とある天国

久米坂律

とある天国

 太陽が天頂に掛かったのが、窓の外に見える。


 とある天国の門付近にある真っ白な四階建てのビル、通称・中央舎の三階広場にて、俺と百合ゆりは真っ白なテーブルを挟んで駄弁っていた。


「ぬあ〜、暇だ〜」

 目の前で百合がベタっとテーブルに伏し、足をバタつかせる。だらっと伸ばされた手が、俺の手元に置いていたコーヒーカップに当たりそうになり、さっと避難させる。


 退屈さに顔をしかめる百合に、俺は息をついて言った。

天国ここじゃ中央舎ぐらいしか施設無いし、その中央舎も万能って訳じゃ無いからな。しょうがねえよ」


 しかし、その答えは正解ではなかったらしい。百合ががばっと身を起こして、仔犬のように騒ぎ始めた。


「そういうことじゃ無いんだって! だってここじゃ私が霞んじゃうんだもん!」

「それはな」

 俺は周りを見る。


 周りには儚げな美少女がごろごろいた。カレーのジャガイモぐらい、それはもうごろごろと。分かりにくいか。


 確かに、百合も美少女である。

 背中の真ん中ぐらいまで伸ばされた黒髪はさらりとしていて、肌は白磁のように白くて滑らかだ。加えて、ぱっちりした二重の瞳に長い睫毛、桜色の唇。華奢な体に纏った柔らかなクリーム色のワンピースのせいもあってか、どこか天使を彷彿とさせる。天国にいて、人間を天使に例えるというのも変な話だけど。


 ただ、先述したように、ここにはその百合と互角の美少女が山ほどいる。しかも、全員コミュケーション能力の高そうな。


 いくら百合が類稀なる美少女でも、同レベルの美少女が山ほどいればその魅力は急速に光を失う。どうやら、百合はそのことがお気に召さなかったようだ。


 避難させたコーヒーカップをすすり、俺は投げやりに言う。


「ま、そういうなんだよ。仕方ない」

「それはそうなんだけど……」


 不服そうにもごもご答える百合に、俺はまだ周りを見ながら重ねた。

「それに悪いことばっかじゃないんだろ?」

「まあ……うん。ここじゃ体の調子がめちゃくちゃ良いから」


 自分から話題を投げておいて、その切なげな様子にどう返事したものか迷う。微妙に落ちた沈黙をごまかそうと、辺りを白々しく見回してみると、ごろごろいる美少女のうちの一人が、俺と同じ格好——紺のブレザーと赤いチェックのネクタイ——の少年と談笑しているのが目に入った。


「あ」

 その光景に思わず声を上げると、百合も同じように声を上げた。

「服一緒ってことは、亮也りょうや君の知り合い?」

「ああ、同じクラスだった奴。確か、葉山はやまとかいう名前だったかな。そうか、あいつも死んでたのか」


 少し、意外だった。あいつは生き残っているとばかり思っていたが、そうではなかったのか。

 ちなみに、この天国には死んだ時の状態のまま辿り着くシステムだそうだ。服装もまた同じで、俺は制服姿、百合は淡いクリーム色のワンピースで死んだということだ。正直なところ、もう死んだ時のことなど覚えていないし、思い出したくもないけれど。


「そういえば」

 ふと思い出したように、百合が尋ねてきた。

「亮也君をのって誰だっけ?」

鬼田きだ

「ああ、鬼田さんね。あの人凄いって聞いたよ。さぞ凄惨な死に様だったんじゃない?」


 俺はははん、と渇いた笑いを浮かべて答えた。

「そりゃあ、もう、なあ? 見せしめとしてド派手に殺されたわ。しっかし、葉山のこと殺すとか、正気とは思えないんだけど。俺みたいな奴はまあ分かるけど。あいつが生きてた方が絶対盛り上がったのに」

「何か、理由があったんでしょ」

「そういう百合は、誰にんだっけ?」

「私? 私は春時はるときさん。でも、私は亮也君と違って、穏やかな死に様だったよ。大事な人に看取ってもらえたし」


 百合はふふん、と得意げに胸をそらして答えた。

 俺はへらっと笑う。


 それにしても、と百合は続けた。

「最近増えたよね。天国ここに来る人」

「そりゃあな。インターネットが発達して、が充実したからだろ」

「なるほど、ハードルが下がったってことか。母数が増えれば、死ぬ人数も増えるよね」

 知的に頷く百合。かと思えば、呆れたように呟いた。


「あっ、またやってるんだけど」

「何が?」


 百合が俺の後ろを顎でしゃくって示すので、振り返ってみると、年齢も性別も異なる六人が、俺たちと同じく真っ白なテーブルを囲っていた。

 ああ、なるほど。いつものように愚痴っているのだろう。


「あの人達のって誰だっけ」

 問うと、すぐに答えが返ってくる。

「えーっと、高城たかしろさん? とか言ってたよ。それぞれを殺した人は知らないけどね」


 百合の言葉に、俺は手を振って否定の意を示した。


「それぞれを殺した人間に関しては俺も知らん」


 その時、三階広場の入り口が急に開いた。同時に、汚れに汚れた重そうな鎧を身に付けた男たちが、ガチャガチャけたたましい音を立てながら雪崩れ込んでくる。


「うわっ、びびった。……って、全員目が青いな」

 ということは、堅固な鎧を身に付けているので分からないが、髪の色もきっと黒ではないのだろう。金か茶髪か。この辺りがだろうか。


 思わず言葉を漏らす。

「門番大変だったろうな」


 門番というのは、この中央舎三階からも見える天国の門の番をする、白いローブを纏った黒髪の男のことだ。二十代半ばに見える彼は、天国にやってきた人物に、己をのが誰かを教えてくれる。現に俺も、彼から鬼田の存在を聞かされた。


 さっき雪崩れてきた男たちは、明らかに日本人ではない。対して門番は日本語を話していた。対応はさぞ大変だったろうと、憐むような気持ちで言った俺の言葉を、百合はなんの遠慮もなくぶった斬った。


「そうでもないんじゃない? あの兵士、多分日本語喋れるよ」

「え?」

「ほら、って」

 そこまで言われれば、流石に分かった。

「なるほど」

 言われてみれば、俺の瞳もだった。


 しみじみそう思っていると、次は比較的若い女性達が喋る声が耳に入ってくる。今度は俺が呆れたように呟いた。


「まーた母親会合か」


 見なくても分かる。一応振り返って確認してみれば、案の定二十代後半ぐらいの女性五人でテーブルを囲んでいた。


 彼女達は皆、幼い子供を残してしまった母親だ。今も五人で姦しく「心配だ」だの「元気にしてるだろうか」だのと喋っている。


「運命が変わることはないんだし、意味無いよなあ。どうせ子供は今頃楽しくやってるって」


 俺が椅子の背に顎を乗せて放り投げるように言うと、百合が痛みを堪えるようにして言葉を紡いだ。

「それが、親心ってものじゃない? それに私も親じゃないけど、残してきた人のこと、心配だもん」


 そして、ぽつりと溢す。

「優人君、元気かな」


 優人君というのは、百合が生前仲良くしていたという大人しい少年の名前だ。死ぬ間際まで一緒にいたらしく、百合を看取ったのもこの少年だという。


 俺は前に向き直ると、頭の後ろで手を組んで、テーブルと揃いの真っ白な椅子の背凭れに寄りかかる。すると、窓の外に立つ荘厳な門が見えた。


 例の天国の門だ。


 真っ白な門柱には、愛らしい天使やたわわに実った果実が精緻に彫り込まれている。

 そして、その上部にはくっきりとした陰影を持つ文字が刻まれているのが見えた。




 "Heaven of Dramatis Personae in Created Works" ——創作作品における登場人物の天国




 俺は答えた。

「作品の方向性的に、優人が苦しむルートは書かないと思うぞ、は。俺は学園バトルロワイアルだったから、秒で殺されたけど」

「分かってはいるんだけどね」

 百合はあはは、と悲しげに笑った。

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