新しい靴を買いに

0時

prologue




夏の日差しが容赦なく照り付けるある日のこと。母が、俺に新しい靴を買ってきた。












突然だが、辻斬りという言葉を知っているだろうか。


そう。昔の武士や侍が、自らの腕を試すため、また、刀の切れ味を試すために道行く一般人を切りつけたというはた迷惑極まりないアレである。




ここで俺が言いたいのは、人は新しい道具を手に入れると試しに使ってみたくなるらしいということだ。


俺の母はあまり料理をしたがらないが、新しくちょっと高価な鍋(外国製の、ポップで豊富な色展開が特徴的な洒落たヤツだ)を買った後は珍しくその鍋を使ってあれやこれやと料理を作ってくれる。曰く、「せっかくだから、使ってみたくて」とのことだ。


包丁でも同じ現象が起こるらしく、そのことを聞いた時に俺は辻斬りのことを思い出した。




そんな訳で、新しい靴を手に入れた俺はそれを履いてどこかに行きたくなった。特に目的地も定めずに、財布だけズボンの尻ポケットに突っ込んで箱から靴を取り出す。


少し底の厚い、夏用のサンダルだった。ベージュの底から、甲を固するための黒い革のベルトが伸びている。それは左右の踵あたりから始まって、親指の上でバツ印を描くように交差している。


ふと、あることを思い出してサンダルを持ったまま部屋に戻った。


昔もらったお菓子の缶をそのまま使っているペン立てをゴソゴソ漁り、目的の黒い油性ペンを見つける。缶の表面では、夢の国の住人達が笑顔を浮かべていた。


何のためにそんなことをするのか知らないが、昔から新しい靴をおろす時は裏にマジックで少し黒い色をつける。両親曰く、「墨を塗る」のだそうだ。


幼いころは星のマークを書いたりしていたが、何となく「墨」と書いた。油性ペンのインクは墨ではないのにと常々思っていたからだ。




靴をおろすための儀式を終え、サンダルをそっと玄関に置く。足を通すと、サイズはぴったりだった。


サンダルのサイズは27.5。足の正確なサイズは大体27だから、履きやすくするためいつも少し大きめの靴を買うようにしていた。それが、今やちょうどのサイズ。どうやら、少し足が大きくなったようだった。




外に出るのは、実に半年ぶりのことだ。もちろん、靴を履くのも。






それは同時に、俺が高校に行かなくなってからの期間でもあった。










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