寄せては返す、夜の色

木屋輔枠

第1話 東京の夜が明けない


 目を覚ますと夜だった。


 窓の向こうには暗闇が底なし沼のようにわだかまっている。曇ひとつない空なのに星はひとつも見えなくて、月だけが静かに浮かんでいた。太陽が沈んで夜になるのではなく、闇が満ちて夜になったみたいだ。眩い光を放っていたはずのスカイツリーや高層ビル群が光を失って茫然と佇立しているのがぼんやりと見える。電気が失われているのだ。

 僕は保健室のベッドから身を起こす。ちゃんとした寝床なのに肩周りが妙に凝り固まっていた。


「……うにゃ、」


 間の抜けた寝言に隣のベッドに目をやる。「この状況でよく寝れるな」とあきれた顔をしてみても全く目覚める気配がない。

僕の隣のベッドで寝ているのはクラスメイトの田中かおりだ。寝返りをうって僕の方を向いた横顔に暗めの茶髪がはらはらとかかる。起こそうかと迷って、ふと見た時計は十二時を指したまま動かない。


 


       ■


 昨日、目覚めたら僕は高校の三年二組の教室にいた。窓の外に立ち込める暗闇に凪いだ水面みたいに光を湛える月。夜の教室に一人きりという異常。

 ……これは夢だ。しかも、明晰夢。

あまりのリアルさにしばらく茫然として、せっかくだから目が覚めるまで遊ぼうなんて考えた。

無意識のうちに制服のブレザーのポケットに手を入れてスマホを取り出す。ボタンを押して画面をつけるも圏外で、インターネットも繋がらない。

 仕方ないので教室を出ようとしたとき、足に何か生温かいモノが


「うわァっ!!」


 瞬間、飛ぶようにして後ずさる。ソレは教室の床にゴツンと音を立てて落ちる。黒い塊がもぞ……と動いて、ゆっくりと身を起こした。

 椅子や机に遮られた月明かりが木漏れ日のように白い横顔を照らし、すっと通った鼻梁が淡い陰をつくる。長いまつげに月光の雫が落ちて、弾けた。

 肩まで伸びた茶色の髪を立ち上がりざまにふわりと後ろに流して、ぱっちり開かれた目がへっぴり腰で固まったままの僕を捉えた。

 二人の間に月の光が滔滔と溢れて、僕と彼女は見つめ合う。音を立てるものは他になく、地球上には僕らだけが残されてしまったように感じる。


「…………烏丸からすま?」

「あ、はい」


 彼女――田中香は170センチ近い背をスッと伸ばして僕を呼ぶ。目線はほとんど同じだし、モデルのような出で立ちに勝手に気おくれしてしまう。


「……教室? なんで?」


 首をかしげる田中。

 僕と言えば高嶺の花だと思っていた田中が夢に出てきたことに動揺していた。僕は田中が好きだったんだろうか。まあ、目で追っていたことはある。認めよう。田中はとにかく立ち振る舞いが美しいし自然体なのにどこかしゃんとしていて……いや、僕は何を言っているんだ。

とにかく、田中香は誰が見ても魅力的な人だ。


「おーいカラス?」


 カラスというのはクラスでの僕のあだ名だ。髪が真っ黒で苗字が烏丸だからカラス。僕はそう呼ばれることを一度も許可していないのだけれど、気が付いたときには手遅れだった。


「ここ……教室? なんで夜なの? しかも電気つかないし」


 取り出したスマホが連絡手段の機能を失っていることを確認して、田中は顔をしかめた。

 

「……夢、じゃなかったのか」

「夢?」

「いや……。この状況……どう考えても異常だろ。僕はさっき目が覚めて、自分の夢だと思ったんだけど」

「カラスの? え??」


 田中は自分の存在を確かめるように両腕で自分を抱きしめたり体中ぺちぺち叩いたりし始めた。


「ねぇ、これカラスの夢なの? ちゃんと私には私の感覚があるんだけど」

「え?」


 田中の不安そうな言葉に僕の方が動揺してしまう。僕も自分の腕や足をバシバシ叩いてみる。ちゃんと痛いし、感覚がある。

 恐る恐る、頬をつねる。


「………………」


 普通に痛いし何も起きない。というより、目覚めない。

 まさか、ここは現実なのか?

 すうっと血の気が引く。


「あ、わわ、私がカラスの見てる夢なら私の体は一体、」

「おおおおお落ち着け田中」


 完璧で欠点がなさそうな田中が慌てている姿を見るのが初めてで、どうしたらいいのか分からない。成績はいいはずなのに妙に抜けている人だと思う。気が付くと僕はぶんぶんと上下に腕を振って精いっぱい『落ち着け』の動きをしていた。

 田中はぱちくりとまばたきした後、ぶはっと吹き出した。


「っはは、てかカラスの方が落ち着いてないじゃん!」

「……う」


 そんなに笑わなくてもいいじゃないかと思う一方、素直に感情を表現する田中にどぎまぎする。普段はもっと余裕があって、自分の気持ちをコントロールしている印象だった。

 それにしても状況が分からない。


「外、出てみるか」

「そうだねー。何か分かるかも」


 教室後方のスライドドアを開けて唖然とする。

 真っ白な濃い霧が立ち込めている。一歩先さえ見えないくらいだ。得体の知れない世界にごくりと唾を飲むと、ブレザーの裾がくいっと引っ張られた。


「ね、ねえ! 置いていくのだけはやめてよね!」


 こくこくと頷くのが精いっぱいだった。田中に服を掴まれている緊張よりも一人きりになる恐怖が強かった。

 視界は真っ白で、目を開けているのか閉じているのかも分からない。壁をつたって慎重に歩く。学校の構造は変わっていないみたいだ。ブレザーがきつく引っ張られて少し動きづらい。

頭の中でいつもの道を思い浮かべて階段を降りて、昇降口へ。玄関のガラスドアを開くと月明かりが差し込んでくる。転がるようにして外へ。

 目の前のグラウンドは相変わらずだけれど、その上には闇が重く垂れこめている。


「……異常だ」


 ぽつりとつぶやいた僕の肩を田中が激しく揺する。


「ねえ、カラス! スマホが!」


 親指で電源ボタンをカチカチと押しているけれど、一向に画面が明るくならない。さっきまではついていたのに……。

 嫌な予感がして自分のスマホを取り出した。


「……僕のもつかない。ダメだ」


 無意識のうちにスマホを固く握りしめていて手が白くなっていた。

 

 光を奪われ、明けない夜に僕たちは閉じ込められている。

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