第2話 スサノオ
三日月の夜の闇、森の中に重い連射音が響く。装甲車の上で火を噴く重機関銃。しかしその威力をもってしても、歩兵竜の真鍮色の鎧は貫けない。それでも当たればそれなりの衝撃と痛みがある様で、辛うじて足止めにはなる形だ。
もっとも所詮足止めは足止めでしかなく、いくら当てても敵は下がりはしない。まして打ち倒すにはまず、鎧を貫通させなければならない。それには一一〇ミリ対戦車弾が必要になる。しかし相手は戦車よりはるかに小さく、すばしこく、そして小回りが利く。故になかなか当たらない。当てるには機銃で動きを止め、至近距離で狙うしかない。それを発射する隊員の身がより危険にさらされるのは言うまでもない。
今回現れた歩兵竜――三度目の接触の際に、そう名付けられた――は、また五頭。過去の出現は全て一回につき五頭であった。敵は歩兵竜五頭を一隊として単位づけ、軍事的に運用しているらしい。五頭は左右に広く展開していた。用意された重機関銃は五門、相手が固まっていれば取り囲む様に砲火を浴びせる事ができるのだが、これだけ広がられると、一門で一頭を抑え込まなければならない。それはかなりの難事であった。敵も学習しているという事か。
そんな状況にもかかわらず、鋭いガスの噴射音を上げて、一一〇ミリ対戦車弾は放たれた。一瞬の間の後、爆発音。
「命中!」
無線の声が弾む。続いて二射、三射と音が並ぶ。
「命中!」
「命中!」
指揮通信車の中にも、一瞬安堵の空気が流れた。しかし。
「逸走!」
防衛線を突破した歩兵竜が出た。更に。
「逸走!」
都合二頭の歩兵竜が今、指揮通信車に向かっている。だが指揮官に動揺はない。そも鋼鉄の箱たる指揮通信車の内側には、いかな恐竜の牙とて届かない。それに今、車内にはトリフネが乗り込んでいる。トリフネはテレポーター、その能力をもってすれば、どんな最悪の場合でも指揮通信車だけはこの場から逃れる事ができる。それは保険であり、それ故の余裕であった。保険はそれだけではない。指揮通信車の両脇には、三つの影が立っていた。フツヌシ、ミカヅチ、そしてハヤヒノである。この三人が居れば、歩兵竜の一頭や二頭は恐れるに足りない。その事実が今まさに証明されようとしていた。
真正面、煌々と照らされた照明の中に二頭の歩兵竜がその姿を現した瞬間、フツヌシは両手を突き出した。
「うぉりゃっ」
二頭の歩兵竜が動きを止めた。首と尻尾だけは動く様で、バタバタと暴れるが、体はがっちり固定されている。まるで巨大な見えない手に掴まれているかの如く。念動力、それがフツヌシの能力。
「せーのっ」
ミカヅチは野球のボールを投げ飛ばすかの様に腕を振るった。その瞬間、水平方向に稲妻が走る。左側の歩兵竜を貫く。全身から花火の様に光が散った。それが生命の閃光であったかの如く、歩兵竜は崩れ落ちる。これがミカヅチの電撃の能力。
そして残った右側の一頭に、ハヤヒノは右手の人差し指を向けた。その指先に念を込める。
「燃えろ」
火柱が上がる。歩兵竜の全身は炎に包まれた。その身の外側ではなく、内側から噴き出す炎。燃料など要らない。生体発火現象を司る炎の能力を持つ者、それがハヤヒノであった。
指揮官の顔に笑みがこぼれた。敵五頭の全滅は確認された。戦闘終了、そう口に出かけたとき。その場に居た者たちの頭脳に直接、声が響く。
【緊急事態!】
ノコヤネの、受ける側が痛みを伴うほどの強力なテレパシー。焦って力加減ができなくなっているのだ。
【敵の増援出現、数は五……いや、十……いや】
「十五」
夜と森が作る暗闇も、ツクヨミの千里眼の前には白日の下に等しい。空間の揺らめきの中から現れた十五頭の歩兵竜の姿を、その瞼の奥の『もう一つの眼』ははっきりと捉えていた。
これには指揮官も動揺した。同数の、すなわち五頭までの増援は想定していた。それが一気に三倍である。とはいえまだ全弾撃ち尽くした訳ではない。更には神童の三人も居る。まだ戦える。可能な限り各個撃破、そう命じようとした。だが。
「敵部隊、中央を突破!」
歩兵竜十五頭は一塊の集団となって、防衛線のど真ん中に突っ込んだ。一度広げた陣形は、すぐには縮まらない。牙を茂らせた十五の顎が嵐となって襲い掛かる。五人の隊員を一瞬で千切れた肉塊へと変貌させ、歩兵竜たちは防衛線を楽々突破した。そして一直線に指揮通信車へと向かってくる。指揮官は悟った。まんまと嵌められたのだ。最初から敵の狙いはこれだったのだと。
「フツヌシ、一頭でもいいから足止めして。ミカヅチ、電撃を撃てるだけ撃って」
ハヤヒノの声が響く。しかし。
「無理だよ、数が多過ぎる」
「こんなの集中できない」
「できなくてもやれ! 死にたくないだろ!」
いけない、フツヌシとミカヅチは完全に気圧されている。こうなったら自分がやるしかない。ハヤヒノは先頭の歩兵竜を指差し、念を込める。
「燃えろ!」
一頭の歩兵竜が炎に包まれた。だが、他の十四頭は速度を落とさない。いや、加速したのではないか。その目標は指揮官ではない。ハヤヒノがそれを確信したとき、燃えた歩兵竜は倒れた。その身体を踏み越えた十四の殺意がハヤヒノに向かって来る。
水涼(みすず)は良い子だから
お母さん。これは天罰なの。ハヤヒノの心が恐怖と絶望と、そしてほんの少しの安寧に包まれた瞬間。
三日月の下、中天から降り立つ影。青と黄色のターバン。両手に握るセベリル645。轟音と静寂。長い長い一瞬が過ぎた。逃げる歩兵竜を追って、ターバン姿は走った。
ハヤヒノ達は、再びトラックの荷台に揺られていた。
「ツクヨミ」
有銘が声をかける。
「歩兵竜とさっきの彼、どこに行ったのか追えてる?」
ツクヨミは無言でこくりとうなずく。
「そう、追えるだけ追って頂戴。ノコヤネ」
「はい」
子犬の様な返事だな、と有銘は思う。
「今の時点で何かわかった事はある?」
「あの歩兵竜たちの脳には機械が埋め込まれているようです。指示や命令はそれを通じて電波で行われているみたいですね」
「それは解剖の結果とも符合するわね。他に何か感じたことはある」
「そうですね、あの歩兵竜たちには個性が全くありませんでした」
「個性がない」
有銘は口元に手を当てた。考えるときの癖である。
「脳の個体差と言った方がいいんでしょうか、量産品の家電みたいに、OSも一緒、アプリケーションも一緒、ストレージの容量も全く同じ、みたいな感じで」
「そう、興味深いわね」
言葉を選んだのかな、とノコヤネは思った。本当は面白いと言いたかったのではあるまいか。
「あとは……」
「何、まだあるの」
「あ、いえ、これはあまりにも主観的過ぎるかなと思うのですが」
「何でもいいわ、言って頂戴。今は少しでも情報が欲しいの」
「はい、脳の中の様子が、その」
ノコヤネは一瞬、隠しきれない嫌悪感を顔に表した。
「人間にそっくりだったな、と」
十分後、指揮官と神童の一同は森の中に居た。そこには先んじて施設小隊と、そしてあのターバン姿が居た。さっきは歩兵竜が比較対象になっていたので、さほど大きいとは感じなかったが、近くで見ると結構立派な体格である。身長は一八〇センチくらいか。巨体と言うほどではない。しかし服の上からでもはっきりわかる程度には、全身の筋肉が発達している。その太い腕に、ショットガンが握られていた。セベリルSP120『アナンタ』、これまた頑丈さと装弾数の多さだけが褒められる事で有名な銃だ。
ターバン姿は一本の太い古木に近づくと、その銃の先を押し当てた。ずぶずぶと木の中にめり込んで行く。だが、木に穴が開いている訳ではない。なのに銃の先は何処までも入り込んで行く。飲み込まれて行くと言った方が正確かもしれない。指揮官は施設小隊長に尋ねた。
「異常は」
「電気、磁気、紫外線、赤外線、X線、どれも反応なしです。電磁波的な異常は何も観測されません」
指揮官は落ちていた枯れ枝を拾い、古木を横から叩いてみた。乾いた音を立てて、当たり前の様に枝は跳ね返される。横から叩く分にはただの古木だ。ターバン姿は言う。
「この角度でなければ入れない」
「ここにあの歩兵竜が入って行ったというのか」
俄かには信じ難い、という口調の指揮官に、ターバン姿は静かにうなずいてみせた。
「彼は信用できるのですか」
指揮官の視線の先には雨野有銘が居た。
「嘘や勝手な憶測を言えるようにはなっていないはずです。真相はどうあれ、少なくとも彼は見たままを語っていると思われます」
指揮官は小さく唸った。
「つまり、過去に歩兵竜が出現した地点にも、これと同じ物があるという事か」
そのとき。
「あった、と言うべきでしょうな」
離れた位置から声がした。
「時折現れては、いつの間にか消えている。天穴とはそういうものです」
「誰だ!」
指揮官の誰何と同時に、照明と自動小銃が声のした方に向けられる。
「ああ、撃たないで。出て行きますから」
気弱な声を上げて木の陰から人影が現れた。一晩ごとに涼しくなって行く季節であるとはいえまだ十月、日中には動けば汗をかく。そんな時期にも拘らず、その身に纏うのは分厚い毛皮のコートに毛皮の帽子、手袋をはめ、首には長いマフラーがグルグル巻きになっていて顔が全く見えない。ツクヨミが指を差した。
「変わった人」
そこでようやくハヤヒノは、トラックの中でのツクヨミとの会話を思い出した。変わった人がいる。確かにツクヨミはそう言っていた。こいつの事だったのか。
「あの、政府の方とお話がしたいのですが」
変わった人はそう言うと、両手を上げたまま地面に膝をついた。その周囲を銃口が取り囲む。
「その前に帽子とマフラーを取りたまえ」
「はい、いいですとも」
指揮官の言葉に、変わった人はうなずき、ゆっくりとそのロシア帽に似た帽子を取った。そこには髪があり――それはふわふわとした、絹の様に真っ白な――そして更に頭の天辺には、突き出た二本の角があった。鬼だ。その場にいた全員がそう思った。それだけでも十分過ぎるほどに驚きであったが、マフラーを取ったその顔に、一同は更に驚愕した。大きな目、緑色の肌、トカゲの様に前に突き出た口。それは人間の顔ではなかった。良く知る鬼の顔でもない。リザードマン、誰かがそう口にした。
「そうですね、リザードマンとかディノサウロイドとか、こちらの世界では呼ばれています」
なんだか嬉しそうに、リザードマンはそう言った。
リザードマンは銃を持った隊員に両脇を抱えられ、トラックに乗り込んだ。同じトラックに神童の一同も乗り込む。そして「あなたも一緒に来なさい」と有銘にそう言われて、ターバン姿もまたトラックに乗り込んだ。
トラックの中は沈黙に包まれていた。フツヌシとミカヅチはすっかりしょげ返り、落ち込んでいる。それをトリフネは横目でちらちらと見ていたが、話しかけられる雰囲気ではない。ノコヤネはリザードマンと話してみたかったが、興味本位の質問ができる空気でもなかった。ツクヨミはいつもの通り俯いているし、ただそんな中、ナビコナだけはニコニコと明るい笑顔を輝かせている。
トラックの中に聞こえるのは、エンジン音、タイヤが道を駆ける音、そしてターバン姿がチョコバーの包み紙を破く音だった。周りの視線も気にせず、一心不乱にチョコバーにかぶりつく。マスクを取ったその顔は、まだ随分と若い少年の容貌だった。
沈黙を破ったのは、ハヤヒノ。
「で、結局」
それは有銘に向けた言葉。
「こいつは一体誰なのよ」
ハヤヒノはターバン姿を指差した。ターバン姿はそれでも黙々とチョコバーを齧っている。
「あなた達の新しい仲間よ」
有銘は事も無げにそう言った。その言葉に、神童一同は顔を上げる。
「仲間、こいつが?」
「ええ、彼が特能部隊神童の九人目のメンバー。名前は……そうね、スサノオと名乗りなさい」
見つめる有銘にターバン姿は少し意外そうな顔を向けると、「スサノオ」と口の中でつぶやいた。
「そう、今日からあなたはスサノオよ。何か不満はある?」
「命令ならば異存はない」
スサノオはそう答えると、再びチョコバーを齧り始めた。
「ちょっとあんた、いつまで食べる気よ、真面目に聞く気あるの」
見咎めるハヤヒノを、有銘は手で制した。
「いいのよ。彼はこれでいいの」
スサノオはチョコバーを口に押し込むとまた、新しいチョコバーを取り出した。
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