鬼の首 龍の首
柚緒駆
第1話 歩兵竜
三日月の細い光の下、中天から降り立った人の影。それはハヤヒノと歩兵竜の間、ちょうど真ん中に突然現れた。
絵だ。ハヤヒノは思った。誰の絵だったろう。確かフェルメール。タイトルは「真珠の耳飾りの少女」だったか。その少女が頭に巻いていた、青と黄色のターバン。それによく似たものを目の前の影は頭に巻いていた。顔の下半分はマスクで覆い、緩やかにローブを羽織っている。足元には登山靴の様なブーツ。そのゴツゴツとしたシルエットで彼は舞う様に身を翻すと、そのローブの内側からゴツゴツとした鉄の塊を両手に取り出した。
セベリル645リボルバー『タクシャカ』。そのデザイン的にも機械構造的にも見るべきもののない、頑丈さだけが取り柄の二丁の黒い拳銃は、己の存在価値を知らしめるが如く、平然と44マグナム弾を吐き出した。弾丸は襲い掛からんとして口を開いた歩兵竜のその口蓋を内側から貫き、脳内で炸裂、後頭部に大穴を開けて外に飛び出す。一瞬で二頭が崩れ落ちた。外からの攻撃に強いものは、内側からの攻撃には
歩兵竜の全長は約三・五メートル、体高約二メートル、二本足で立つ、ディノニクスに代表されるドロマエオサウルス科独特の姿。そして体表をくまなく覆う金色の光。淡い月光を反射してきらきらと輝く鱗はボディアーマーである。この謎の金属で作られた金細工の様な鎧は、フルメタルジャケットの機銃弾を跳ね返す。百メートル先の厚さ二五ミリの鉄板を撃ち抜く十二・七ミリ重機関銃が、足止めにしかならないのだ。その歩兵竜を、ターバン姿は拳銃弾で倒した。銃器に興味のないハヤヒノであっても、その凄さはわかる。
しかし歩兵竜は恐怖を知らない。息つく暇も与えず集団で飛び掛かる。連続する発射音は一つの長い破裂音に聞こえた。ほぼ同時に八頭の歩兵竜がその身を転がす。全て口の中から頭を撃ち抜かれて。
十四頭いた歩兵竜はあっという間に四頭になってしまった。流石にその足は止まる。そしてじりじりと後退して行く。二丁の拳銃が静かにローブの内側に戻されたのを見て、四頭の歩兵竜は背を向けた。逃げ去って行くその後を、ターバン姿は追う。長い長い、しかし一瞬の出来事。それをハヤヒノは魅入られたように見つめていた。
「ハヤヒノ!」
背後から有銘の声が響く。
「車に乗りなさい!」
ハヤヒノは弾かれたように振り返ると、トラックの荷台に走り寄った。
明日は来ると思っていた。誰もが何の根拠もなく、ただ今日の延長線上に明日は必ずやって来るのだと信じていた。金色の竜の群れを目にするまでは。
最初に襲われたのは山間の集落。僅か五頭の深夜の襲撃に、できた事と言えば数件の一一〇番通報だけ。老人ばかりの過疎の村は、抵抗することはおろか逃げ惑う事すらできず、五十余名の犠牲を出して静かに全滅した。それが判明したのは数時間後。駐在所と連絡が取れず、渋々パトロールに出た市警本署の警官が惨状を目の当たりにした。そして敵の姿に辿り着くのはさらに数時間後、郵便局の防犯カメラの映像であった。
画質の粗いその映像では詳細は不明であったが、そこに映っていたのは小型の肉食恐竜である事は間違いないと思われた。遺体に残された歯型もそれを肯定した。無論、恐竜など今の世の中に居る訳がない。誰もがそう思った。けれど政府の動きは速く、その日のうちに近隣の集落近くに陸上自衛隊の歩兵連隊が配置された。
だがその日は恐竜は現れなかった。その次の日も、更にその次の日も、恐竜は姿を見せなかった。もう恐竜は二度と現れないのではなかろうか、人々がそう思い始めた一週間後、最初の集落から数百キロも離れた山麓の村に、五頭の恐竜が現れた。しかし今度は、まるでそこに現れる事を予測していたかのように自衛隊が駆け付け、激戦の末にこれを壊滅させた。世間は自衛隊を称賛したが、同時に不安も広がって行った。みな気付いたのだ。この国が、まだその名も知らぬ何処かから侵略を受けているのだという事実に。
そして、数か月が経過した。
「第二九地区、龍ヶ瀬村」
コトシロの託宣は直ちに首相官邸に伝えられ、統合幕僚監部を通じて陸自部隊に指示が下る。その予言の的中率は九割を超える。『恐竜予報』としては、他に比べる物なき絶対的な存在であった。
当該地区の自治体には強制避難指示が発令され、幹線道路は封鎖された。今月三度目、しかも首都圏の現場である。取りこぼしは許されない。『神童』が招集され、指揮官の護衛と敵の調査の為に現地に急行した。
特能部隊神童は統合幕僚長直属の秘密部隊、その存在は一応部外秘――半ば公然の秘密――となっている。指揮管理には雨野有銘特務審議官が当たる。
「ねえ有銘ちゃん」
「ちゃんはやめなさい。ハヤヒノ、仕事中よ」
三三歳の若さで局長級の現在のポストにまで上り詰めたエリート中のエリートも、このハヤヒノと呼ばれた少女の前では形無しだった。本来局長級と言えば、ものの例えではなく、文字通り言葉通りに『国を動かす』高級官僚である。誰でもが辿り着ける地位ではない。しかるに、今の有銘の実際の仕事はと言えば、まるで遠足の引率であった。
「敵が出てくる回数、急に増えたよね」
ハヤヒノは有銘の注意など気にも留めずに言葉を続けた。現地へ向かう陸自の三・五トントラックの荷台、そこには十人の隊員と、七人の少年たちが乗っている。
「そうね、先月まで平均二回以下だったのが、今月に入ってもう三回目、結構な増え方ね」
「敵に何かあったのかな」
「今の段階で判明している変化は何もないわ。コトシロも何も言ってないでしょう。と言うか、それを調べるのもあなた達の仕事のうちなのよ」
「そんなのどうだっていいや」
ハヤヒノの隣の少年が呟いた。
「そうそう、今はケツが痛い方が問題だ」
更にその隣の少年も同意した。荷台の左右に設けられた兵員輸送用のベンチは、確かに乗り心地までは考慮されていない。
「ミカヅチ、フツヌシ」
ハヤヒノが睨む。それに対して膨れっ面を見せる二人は、同じ背格好、同じ顔。考えるまでもなく双子だった。
「だってさあ、待ち時間が面倒くさいじゃん」
「そうだよ、テレポートでパパッと行けばいいのに」
「ちょっと、やめてよね」
向かい側に座っていた背の高い少女が眉を吊り上げた。
「テレポートが車移動より楽だと思ってる訳? んなはずないでしょ。跳ばすこっちの身にもなってよ」
「トリフネの言う通りだよ。能力はそんな簡単に使うもんじゃない」
ハヤヒノは厳しい顔を見せた。しかし双子は不満顔だ。
「また始まったよ」
「お説教だー」
「ハヤヒノは先生かよ」
「使えるものは使わなきゃ損だろ」
「勿体ないよ」
「ノコヤネも何か言えよ」
「え、僕?」
一番端に座っていた、ひょろりとした気の弱そうな少年は、突然自分に話を振られて困惑した。
「そうだよ、一番年上なんだから、何か言えよ」
「そうだそうだ」
「……何でこういう時だけ年上になるのかな」
困っているノコヤネを、ハヤヒノはジロリと見つめた。
「何よ、なんか文句あるの」
「いやいや、ないです、全然ないです」
ノコヤネは引きつった笑顔で両手を振って見せた。
「あ、でも、雨野審議官」
有銘はノコヤネに視線を向ける。心なしか、ハヤヒノを見る目よりも優しい気がする。
「何」
「敵の調査って、具体的に何を調べればいいんでしょうか」
「そうね、その辺は相手の出方によって臨機応変に、と言いたい所だけれど、まず当面知りたいのは相手の指揮命令系統がどうなっているのか、かしら」
「指揮命令系統ですか」
ノコヤネは宙を見つめた。何かをイメージしているらしい。
「恐竜の思考が読めるものなのかは私にはわからないけど、とにかくツクヨミと協力して探れるだけ探って頂戴」
「わかりました、やってみます」
自信なさげなノコヤネの笑顔を一瞥すると、ハヤヒノはトラックの一番奥に座るサングラスの少女を見た。相変わらず大きなサングラスだな、とハヤヒノは思う。小さな顔が殆ど隠れてしまっている。奇麗な顔なのに勿体ない。
「ツクヨミ、何か変わった事はない?」
「変わった……事」
「そう、これから行く先に、でもいいし、後ろの方で、でもいいから、何か変わった事。何もないならいいんだけど」
「変わった……事」
ツクヨミはもう一度囁くような声を出すと、深い溜息をついた。
「……人が」
「え?」
「変わった人が居る」
ハヤヒノは首を傾げた。
「変わった人、恐竜じゃなくて」
「恐竜は、まだ居ない」
「んじゃ、恐竜が出てきたらまた教えて」
「……うん」
くすくすくす。ハヤヒノとツクヨミの会話を聞きながら、笑っている者がある。暗いトラックの中、そこだけ光が当たっているかのような、いや彼自身が光を発しているような不思議な雰囲気。十二歳になったばかりの、けれど可愛いと言うよりも美しいと言った方が正しく思える少年は、そのふわふわと輝ける笑顔をハヤヒノに向けていた。
「何よナビコナ。あんたも何か言いたいの」
「んー、花月はねえ、特にはないんだけれど」
その一言をハヤヒノは聞きとがめた。
「またそれ。あんたは花月じゃないでしょ、ナビコナ。ナビコナがあんたの名前なんだよ」
「ええー、花月は花月だよ」
「違う。あんたはナビコナなの。少なくとも仕事中はナビコナじゃなきゃいけないの。理解しなさい」
「ハヤヒノは良い子だねえ」
悪気のある言葉ではなかった。しかし何かのスイッチが入ったかの様に、ハヤヒノは立ち上がった。
「審議官、間もなく到着します」
前方の助手席から声が掛かった。有銘は頷くと、神童の少年達を見回す。
「ではハヤヒノ、ミカヅチ、フツヌシは指揮通信車の護衛、ノコヤネ、ツクヨミは後方で敵の探知及び調査、トリフネは指揮通信車内で待機、ナビコナは負傷者の治療、いいわね」
一同は皆大なり小なり同意の意思表示をした。ムッとした顔で立ち尽くしているハヤヒノ以外は。
「あ、出た」
ツクヨミが呟いた。
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