デュラハン女学園

雪芝 哲

第1話 プロローグ

 担任の先生に託した入学願書というものは、学校の金庫に保管されるものであり、ましてや担任の自宅のトイレ、そのカーペットの下から、忘れたころに発見されていいようなものではない。

 そんな今世紀最大級の災難が、青島太一の身に降りかかった。


「先生! 嘘だろ! 俺の入学願書が、トイレのカーペットの下から発見されたとか、マジで言ってるのかよ!」


 高校入試を数日後に控えた、お昼休みの進路相談室。

 担任とソファで向かい合う太一は、テーブルに両手を叩きつけ勢いよく立ち上がる。


「青島、すまん……これは本当の話なのだ……」


 担任の折原蘭子先生は、向かいのソファでガックリとうなだれている。

 いつも鬼教師として恐れられる彼女だが、その存在感は限りなくゼロに近かった。

 黒髪のロングヘアはほつれ気味、切れ長の瞳は弱々しく陰り、身に着けるレディーススーツもヨレヨレだ。


「つーか、なんでそんなクソ汚いとこから、俺の入学願書が発見されるんだよ!」

「絶対に紛失してはいけないと思い、そこに保管しておいたのだ……。それをうっかり忘れてしまってな……」

「バカ言うんじゃねえ! 世界中どこ探したってな、ウンコする場所に入学願書を保管する愚かな教師はいねーんだよ! 三十半ばの独身のくせに、そんなこともわからねーのか!」

「ど、独身は関係ないと思うのだが……」

「黙れッ!」


 少し反抗的な目の色を見せたので、太一はピシャリと遮った。

 本来、こんな暴言を吐こうものならボコボコに殴られる。

 しかし、この状況ならどんな汚い言葉を浴びせても許される。


「そんなことより先生! 今すぐ入学願書を届けてきてくれ! 光の速さで!」


 この際、蘭子先生のへそくりみたいな発想はどうでもいい。

 いま一番危惧すべき問題は、この後に待ち受ける最悪のシナリオだ。

 高校に進学できなければ、同級生から中卒と笑われ、未来永劫、同窓会にお呼ばれされることはない。


 あれ? そういえば同窓会のハガキこないぞ?


 なんて己の心配をよそに、知らぬところでちゃっかり同窓会はひらかれている。

 最悪のシナリオはここからが本番だ。

 町内会を牛耳る小うるさいババア連中からは、ロリコンの危険人物としてロックオン。

 指名手配犯のごとく顔写真が出回り、外出をすれば女子児童がワンワン泣き叫ぶ。

 ロリコンではなくとも、青島太一というおバカな中卒はそのような扱いを受けるのだ。


 その結果、激しい自己嫌悪かつ自暴自棄に陥り、十年越しの引きこもり生活がスタート。

 童貞のまま三十歳を迎えたころ、人生を清算するため罪のない両親をナタでぶっ殺す。

 さらには小学校の前でガソリンをかぶって焼身自殺を遂げ、その年の大事件トップ5ぐらいに見事ランクイン。


 まさに最悪の結末だ。

 そうならないためにも、赤信号無視の勢いで入学願書を届けに行かねばならない。

 しかし、蘭子先生は申し訳なさそうに首を振り、ボソリと絶望の言葉を口にする。


「もう遅いのだ……。入学願書の提出期限はとっくに過ぎている……。向こうの学校に掛け合ってみたのだが、それも断られてしまった……」

「クソ! バカな高校のくせにお高くとまりやがって!」


 太一が受験する予定だったタンポポ高校。

 それは猿でも合格できると名高い、市内屈指の超絶バカ学校だ。

 そんな駆け込み寺のような高校なのに、入学願書の提出期限だけは厳守しているらしい。

 しかし悲しいかな、太一はタンポポ高校に見合った学力しか持ち合わせてはいなかった。

 今から入学願書を受け付けてくれる学校があったとしても、合格できる可能性はゼロだ。

 中学の三年間、ずる休みが多かったわけではない。

 むしろ皆勤賞を目標に掲げ、毎日学校へ遊びにきていた。

 その輝かしい通信簿の内容としてはこうだ。


 ――国語【1】

 ――社会【1】

 ――数学【1】

 ――理科【1】

 ――英語【1】

 ――音楽【1】

 ――美術【1】

 ――体育【5】


 いつの時代にもこのようなバカが一人いる、というお手本のような通信簿である。

 もちろん、一年から三年までの間、この美しい数字の羅列に変動は見られない。

 だからこそ太一は、タンポポ高校の受験に人生のすべてを賭けていたのだ。


「くっ……なんでこんなことに……。俺に残された道は、通信教育で空手を学ぶしかないのかよ……。でも、それが就職活動になんの役に立つっていうんだ……。面接で空手の型を、『セイヤッ! セイヤッ!』って披露したら、いっぱしの会社に就職できるっていうのかよ……。もしそれで合格できるなら、その会社は悪の組織かなにかだ……」


 太一はソファに崩れ落ち、ポタリ、ポタリ、と涙をこぼした。

 通信空手に悪気はないが、それならペン習字を習ったほうがまだマシだ。

 太一はそう思い、指でテーブルに自分の名前を書いた。

 すると――。


「青島、そう落ち込むな。私は今からでも貴様が入学できそうな高校を調べてみたのだ。その結果、このような学校を見つけた」


 蘭子先生はやや威厳を取り戻し、プリント用紙をテーブルの上にすーっと差し出した。

 そこには次のようなことが印刷されている。


 ――『DH女学園』入学案内

 ――本学園は教育方針の一部変更にともない、今年度、男子生徒の入学を募集します

 ――募集要項

 ――入試、入学金とも免除

 ――中学校卒業者および、卒業見込みのある男子

 ――定員数、一名

 ――全寮制(※通学不可)

 ――連絡先、080―※※※※―※※※※


 太一は何度も目をゴシゴシとこすったが、記載された内容は幻ではなかった。

 女だらけの学校に男がただ一人、しかも全寮制という閉鎖空間での学園生活。

 まるでエロアニメを地で突っ走るような入学案内だ。

 入試と入学金も免除なので、そこらの悪徳商法よりリーズナブルな待遇となっている。

 唯一、気がかりなことは、定員数が一名という、狭き門であるということだ。

 これほどの好条件ともなれば、入学希望エロ男子が殺到し、すでに募集が打ち切られていてもおかしくはない。


「先生、定員が一名って書いてあるけど、本当に入学できるのかよ?」

「私が直接電話をして、青島が入学できるよう手配しておいた」


 太一はそれを聞き、胸と股間をほっと撫で下ろした。

 これで思う存分、この学び舎でエッチな勉強に励むことができるのだ。

 むしろドジを踏んでくれた蘭子先生に、太一は心の底から感謝した。

 ただ、少し気になることがある。


「でも先生、こんな学校、どこで見つけてきたんだ? 全然聞いたことない学校だけどさ」

「それが偶然、ネットの匿名掲示板で募集を見つけたのだ」


 やはりこの担任は目の付けどころがちがう。

 教え子の入学先を匿名掲示板で探すというその大胆な発想。

 そんじょそこらの教師にできることではない。

 太一はこれまでの偏見を大いに改め、蘭子先生を神として崇めることにした。

 そして、ムフフとエッチな学園生活を想像し、前屈みとなって進路相談室をあとにした。

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