千時間が過ぎるまで

くるとん

第1話

「…なに、このアプリ」


何気なくみた優香のスマホには、一つ、目を引くアイコンのアプリがあった。

ただ真っ黒の、それだけのアイコン。

彼女はゲームをダウンロードしない。

ラインだって、私が一ヶ月かけて説得して、やっと入れてくれたのだ。

そんなほぼ買ってきた時のままのスマホに、見たことのないアプリがあった。

これは異常事態だ。


「これ?うーん…電子砂時計みたいなもん」

「そんなのなんに使うの?タイマー機能もあるんだからわざわざ入れなくてもいいじゃん」


いつもは優香がこう言うことを言っているのに、今日は逆。

明日は雨でも降るかな、と心の中で呟いた。


「そうなんだけどね」


アプリの名前は、千時間。

どんなアプリなのか全くわからない。


「ちょっと見して」

「ん」


アプリを開くと、シンプルなホーム画面が表示される。

一番上には、大きめな文字で「1000:00」と表示されている。


「ホントになんのアプリ?これ」

「…いっても内緒にしといてくれる?」

「え、何よ。なんかまずい事に使うの?」

「ちょっとそうかも」


いい辛そうに俯く優香。

普段はこんな歯切れの悪い喋り方はしない。


「白状しなさい!なんに使うの?」

「…千時間たったら、死のうと思って」

「え……?」


寂しそうに微笑んで、顔を上げた。

なんとなく、千時間が経たなくても、今、空気に溶けていなくなってしまうんじゃないかと思った。

話しかけて、ずっと会話していないと消えてしまいそうな気がした。


「な、何言ってんの?本気なの⁉︎」

「うん、本気」


なんで、とは聞けないし。

無闇にやめて、なんて言うのも無責任だし。

でも止めないのも薄情な気がするし。


「…なんかね、どうせこのまま生きてても無駄なんだなぁって感じちゃったの」

「そうなんだ…」


黙っていると、優香のほうからポツリと呟いた。

私は訳もわからず、変な相槌を打つだけ。


「ねぇ、これ内緒にしといてね?」

「えっと…どうしよっかなぁ〜、なんて」

「してくれないなら死ぬ時道連れにしちゃうよ」

「やめてよ、冗談かどうかわかんないこと言うの」


今こうやって、いつもみたいに笑って話してるのに。


「でも、そうだな。優香が死ぬ時は、一緒に死にたいって思うかも」


目の前を歩いていたサラリーマンが、ギョッとした顔で私たちを振り返る。

それがやたらと可笑しくて、その人が急ぎ足で歩き去った後は二人で大笑いした。


「でもね、結局まだ動かしてないの。最後の千時間、いつからどうやって使おうかなぁって」

「…最後の、なんてやっぱりダメだよ」


とりあえず、千時間は時間があるんだから。

その間に優香に死にたくないって思わせないと!


「夏休みになったらさ、二人で千時間使おう!遊んで遊んで遊びまくって、それでも死にたかったらその時また考えよう?」

「千時間は美咲の説得時間ってわけね」

「そう!だからちゃんとお小遣いとやりたい事、貯めといてね!」

「やりたい事はとにかく、いつも金欠なのは美咲でしょ」


そう言って、笑い合った。

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