友人を亡くした青年デュキンは、憎しみを原動力とした過酷な鍛錬を経て、ヴォロネークの護衛たちを打ち負かし、戦闘の達人でもあるヴォロネークの愛用する「王の剣」を弾き飛ばし、それをヴォロネークの首元に突きつけることに成功した。剣を奪われ、王の資格なしと悟ったヴォロネークはすんなりと降伏し、余裕の表情で断頭台に上っていく。首を落とす役割を担うのはデュキンがふさわしいと民衆は考えるが、ヴォロネークが純粋な悪人ではないと気づいてしまったデュキンは処刑に乗り気ではなかった。

 そしてその心の隙を突いて、ヴォロネークは呪術でデュキンを操り、彼の持っていたナイフで自身の拘束を解かせる。ヴォロネークは悲鳴を上げる民衆に対し、血に汚れる役割を誰かに押しつけようとする民のいる国が平和な共和国になるはずがないと叱責した。そして彼はデュキンからナイフを奪うと、自身の不幸の元凶となった、既に彼の手で葬ったかつての敵対者たちの名を叫びながら、自らの胸にナイフを何度も突き立てる。民衆が、ついに狂人となったヴォロネークに脅える一方で、デュキンはヴォロネークの憎しみの底にある深い悲しみを理解してひとり涙を流す。天を仰ぎながら胸を貫き続けたヴォロネークは、上体を逸らし、両膝と後頭部を地面につけて、まるで糸の切れたマリオネットのように息絶える。体がぐにゃりと曲がっているようにも見えて、この体勢をキープするのは相当苦しいだろうと想像された。

 まあ、ざっとこのような展開である。ヴォロネークがナイフで胸を貫くシーンで、織羽くんの話を思い出した僕は内心ヒヤヒヤしていたが、血液などが飛び散るようなことは一切なく、舞台は無事に終了した。


 照明が消え、クラシック音楽らしい何かが静かに流れる。透き通るようなピアノの音は、ヴォロネークの少年時代の寂しさ・悲しみを表現しているようで、僕は作品に浸りながらしんみりしていたのだが、急にそこへ打楽器だの弦楽器だのが力強く乱入してきたものだから、僕は何か爆発でも起きたんじゃないかと本気であたりを見回してしまった。暗転中なので何も見えるわけがないのに。

 しかしそれがヴォロネークの激しい怒りや厳しい圧政を象徴していることに気づくと、よくもまあこんなに本編とマッチするエンディング曲を見つけてきたものだなと感心した。最後は痛々しいピアノの乱打が続き、急に無音がやってくる。ヴォロネークが死に、物語が終わったことを示しているのだ。

 この曲は暗転中に流すものとしてはかなり長いものらしく、僕たちは1分ほど暗闇の中に投げ出されたことになる。これにもある程度の事情というか狙いがあったのだが、それについても後で触れることにする。

 問題は、ここからだった。




 照明がつき、ようやく目が光に慣れ始めると、最初に見えてきたのは、舞台の前方に並ぶ役者たちの表情だった。

 一番右に並んでいる、襟平さんというらしい女性は、度重なる着替えと照明のせいで流れたのであろう汗を、少しだけその綺麗な肌の上に浮かべて、コースを完走したマラソンランナーのように、苦しさと嬉しさの混ざりあった表情をしている。はっきりといえば、美人だった。かわいい系の美人というのだろうか。やさしそうで、明るそうな雰囲気。もちろん僕と彼女は知り合いじゃないので、彼女の人となりなんかは知らないのだけど。

 その左隣にいるのは、物語の後半でデュキンを演じ、もはや主人公の立場をかっさらっていた男性で、最後に泣くシーンを演じていたためか少し顔が赤くなっていた。奥歯を噛み締めるような表情。一人ひとりに感謝の気持ちを伝えるかのように、観客席の端から端までゆっくりと目を動かす。何なら僕は、彼と目が合った気さえした。黒い短髪の毛先には、おそらくはアクションシーンのせいで発生した汗が光っている。

 一番左に立っているのは、他のふたりとは違った表情を浮かべる女性。他のふたりがやり切った感を見せているのに対し、彼女の表情は余裕があるというか――まあ、当然でしょ? とでも言いたそうで、例えるならドヤ顔に近い。襟平さんとは異なるタイプの美人で――これは劇中で独裁者の妻を演じていることが多かったためか――まるで女王様か何かのような威圧感があった。背が高く、かわいいというよりは整った印象を与えるため、男性兵士役を演じていたときも様になっていたのを思い出す。宝塚系の顔に近いかもしれない。いや、もっと女性らしいけれど、冷たさも足してしまったかのような、近寄りがたい雰囲気だ。

 ――あれ?

 舞台前方に立っているのは3人。肝心の主役――ヴォロネークがいないではないか。これには他の役者たちも気づいたようで、カーテンコール直前だというのに、きょろきょろと彼を探すような素振りを見せた。

 彼ら3人よりやや高い位置の席から舞台を見ているためか、僕は容易にヴォロネークを見つけることができる。彼はまだ、起き上がれずにいたのだ。平台の積み重なった、さっきまで処刑台だった場所で、ヴォロネークの最期の姿と同じ格好をしている。そろそろ起きないと、腰がおかしくなってしまうぞ。

 男性がまだ「ヴォロネーク」のままであることに気づいたのは、例の気の強そうな女王様だった。彼女はその煌びやかなドレスをひるがえして、平台の方へツカツカと歩いて行く。何やら声をかけるも反応はなく、痺れを切らして彼の体を揺すった直後、ヴォロネークの怒声だってここまでは響かなかったであろうほどの悲鳴を発して、女王様は崩れ落ちた。

 その様子を見て異常に気づいた他のふたりの役者たちも、倒れたままのヴォロネークと、倒れたばかりの女性の元へ駆け寄る。そして襟平さんは何を見たのか、口元を押さえてよろめいて、男性はそれを支えると客席を振り返り、余裕のない声で叫んだ。

「どなたか、救急車を呼んでください! 福士ふくしくんが――血を流して倒れてるんです!」

 福士とは、独裁者ヴォロネークを演じていた男性の名前である。


 おいおい、勘弁してくれよ。自害のシーンが、本当の自害になってしまったではないか。


(承に続く)

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