第16話 首塚
ドラーコの戦竜は中生代の恐竜そのものの姿をしているが、全く同じという訳ではない。特に異なっているのが頭部の大きさだ。
その発達した頭の中にはリザードマンの、即ち向こうの世界の人類――いわゆるオニウヤミ――の脳のコピーが詰め込まれている。故に知能も高く、言語や抽象概念を理解する。もし同様の事をこちらの世界で行なったとすれば、当然倫理や果ては権利といった話が出て来るのだろうと思われるが、それがないというのはお国柄なのか、それとも人とオニウヤミの根本的な違いなのだろうか。
ともかく、ドラーコは戦竜に高度な知能を持った脳を搭載し、前線に投入している。よって可能なのは、単なる消耗戦だけではない。
「第六二地区、竜ヶ尾山」
コトシロに託宣が下ったのは月曜日の夕方。しかし神童に招集はかからなかった。場所は京都の郊外。トリフネなら跳べない距離ではないが、消耗が激しくなる。今や神童は首都の守りの要である。迂闊に遠距離を移動させて無駄にリスクを生じさせる訳には行かない。とはいえ天穴の場所がわからなければ現地が対処できない。そこでツクヨミが天穴の場所を千里眼で探り、それを有銘が電話で現場に伝える事になった。
寮の食堂に神童のメンバーが集まり、テーブルを囲む。ツクヨミは両手でサングラスを押さえ、集中した。他の者は固唾を呑んで待つしかない。
ノコヤネは内心はしゃいでいた。久方ぶりに有銘が寮に顔を見せてくれたのだから。だが当然、そんな気持ちはおくびにも出せるはずがない。他の皆と同様に、真剣な顔でツクヨミを見つめていた。少しばかりの罪の意識と共に。
その時、ちりん、小さな鈴の音がした。有銘の手元にあるバッグに、真鍮色の鈴が付いている。しかし、それを気にする者は誰も居ない。
「出た」
ツクヨミは顔を上げた。
「指揮通信車から南へ六百メートル、東に二百メートル、山頂……あ、これは」
「どうしたの」
有銘が電話を手に身を乗り出す。ツクヨミは天井を見上げた。
「山頂から、真上に百メートル。雲の高さ」
山頂上空百メートル、即ち高度五百メートル超の空の真ん中に、縦に亀裂が走った。鼻先の尖った顔が隙間から覗いたかと思うと、外へ飛び出す。そしてその直後、翼を開く。鋭い嘴と後頭部に長大な鶏冠のある、プテラノドン型の巨大な翼竜であった。翼竜は次々に飛び出し、十頭の群れとなった。群れは隊列を組み、東へと進路を取る。
地上で待ち構えていた部隊は肩透かしを食った形になった。竜ヶ尾山の山頂からは北に向かって道路が伸びている。迎撃部隊は歩兵竜の出現を想定し、その道路を寸断するように配置されていた。対空装備など皆無である。それでも近付いて来てくれれば、車載の重機関銃などで攻撃もできようが、明後日の方向に飛んで行かれてしまっては手の打ちようがまるでない。戦闘ヘリ部隊を三重から呼んではいるが、到着にはまだ時間が掛かりそうであった。
竜ヶ尾山頂から東に飛ぶと、一キロ少々で高速道路にぶつかる。強制避難指示の出ている今、車の影はない。翼竜の群れは高速道路に沿って上空を東へと向かった。また一キロほど飛ぶと住宅街の上を通り、そこから更に数キロ飛べばインターチェンジがある。その先、京都方面行きは避難指示域の外である。
車のライトが東西に走るその上、暮れなずむ空を十頭の翼竜が飛んで行く。しかし道路上のライトの列は、二キロほど行った所で姿を消してしまう。トンネルだ。その長さ一キロほどのトンネルの丁度真ん中ほどまで飛んだ時、翼竜の群れは急に進路を南に変えた。そして三百メートルほど飛んだ所で、十頭のうち二頭が地上に降りて行く。そこは鬱蒼とした森に囲まれた、エアポケットのような空白地。人の気配はない。ただ石の鳥居が立ち、木の柵で囲まれた小さな祠があった。その屋根に翼竜の一頭が降り立った直後。
閃光と轟音、爆風。一頭目の翼竜は自爆した。祠は吹き飛び、地面は抉られた。そこにもう一頭の翼竜が降り立つ。そしてまた自爆。地面はクレーターのように更に深く抉り取られた。周囲の樹々を焼く炎。その様子を上空で旋回しながら八頭の翼竜が見つめていた。
翼竜たちはしばしの間、別れを惜しむようにその場で旋回を続けた後、北へ飛んだ。そして来たルートを逆に戻り、竜ヶ尾山の山頂へ戻って来ると、陸自隊員たちの見守る中、上空の天穴へと飛び込み、姿を消してしまった。
一部始終を観察していたツクヨミは、一つ大きな溜息をついた。
「終わった……と思う」
コトシロがうなずく。
「うん、今回はこれで終わり」
「結局、何だったんだろう」
「何がしたかったんだろう」
フツヌシとミカヅチの疑問は、他の皆の疑問でもあった。
有銘は二言三言電話の向こうと話すと、「はい、了解しました」と言って電話を切った。
「一時間様子を見て、何も起きなければ終了だそうよ」
その場の空気が、ほんの少し和らいだ。
「でもホント、何だったの。気味が悪い」
ハヤヒノは怖気をふるったようだった。
「あいつらが自爆した場所って何。何があるの」
「首塚ね」
有銘は当たり前のように即答した。一同の眼が有銘に集まる。
「有銘ちゃん知ってるの」
「ええ、観光地ではないけれど、知っている人は知っている有名な場所よ。
しかし、皆の反応は芳しくない。「名前だけなら」と答えたのはノコヤネと日美子の二人だけ。
「仕方ないわね」
有銘はスマートフォンをテーブルに置くと、話し始めた。
「酒呑童子というのは、平安時代に居たとされる、鬼の総大将の名前です。大江山に城を構え、夜な夜な京の都で悪事を働いたと伝えられているわ。しかし源頼光と彼の配下の五人が策を弄して討ち取ったの。そしてその首を切り落とし、都へ運ぼうとしたのだけれど、都に入る手前のある場所で、その首が押しても引いても動かなくなった。仕方がないのでその場所に首を埋め、塚を作った。それが今回、敵が自爆した首塚として伝わっています」
「つまり、その酒呑童子の首が目当てだったって事?」
尋ねるハヤヒノに、有銘は首を傾げて見せた。
「そうね、そこに本当に鬼の首が埋まっていたのなら、そういう事かもしれないわね」
「どういう事」
「酒呑童子には謎が多いのよ。まあ、鬼なのだから謎だらけなのは当たり前なのかもしれないけれど、まず根城にしていた大江山についてが謎なの。いま現在主流とされている説の大江山は、京都府の北西部にあるのだけれど、平安京からは直線距離で百キロほど離れているわ。これって、いくら鬼が異能に長けた存在だったとしても、夜な夜な都に現れるには、物理的な距離が遠過ぎるのではないかしら」
「確かに。毎日百キロはきついなあ」
トリフネがうなずいた。
「もちろんこれには異説があって、今回の首塚のある辺りを『大枝山』と言うのだけど、古くは『大江山』とも書いたそうなの。だから酒呑童子の根城のあった『大江山』というのは、『大枝山』の事だったんじゃないか、って話もあるわ。それなら都からも近いし、首塚が今の場所にある理由も納得が行くのだけれど、何故かこちらは一般的な説にはなっていません。理由としては、おそらくこの地方に鬼退治伝説が残っていないからではないかしら。一方、北西にある大江山には幾つも鬼退治伝説が残っているの。学問的には物理的な距離よりも、痕跡が残っている事の方が優先されるのは当然の事。だから公式には酒呑童子の大江山は、都の北西の大江山、という事になっています。それにね」
有銘は一つ、息をついた。
「都の北西の大江山の辺りは鉱物資源が豊かな所で、古代より大陸との貿易を行っていた大きな勢力が存在していたと言われているわ。つまり鬼退治伝説とは、大和朝廷がその勢力を滅ぼした事実の隠喩ではないかという説があります。以前言ったでしょ、鬼とは産鉄民の事を言ったのではないかという説、それとも関わって来るのよ。面白い話があってね、酒呑童子には出生にまつわる話が幾つもあるのだけれど、その中の一つに、ヤマタノオロチの息子だ、というものがあるの」
「ヤマタノオロチは知ってる」
「ゲームで見た」
フツヌシとミカヅチが手を上げた。
「そう、そのヤマタノオロチ。これを川の氾濫の象徴とすると、
「だとしたら当然、酒呑童子も産鉄民」
日美子の言葉に、有銘はうなずいた。
「そう、そして同時に、古代においては蛇も鬼も同根であったという説を補強するものでもあるわ。ならばそれらから導き出される一つの可能性として」
有銘はまた一つ息をつく。
「酒呑童子はリザードマンだったのかも知れない、と言えるわね」
確かに産鉄民が、即ち鬼がリザードマンであるとしたら、その総大将も産鉄民でリザードマンだろう。ましてヤマタノオロチの血を引いているとなれば。
「ロヌもドラーコもこちらの世界に、如意宝珠を探しに来ています。如意宝珠とは、龍王の頭の中にあると言われる伝説の珠。酒呑童子がヤマタノオロチの息子だとしたら。ヤマタノオロチが蛇なのか龍なのかは昔から議論のあった所だけれど、もし龍なのだとしたら、その息子の酒呑童子もまた龍の血を引く者、ならばその頭の中に如意宝珠があったのかもしれない。だから首塚を破壊し、如意宝珠を探した。今回の敵の行動を察するに、こんな感じではないかと思うのだけれど」
おお、という声と共に小さく拍手が上がった。みんな感心した、という顔で有銘を見つめている。
「有銘ちゃん、凄い」
「褒めても何も出ません」
「でも結局、首塚には宝珠はなかったんだよね」
そう言うハヤヒノに、有銘はうなずいた。
「そうね、最初からなかったのか、それとも平安時代から現代までの間に誰かが持ち出したのかはわからないけど、とりあえず首塚には如意宝珠はなかった」
「ラッキー、だったのかな」
「ベストではないけれど、ベターではあったんじゃない。ドラーコの手には渡らなかったのだから」
「まあそうだよね。でも」
ハヤヒノは腕を組んだ。
「一体どこにあるんだろう、如意宝珠」
「それがわかれば苦労はないわ」
ハヤヒノの言葉に微笑みながら、有銘はスマートフォンをバッグにしまった。ちりん、小さな鈴の音がした。
結局一時間経っても何も起きず、すべては終了した。いつもより遅めの夕食は、マカロニグラタンとミートスパゲティだった。
「パスタでパスタ食べるの」
「お好み焼き定食が良かったらそうするよ」
寮母にそう言われて、ハヤヒノは黙るしかなかった。
食後、部屋に戻るとノコヤネはスウェットに着替えた。風呂に入るか、そうつぶやいてタンスから下着を取り出してベッドの上に放り投げる。そのとき、ドアが小さくノックされた。
「はい」
何も考えずドアを開けると、そこに立っていたのは有銘。
「ちょっといいかしら、話があるの」
「え、あ、はい」
「中に入っていい?」
「あ、ど、どうぞ」
「へえ、男の子の部屋なのに奇麗に片付いているのね」
完全に舞い上がっていた。有銘を招き入れ、ドアを閉じた瞬間、ベッドの上の下着を思い出した。
「ああっ」
その声に驚き、有銘は振り返った。
「何、どうしたの」
「あ、いや、その」
有銘は下着に気付いていないようだ。ならば黙っていた方がいいのか。
「えっと、お話って何でしょうか」
「そうね、その事なんだけど」
有銘の目つきが急に険しくなった。
「さっきの態度は何」
「えっ」
ノコヤネの頭は真っ白になった。さっきの態度とはどういう事だろう。食堂に居たときの事か。何もおかしな事はしていないはずだが、何か気に障るような事をしてしまったのだろうか。ノコヤネが答えられずにいると、有銘は一歩近付いてきた。
「私を見てニヤニヤしていたわよね。あれはどういう事」
しまった。自分は真剣な顔をしていたつもりなのだが、無意識のうちに顔がニヤついていたのか。マズい、これはマズい。
「あなたここでは最年長なのよ。私も期待しているの。なのにあなたがあんな態度では、他の子たちに示しがつかないでしょう」
有銘はまた一歩近寄る。もう息がかかる程の距離だ。
「大体あなた、普段から何かあるたびに私の方をチラチラ見ているでしょう。気が付いていないとでも思った」
更に半歩近付いた。ノコヤネは思わず後ろに下がろうとした。だが背中が壁に当たる。もう逃げられない。心臓がバクバクと音を立てているのが聞こえてしまいそうな近さ。どうすれば良いのだろう。何を言えばいいのだろう。ノコヤネの頭の中はパニックになっていた。だが叱られている、そう、今自分は叱られているのだ、謝らないと。それだけが頭に浮かんだ。
「……す、すみませ」
言いかけたノコヤネの唇を、有銘の唇が塞いだ。ノコヤネの体中の感覚の全てが、唇に集まった。有銘の唇が、触れ合ったまま動く。
「ずっとこうしたかったんでしょう」
そして微笑む。
「悪い子」
静かに唇を離すと、有銘は無言でドアに向かった。そしてノブに手をかけ、
「秘密よ」
とだけ言い残し、部屋を出て行ってしまった。ノコヤネは朽ち木のようにベッドに倒れ込むと、しばらくの間動けなかった。
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