四章8 『異常なる世界』
しばらく視界は真っ白に染まっていたが、自分がいる世界がさっきまでと違うことは別の感覚で十分に分かった。
雨こそ降っていないが、ここは決して青空や夜空が広がるような、呑気な場所では無い。
聞こえる音は何かが破壊される重低音、燃やされる乾いた音、そして誰かの高らかな笑い声。
「あははははは! 壊れてしまうのです、全て、全てッ、全てッッ!!」
ああ、聞き覚えがある声がする。毎日毎日、耳に馴染んでしまうぐらいに訊いた声だ。いつの間にか、生活の大半を占めてやがった、あいつの声だ。
僕はそいつの名前を口にした。
「……ノゾム、何をやっているんだ?」
だんだん、視界がはっきりしてきた。
僕は地上より遥か高度に、上空に浮いていた。
空は黒く染まり、時々青白い閃光が走っている。眼下には破壊しつくされた荒野が視界いっぱいに広がっている。地上と空を繋ぐように立っていた世界樹はぼうぼうと燃え上がり、今にも焼け倒れそうだった。そして僕達の丁度真下には、火山口があらゆる凶悪なものを吐き散らしている。それ等はきっと、この世界を形作っていたものをことごとく燃やし、破壊しつくしたのだろう。
彼女はその世界の終末のような光景を紅い瞳で眺めていた。
「愛! 来てくれたんですね」
「……随分、派手にやってるな」
「えへへ……。あの、さっきはその、ごめんなさい」
しおらしく当たを下げるノゾム。僕は一生懸命に背伸びをして、彼女の頭を撫でた。
「あ、愛……?」
「気にするなよ。僕の方こそ、ごめんな。酷いこと、言っちゃって」
「……おあいこ、ですね」
「ああ」
ノゾムも僕の頭に手を伸ばし、優しい手つきで撫でてくれた。それは胸の奥が温かくなるような、新鮮な喜びだった。
「……愛。今の私は、怖いですか?」
「なんだよ、突然」
「だって今の私は、|あの(、、)私でもあるんですよ?」
言われて初めて、そのことに僕は気付いた。けれど前のような恐怖は無く、心は穏やかなままだった。
「全然。いつものお前のままって感じがする」
彼女はそうですかと笑い、バレリーナのようにくるくると宙を回って詠い始めた。
「どうですか、この世界は。素敵でしょう、素晴らしいでしょう、美しいでしょう! 芸術は爆発だ、とおっしゃっていた芸術家さんがいたらしいですが、まさかこれほどの絶景はさすがに想像できなかったでしょうね。空は歌い、竜巻は大地を奏で、それを世界の化身たる巨木が喝采する。芸術というのはですね、ただ爆発するだけではダメなんです。きちんと一つ一つに役割を与え、そのうえで破壊する。そこまでできてようやく物語は完成し、世界が誕生する。創世、これこそが芸術家に求められることであり、芸術の醍醐味なのです」
「おいおい、お前は神にでもなったつもりか?」
彼女は悪戯っぽく笑い、僕へと振り返った。その表情はいつものノゾムのものであったし、怪しげな雰囲気のノゾムのものでもあった。
「この世界に限っては、そう言えるかもしれませんね」
「でもこんなちっぽけな、鑑賞者が一人もいない世界で神様になっても、寂しいだけだろ?」
そう問うと、ノゾムは急に真顔になり、白けた表情で眼前の凄惨な光景を眺めた。
「ええ、そうですね。……愛はいつも、こんな気持ちでいたんですね」
「ああ、そうだ。たとえ圧倒的な力を持とうとも、こんな世界じゃ空しいものさ」
この世界には、もうクルミはいないだろう。ナルミもいないだろう。
ノゾムの持つプログラムデータに敵対者のデータは無い。
それでも世界は元には戻らない。
元々、バグでできた世界だ。きっとそう簡単に消えはしない。
ここは世界中の誰よりも、僕自身が一番よく知る場所。世界がどれだけ変われど、自分自身には何の影響も無い。被害も受けない。自分の回りにある者が絶えず変化しても気にならず、やがて何もかもに関心が無くなってしまう。そんな立場に、僕達はいた。
「寂しくないですか? こんな圧倒的な力」
「寂しいというよりは、退屈かな。一度画面に触れれば、何もかもが変わる。だけどそれは決まりきった結果。分かりきった終焉。この世界では、金さえあれば誰であっても思いのままの力を得られる」
もはや風一つさえ、次にどんな吹き方をするか知っている。
僕は神ではないかもしれない。だけどどんな預言でも受けられ、世界の全てを見ることができる、……巫女のような存在だ。
「だから、この格好だったのかもな」
「あと、女の子っぽいからですね」
「うるさい」
僕はそっぽを向き、世界の惨状を改めて眺めた。
「……天が大地を裂き、大地が生者を殺し、彼等は天に帰る……」
「まるで三すくみのようですね」
言い得て妙だった。
全ては壊し合い、創造し、また壊していく。こうして世界は回っているのだ。そのために優劣の三角形は出来上がる。
「でも世の中には負け続けて淘汰されていく奴もいるよな?」
「それは各陣営が集団だからじゃないですか? 勝つために生まれた者も見れば、負けるために生まれた者もいる。つまりはそういうことですよ」
じゃんけんと違って、循環は個人で行われるものでは無い。いくつかの集団が関わり合うことによって起こる現象だ。
「じゃあ、僕は負け続けるために生まれたのかもな」
「そもそも、人間社会に三すくみなんてあるんですか?」
「そういや、思いつかないな。というより、スパイラルって感じだ」
「スパイラル……。ああ、大体何が言いたいか分かりました」
「負け続けるヤツが出る、それだけだ。勝ち組が自分達の不満やら、ストレスやらを負け組に押し付ける。そしてその負け組が、自分達よりも弱い奴に押し付けて、終着点の奴が全てを引き受ける。それが繰り返されて、最後に我慢できなくなった時、そいつは引き籠ったりする」
「循環してないんですね」
「……もしかしたら、三すくみ自体がフィクションなのかもな」
「あはは、そうかもしれませんね」
「炎は草を燃やし、草は水を吸い、水は炎を消す。そうは言っても、圧倒的な火力に水は干上がり、水分に草は枯れる。けれど多量の草は少量の火であっても、やがては大火事となって、燃やし尽くす。結局、世の中は不公平なんだ」
もう語らうべきことは無かった。いや、必要が無かった。僕達は言葉を交わさずとも、互いの思っていることが全て分かった。
「何ででしょうか。君の思っていることが、全て分かるんです」
「そうだな……、僕もだよ」
「――それはノゾム先輩達が、本当は何も考えていないからじゃないですか?」
ふいに背後から、聞こえるはずの無い声が聞こえた。
「……夢葉、ナルミ。お前はノゾムに倒されたはずじゃ……」
「プログラムデータは外部の、アタシの手にあった。だから倒されても、敗北の扱いにはならなかったのよ」
ワンピースの制服姿のナルミとフリルの付いたブレザーを着た守。二人の少女が僕等の背後に、宙に浮いていた。
「そんな能力、ナルミは持っていないはずだ……」
「……そうだね、私は持っていなかった。だけどノゾム先輩が、浮遊の能力を手に入れた。だから私も飛べるようになった」
「どうしてノゾムが使えるようになったら、お前もこいつの能力が使えるようになるんだよ!?」
ノゾムは興奮する僕を落ち着けるように肩に手を置き、そして静かに彼女の能力の正体を言い当てた。
「空落とし、ですか」
「……さすが、ノゾム先輩ですね。先輩の名前は夢月ノゾム。月とは、夜の空に浮かぶもの。この技の対象内という訳です。つまりノゾム先輩の技は全て私の技でもあるということです」
「そんな……、無茶苦茶だ!」
僕は愕然とした思いで眼前のナルミを見た。彼女は悠然と刀を構えて、その切っ先をノゾムに合わせている。もしも少しでも彼女に近づけば、たちまちその刃で切り伏せられてしまうだろう。
「愛……、選んでください」
彼女は小声で僕に選択を迫る。
「何をだよ」
「彼女はおそらく、この世界を襲う災厄のいずれかで挑んできます」
「空落とし、か……」
確かに目の前の災厄はどんな神話の神にも勝る、破壊の権化。これ等を使わずに、今のノゾムを討てるとは考えにくい。
「大地を蹂躙する火山、宙を支配する竜巻、空より放たれる雷。この三つには優劣があります」
「三すくみだな」
「大地は頑強さで雷に勝り、空は竜巻に惑わされず、竜巻は地に在る生命を引きはがす。今の私でも、一度に全ての技を繰り出すことはできません。一つが限界です」
「つまり次の一手はじゃんけんになる、ってことか……」
その三つのどれでナルミと戦うかを僕に選択しろ、ということだ。あいこならともかく、もし劣るものを選んでしまったら、その時点でノゾムの敗北は決まってしまう。
一体、彼女達はどんな技で来るか。空、宙、大地……。
「……宙だ。彼女達の家は先祖代々、空を切るために生きてきた。その末裔の彼女ならば、空に勝る大地を選ぶはず。宙で攻めよう」
「……分かりました、宙ですね」
彼女は手に持った竹に、自らの力を注ぎ込む。一度振れば、大地に在る全てを吹き飛ばす巨大な竜巻を生み出すだろう。
対するナルミは刀を背後に隠していた。いや、あれは五行の構えの一つ、脇構えだ。別名、陽の構え。刀を右脇の下に取り、刀の長さを相手に悟られないようにする。今の剣道では刀の長さが決まっているため、ほとんど見かけない構えだが……。
ナルミ達は一体、何を企んでいるのか。それを見抜こうにも、相手の刀は上手く死角に隠され、窺うことはできない。
それを思案している間に、向かい合う両者は動き出した。
同時に僕と守はプログラムデータのしるしに触れ、空に向かって叫ぶ。
「「限界突破!」」
光りのごときノゾムとナルミの動きが、さらに格段に加速する。
互いに先手を取らせないよう一定の間合いで楕円状に空中を旋回し、相手の隙を伺う。二人はそれを息の詰まるような気持でやっているのだろう。しかし加速した彼女達の鍔迫り合いは、それ自体が異次元の格闘技のように見える。真剣の切っ先と竹の先端が触れる度に火花が散り、次の瞬間にはまた新たな火花が。まるで絶え間なく打ちあがる花火を思わせる戦いだ。
その前代未聞の読み合いに見とれていた時、ふいに違和感が胸の内をよぎった。
ナルミの持つ刀が、徐々に色彩を失っていっているのだ。
そういえばノゾムは勝負は三すくみで決まると言っていた。だが現状は拮抗している。どちらかの武器が相手に勝る属性を宿していれば、とっくに決着が付いているはず。しかし未だに戦いは続いている。ならば相手も宙属性で挑んできているはずだ。だが、あの刀の静けさは何だ? いくら目を凝らしても、ノゾムの言っていた三つのどれにも当てはまっているようには見えない。
もし空落としでこの世界のいずれも取り込んでいないのなら、力不足で吹き飛んでいるはず。だが刀は今も折れず、しかも何か異質な変化を始めている……。
ノゾムは気付いているだろうか? 僕より間近で彼女と戦っているんだ。当然、気付いているだろう。それでも手を打てない、打たせてもらえない。この世界の神となった、ノゾムでも。それが夢葉ナルミ、HeRの実力だ……。
「……ノゾム先輩、あなたは私の憧れでした」
ナルミは大きく後方に飛び、距離を取った。その隙にノゾムは腕を伸ばし、槍のごとく竹を突き出す。竜巻を伴い、ナルミの遥か後方にある街さえ粉砕した風圧は、しかし彼女には何ら影響も及ぼしはしない。
彼女の手に握られていた刀は完全に姿を消していた。だがそこにあることは確かに分かる、存在は僅かに感じる。しかしその姿は見えない……。
「ですが、今のあなたを私は尊敬することができません」
「……なぜですか、ナルミちゃん」
刀の切っ先が再びノゾムに向けられる。存在感さえあやふやなそれに、僕達はぞっとするような恐怖を感じた。
「……今のノゾム先輩の力は、労せず得た力。空っぽな力です」
「違います、これは本当の私の力……!」
ノゾムは悲痛に叫ぶが、ナルミは容赦なく彼女の言葉を断ち切る。
「残念ですが、私にはそうは思えません。……ノゾム先輩はいつも、修業に修行を重ね、自分の努力を重ねていました。傍から見たら、そこに何ら成果も見出すことはできなかったでしょう。けれど誰よりも近くから見ていた私には分かりました。あなたが着実に、凄まじいスピードで成長していることが」
ナルミは宙を蹴り、その姿勢で固まった。次に、飛び上がる姿が現れ、飛翔、振り上げ、徐々に振り下ろしていく……、残像だ。あまりにも早すぎて、僕の目では全ての動きを追うことができなかった。だから、残像として残っていく。
「私はあなたが憧れであると同時に、恐怖の対象でもあった。今は私の方が強くても、いつかきっと追い抜かれてしまう。あなたの夢と、強さは直結していたから。対する私は歌を夢見て、学院での強さなんて、興味も無かった。いずれ退学になってしまうのではないかと、怯えているばかりだった」
ノゾムは動くことができない。彼女をもってしても、ナルミのスピードについていけないのだろうか。いや、違うだろう。さっきまでのノゾムなら、十分に今のナルミをあしらうことができた。だけど今は、無理だ。
ナルミの持つ武器は幻だ、空虚だ、空っぽだ。――虚空を映す刀。だからこそ、ノゾムは動くことができない。今の彼女にとって、あれほど恐ろしい武器は無いだろう。
なぜならあの武器こそが、今の彼女の本質であり、夢月ノゾムの力の源なのだから。
夢葉ナルミが刀に落としたのは空でも宙でも大地でもなく。その全てを創造した、夢月ノゾムのエネルギーだったのだ。
それならさっきの鍔迫り合いも納得いく。道理でいくら競り合っても、拮抗してしまう訳だ。
グー、チョキ、パー。最初からそんなものは無く、ナルミはそれ等全てと同格のものを持ち出してきたのだから……。
「いつものあなたなら、私は勝つことができなかったでしょう。迷い無く進み続けるあなたは、誰よりも強い情熱(ハート)を持っていたのですから。だけど今のあなたからは、全くそれを感じない。前に進もうという気持ちが完全に失われてしまっている。そんなあなたなら、迷いに曇った私の太刀でも切り捨てられるでしょう」
ノゾムの肩から真っ赤な血が流れた。瞬きしている間に、ナルミの刀が食い込んだのだ。しかしそれは致命傷には至らない。
彼女は竹を投げ捨てて、万能輪から木刀を抜き出した。そのまま密接しているナルミの側頭部目掛けて柄を叩きつけようとする。
「労せず得た能力。それはあなたの血肉にならないどころか、歩みさえ止めてしまった。それがこの戦いの、あなたの敗因です」
ナルミはまるで見えていたかのように死角からの攻撃を軽く受け止め、木刀を握った手の関節を片手で極めた。
「う、うう……」
「いつものノゾム先輩なら、自分の力で、この状況をどう脱するか考えられるでしょう。しかし今のあなたには、自分が何をできるかすら分かっていないんじゃないですか?」
「そ、……んな、こと」
肩から刀を抜き、ノゾムを突き飛ばした。
ノゾムの傷口からは噴水のように血が吹き上がり、ナルミの頬を紅く染めた。
力を失ったノゾムはそのまま、地面に落下していく。そして僕の体も手の平から零れた石ころのように、重力に引き寄せられていった。
確認することはできないけど、地面にはもう草一本すら生えていないだろう。きっと僕の体は固い地面に打ち付けられて、床に叩き付けられた無花果のようにぐちゃぐちゃになってしまうんだろう。……すごく、痛いんだろうなぁ……。
僕はぎゅっと目を瞑って、落下に備えた。
しかしその感触は思ったより軽く、膝の下や腰の辺りにしか衝撃が無かった。
不思議に思い目を開けてみると、守が心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫……?」
大丈夫だと言いたかったが、上手く言葉が出てこなかった。代わりに涙が込み上げてきて、僕は彼女に抱き付き、今まで溜め込んできたものを吐き出すように泣いた。
「ちょ、ちょっと……。ああもう、分かったわよ。好きなだけ泣けばいいじゃない!」
自分が何で泣いているのか、自分自身でも分からなかった。空中で放り出されたのも確かに怖かった。でもそれだけじゃないだろう。何もかもが嫌だったんだ。目の前で流れるノゾムの血、突きつけられる現実、そして彼女が負けてしまいそうなことも。
しばらく泣き続けて、ようやく話せそうになってきた。それでも嗚咽交じりの、途切れ途切れの声だった。
「……の、ノゾムは? ノゾムはどうなった……?」
守は眼下に目をやり、溜息を吐いて言った。
「もう、消えかかっているわ……」
「あいつと、最後に話がしたい」
「分かったわ」
僕をしっかりと抱え、彼女は宙を駆けた。
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