第19話 死を撒き散らす悪意
言葉を失って静まり返る玲士朗達とは対照的に、林の中では断続的に剣戟が鳴り響く。
軽装の鎧を身に纏い、両刃の剣を構えた男性騎士が茂みから飛び出してくる。身構える玲士朗達に目を留め、大声で呼びかけた。
「退がれ君達! マリスティアは目前だ!」
騎士の言のとおり、暴虐に木々を薙ぎ倒しながら、緩慢な動きでマリスティアがその威容を白日の下に晒す。
対峙する騎士よりも大きい漆黒の体躯は混じり気のない黒闇ではなく、奇怪な文様のようなものが密集し、不気味に蠢いている。まるで夥しい虫の大群が群がっているかのようなおぞましさだった。
メーネと涼風の容態を確認していたロザリーは、騎士の装束に刻印された紋章を見て取り、小さくつぶやく。
「
騎士はロザリーや武装したエルフ達に怪訝な眼差しを向ける。
「何故、エルフがこんなところに……まぁいい。とにかく一刻も早く逃げることだ。奴は手強い」
「あたし達に逃げる場所なんかないわ。ここで食い止めてみせる。それに、アンタ一人が相手にするには、あのマリスティアは荷が勝ち過ぎていると思うんだけど」
挑発的なロザリーの態度に、騎士は自嘲じみた笑みを浮かべる。
「反論できんな。恥ずかしながら君の言うとおりだ。
最近、この辺りを根城にしているゴブリン達が霊廟への巡礼者を狙って狼藉を働いている。その犠牲者達の無念と怨嗟が、あのような化け物を生み出してしまったようだ」
「あのはぐれゴブリン共……」
「正直、私のような一介の
深い憎しみに歪む形相。それは敵であるマリスティアに向けられるものであると同時に、幼い子どもを護り切れなかった己の無力さへの憤怒でもあった。
ロザリーもまた、そんな騎士の義憤に同調し、マリスティアを鋭い目つきで睨めつけた。
「あたしにも守らなきゃいけないものがある。だから、これ以上あいつの好きにさせるわけにはいかないの」
ロザリーが右足を踏み鳴らすと同時に、地面に円形の魔術陣が顕在化した。右手を突き出し、他種族には言語として知覚できないエルフ固有の呪文を口ずさむ。マリスティアの身体を鷲掴みにするように右手を握ると、その所作に呼応した魔術陣が一際強く発光し、マリスティアの周囲の大気が歪み始め、黒い四肢は鎖に絡め捕られたかのように挙動を停止させた。
「あいつの動きを止めるわ。アンタは確実にマリスティアの息の根を止めて」
「了解した。助太刀感謝する」
「シエラ、剣臣達のお守り任せたからね!
ロザリーの号令一下、エルフ達による左右からの同時攻撃が敢行される。
放たれた矢は、魔術の力を借りて疾駆する。放たれた後も微妙な軌道修正を加えながら、過たずにマリスティアの心臓を抉るように穿つ。マリスティアの呻き声が大地を震わせる中、間髪入れずに放たれる二射目もまた、マリスティアの前額部、腹部の
ロザリー達の巧みな戦法に、騎士は感嘆の声を漏らす。
「あの魔術、マリスティアに防壁すら展開させないとは恐れ入る。世に聞く必中の魔弓も噂に違わぬ神秘だな」
「でも致命傷になってない。とすると急所は――」
「厄介なあの口に違いあるまい!」
騎士は得物を構え、怯んだマリスティアの口腔を刺し貫かんと飛び掛かる。申し分ない威力の刺突は、しかし不可視の空間防壁によって阻まれてしまう。
「やはり一筋縄ではいかんか。だが打ち砕くのみ!」
地面に着地した騎士が、間髪入れずに剣を縦一文字に斬り上げる。旋風を伴う高速の剣戟を受け止めたマリスティアの防壁だったが、エルフの魔弓による追い打ちの連撃には遂に耐え切れず、防壁は破砕される。
騎士はこの結果を予期していたように、機敏な動作で剣を霞の構えに握り直し、マリスティアの頭部を見据えた。攻撃手段を封じられ、最早防壁も破られたマリスティアは、なりふり構わず急所である口腔を大きく開き、騎士の身体を嚙み千切らんとする。
開け放たれた口腔内の奥、人であれば喉に当たる部分に赤黒い血が凝集したかのような結晶を見て取り、騎士は勝利を確信した。その結晶こそマリスティアの急所―“核”であった。
「幼い子どもを殺めた
鋭い踏み込みとともに、騎士がマリスティアの喉奥目掛けて剣を突く。この一撃で核が突き砕かれ、マリスティアは討滅される――はずであった。
騎士の放った刺突はマリスティアの展開する新たな防壁により、意図せざる制止を余儀なくされる。渾身の力で刺し穿たんとした剣の切っ先が阻まれ、相克した力が騎士の周囲で渦巻く。騎士は驚愕と焦燥に表情を歪ませた。
「ば、馬鹿なッ……まだ防壁を隠していただと!?」
想定外の事態に、ロザリーは焦燥も露わに狼狽える。
「まさか……最初の防壁はわざと……」
行動の自由を奪われ、刀折れ矢尽き、身を護る術すら失う状況にまで追い込まれたと信じ込ませ、油断した獲物をおびき出して返り討ちにする。ロザリーが看破したマリスティアの狙いは狡猾にして悪辣であった。一瞬にして絶望の底に突き落とされる感覚。足元がふらつき、ロザリーはその場にへたり込んでしまう。
闇を湛えた
マリスティアは、ロザリーの後方に控えるシエラ達目掛けて騎士の死体を投げ付ける。凄まじい速度で迫る騎士の死体に意表を突かれ、微動だに出来ないシエラ達を守るように、悟志が彼女達に覆い被さった。
衝撃と鈍い痛みに呻く悟志であったが、衣服にべったりと付着した大量の血と、地面に打ち捨てられた騎士の酸鼻な死相を見るなり、気が動転して悲鳴を上げる。
ロザリーは悟志の悲鳴に注意を向けざるを得なかった。故に、目前に迫り来るマリスティアの触手の襲撃を察知するのが遅れてしまう。
ヨウカハイネンの切迫した鳴き声が警告のように響き渡る。エルフ達の矢が触手に向かって放たれるも、その進攻を止めること叶わず、無防備なロザリーを刺し殺さんと暴戻な速度で虚空を奔る。
「ロザリー!」
シエラの急迫した叫びも、マリスティアの殺意を止めることはできない。ロザリーは最期を覚悟して、恐怖のあまりきつく眼を瞑る。
顔にこびりつく生温かい血の感触と鉄じみた臭いが、想像もできない苦痛への恐怖を倍加させる。しかし、一向に死の気配はロザリーに襲い掛かってこない。静まり返る周囲に違和感を覚え、ゆっくりと瞼を開けると、ロザリーの眼前にいつの間にか颯磨が佇んでおり、騎士の血に染まるマリスティアの触手を左手で難なく掴み取っていた。
颯磨は瞳孔の開き切った酷薄な眼差しでマリスティアを見据える。ゆっくりと掲げられた右手に紅く輝く粒子が凝集し、周囲の空間の一部が陽炎のように歪み、一振りの細身の剣が顕現する。
サーベルのような片刃の剣こそ、颯磨固有の具現鋳造であった。漆黒の刀身は半ば辺りから太くなり、
颯磨は手にした剣でいとも簡単に、切断音すら聞こえぬ軽さで触手を斬り落とす。泥のように重く、赤黒い液体が地面に滴り落ち、マリスティアは怒号とも悲鳴ともとれぬ不気味な雄叫びを上げる。聞く者を恐怖に慄かせ、大気を震わせ、大地すら揺り動かす凄烈な咆哮に、しかし颯磨は顔色一つ変えず、地獄の底から響くような低い声で告げた。
「お前――目障りだよ」
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