第30話 梢と鷹介は犬猿の仲
「うわっ」
「げっ」
思いがけず出くわすなり、梢と鷹介はそれぞれ顔を顰めた。
彼らが顔を突き合わせていたのは、湖に張り出したテラス上だった。朝日を浴びて煌めく湖面には、カルガモに似た野鳥がゆったりと流れ、太く伸びる鳴き声を上げていた。だが、犬猿の仲とか
「私、戻るわ」
「そうしてくれ。お互いのためだ」
梢は不機嫌な表情で踵を返そうとした。しかし、一歩進んだところで立ち止まり、鷹介を振り返ると、荒々しく足音を響かせて戻ってくる。
「何かムカつく。どうして私がアンタに気を遣わなきゃいけないのよ」
「ガキかお前は」
「嫌なら鷹介が戻ればいいでしょ」
「俺の方が先客だぞ。というかお前に言われると余計に動きたくない」
「アンタだってガキじゃない」
彼らにとっては挨拶代わりのようなものだった。一頻り静かな言い合いを終えて、沈黙が二人を仲裁し始める。きまり悪くなった二人は、微妙な距離を空けて湖を眺め合った。
「玲士朗、反省してたぞ」
「知ってるわよ。さっき謝られた」
この二人は面と向かって会話する気はないらしかった。
「丁度いい機会だから、少し真面目な話をしてもいいか?」
「ちょっと待って。その……先に言わせてもらってもいい?」
不承不承の態で言い淀む梢に鷹介が怪訝な眼差しを向ける。
「……一昨日は助けてくれてありがとう」
なんとも素っ気ない謝辞だった。生真面目な性格故に義理は通さなければならないと考えた梢が、照れ臭さを押し殺さんと努めた結果でもある。
ぎこちなさはともかく、思いがけない殊勝な言葉に、鷹介は不気味なものを見るような目つきで梢を見た。
「お前……礼が言える女だったんだな」
意に反してまで礼節を尽くしたのに、茶々を入れる鷹介の不真面目な態度に梢は小さく舌打ちした。
「……もういい。だからアンタって嫌い。ほら、何よ話したいことって」
「いちいち怒るなよ、カルシウム不足か」
「うるさい」
鷹介はうんざりしたかのように溜息を吐いて、また視線を湖に投げた。梢もそれに倣う。しばらく沈黙が場を支配した。
「お前、元の世界に戻りたいんだよな?」
「そうだけど……何よ急に」
「その割には、異世界人を助けるために命を懸けるのか?」
「は? 何か文句あるの?」
会話のキャッチボール、というよりドッチボールである。お互い、視線は湖に向けたままで刺々しい言葉の応酬を繰り広げる。
「何で喧嘩腰だ。俺は心配して言ってやってるんだぞ」
「アンタに心配とかされたくない。ウザい」
「……お前みたいに安易に怨みを買うタイプは一番苦しい死に方をするからな、気を付けろよ」
「余計なお世話よ。それで何? 何が言いたいわけ?」
苛立ちのあまり、口調はどんどんぶっきら棒になって、詰問の響きすら帯びる。この手のやり取りに慣れた鷹介でなかったら早々に気分を害していたに違いない。
「元の世界に戻ろうと思うなら、フィリネさんを助けるのは無駄な上に、リスクが大きいんじゃないか?」
「私はついていっちゃいけないってこと?」
「質問に質問で返すな」
梢は勢い任せて反駁しかけたが、その気勢を一度飲み込み、拗ねるような語調で返した。
「……私だって、人並みに感情があるわ。私達を受け入れてくれたこの村の人が辛い目に遭ってるのに、自分だけ何もしないなんて、後味が悪すぎる。私は胸を張って、みんなで一緒に帰りたいの」
「でも、死んだら元も子もないんだぜ?」
「分かってるわよ! そんなこと!」
人の思いと行動はしばしば食い違うものだ。矛盾があるから意味が生まれる。迷いがあるから分別がある。論理的な一貫性を欠いた梢の返答に、鷹介はむしろ好感を持った。
「断言できないところが逆に安心だ」
「……馬鹿にしてる?」
「いちいち突っかかる奴だな」
「アンタが他意を感じる言い方しかしないからいけないんでしょ」
二人の間に三度の沈黙がやってくる。野鳥がまた間の抜けた鳴き声を上げた。
「なんだかんだ言って、結局、お前はアイツらを放っておけないだけだろ?」
「やめてよ、私はそんな青臭くないわ。自分のためにみんなと一緒に帰るだけ。だって私は家族のために――」
「家族のために、自分を犠牲にすることが、お前の役目だからか」
梢は静かな怒気を双眸に宿し、鷹介を睨んだ。
「知った風なこと言わないで」
「知らないな。知りたくもない。お前の家庭事情に口を出す気もない。ただ、お前は誰かにとって必要な人間だと思われたいがために、自分に役割やら責務やらを課して、自分を追い詰めるのが当然だと思ってる。俺にはそれが理解しがたいし、不愉快だ」
売り言葉に買い言葉だった。梢も激しく応戦した。
「アンタには関係ないことでしょう。私だって、アンタの生き方は気に入らない。ただ流されるだけに生きて、何の苦労もしない。何でもできる癖に、何もしようとしない。ひとり高みに立ったように気取って、現実を見ようともせず、世の中くだらないって嘯くだけ。そういう奴が私は一番嫌いなの」
辛辣な言葉の数々に、鷹介は頭を搔いた。
「確かに俺は無気力で、無関心で、がらんどうな人間だ。それでも……というより、だからこそ、こうやってお前達と長い間つるんでいることは自分でも驚きなんだ。お前も同じなんじゃないか?」
「私は――」
違う、とは断じることが梢には出来なかった。梢にとって最も大切で、優先すべきは家族であり、何が何でも、どんなことをしてでも、家族の元に帰らなければならない。その気持ちは変わっていないし、家族も自分の帰りを待ち侘びているに違いない。
だというのに、この気持ちはなんだろう。幼馴染達を切り捨ててまで、家族を優先しようという気になれない。異世界に転移してしまったからこそ知った自分の気持ち。
幼馴染の存在が、知らず知らずのうちに、梢の中で大きな比重を占めるようになっていたことに気付いて、梢は戸惑っていた。
押し黙る梢を一瞥して、鷹介は深い溜息を吐いた。
「お前と話すと、いつだって言い争いっぽくなっちまうな。余計なことを言って悪かった」
「……こうなるって分かってた癖に、どうしてよ」
「まぁ有体に言えば……仲直りのためじゃないか?」
思いがけない言葉に、梢は素っ頓狂な声を上げた。
「な、仲直り?」
「ああ。いつ始まったかも定かじゃない
「そんなの……無駄なことよ。人ってそう簡単に分かり合えない」
「だろうな。けど心持ちが違ってくるもんさ。とりあえず、お前とはどこまでいっても分かり合えないことが分かった。それで十分だ」
清々しい諦観。気休めを口にされるよりよほど受け入れやすい。梢は思わず口元を和らげた。
「……そうね。そう思えば確かに気は楽かも。でも仲直りだなんて、どういう風の吹き回し?」
「いつ言えなくなるか分からない状況だからな」
「……そういう台詞、死亡フラグよ」
「縁起でもないこと言うな」
「世の中って、得てしてそういうものじゃない」
「ったく、憎たらしい女だ」
交わされる言葉に変わりはなくとも、すでに二人の間に殺伐さはなくなっていた。分かり合えずとも歩み寄ることはできる。その結果がたとえ決裂であろうとも、打ち解け合おうとする意志にこそ意味がある。鷹介と梢は互いに違う存在だからこそ、その思いを共有していた。
「俺はともかく、アイツらのことは気に掛けてやってくれよな」
捨て台詞のように言い残して、鷹介はテラスから立ち去っていった。梢はその後ろ姿を見送ることもなく、湖に視線を向けたまま、ボソリと呟いた。
「私もアンタも、ちゃんと生き残って、皆で一緒に帰るのよ」
「あ? 何か言ったか?」
「……言ってないわよ! 早く行きなさいよ!」
「こっわ……」
鷹介は肩を竦めながら、今度こそテラスを後にした。梢は気恥ずかしさで赤面した顔を悟られまいと、鷹介の姿が見えなくなるまで俯き続けていた。
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