FILE052:眠れぬ夜を過ごして

「ずっと浮かない顔」


「……どうしてだろうね?」


 その晩、帰宅した蜜月は、自身が保護している若い女性・フェイと気ままに過ごしていた。

 しかし、彼女の表情は虚ろなままだ。


「アデリーンさんでしたっけ。その人と決闘しようと思ったのはどうしてですか?」


「さあ、ね……。フェイたんが知ったら引くような理由だ。だから言えない。それに、お互いいつまでもズルズル引っ張るわけにもいかないじゃない? それにあの子は私の素顔を知った。ワタシのほうから明かしてしまった」


 なぜ、なに、と、聞いてくるフェイに語った理由は建前なのか、それとも本音なのか。

 もはや彼女自身でもわからなくなっていた。


「相手もその気になったからには、本気でぶつかるのが【流儀】だ。けど……。正直、ワタシはあの子と戦うのが怖い」


 内心で恐怖を抱いていたことを、蜜月は打ち明ける。

 フェイはどう言葉をかけようか、「あたふた」と迷うが、そこで浮かんだものが――。


「武者震い……?」


「ハハッ。よく知ってたね。でもそれじゃないんだよ。あの子と本気で戦って、死んじゃうかもしんないって思うと怖いんだ」


「蜜月さん。わたくしも蜜月さんと離れ離れになったらって思うと……」


 不安そうなフェイの言葉を聞いて、蜜月は少し考える。

 家族の元に返せるまで面倒を見ると約束した手前、後には引けなくなっていた。

 

「……その辺は明日ゆっくり考えよう。今日はもう、おねんねにしない?」


「それじゃあ……」


 既に風呂もシャワーも済ませ、歯みがきも終えた蜜月はフェイとともにベッドルームでネオンが煌めく夜景を見ながら就寝。

 フェイを寝かしつけたが、蜜月自身はなかなか寝付けずにいた。


「死ぬのかな、ワタシ……。人はいつかは死ぬもんな」


 ――とある誇り高き黒いガンマンロボットはこう言っていた。

 「【勝負の世界】では勝つことが正義であり、その正義を守るためには、フェア・プレーの精神でなければならない。それが俺の【殺しの美学】」。

 ワタシもそう思う。

 暗殺稼業とは生死を懸けた勝負。

 勝てば生き、負ければ死ぬ。

 だが、勝っても死ぬ時は死ぬ。

 そんな過酷な裏社会で生きていく中で、そうした確固たる【信念】や【美学】を持てることは素晴らしいことだ。

 だからワタシは、後ろ暗い暗殺を生業としていながら弱いものいじめだけは絶対にしなかったし、アデレード……いや、アデリーン・クラリティアナの前ではああしてこうしてきたが、本当は正々堂々とした勝負を望み、それによって勝利を得ることを望んだ。

 まだ勝負がどう転ぶかなど、当日にならねばわからないが。

 ワタシは生きねばならない。

 ワタシ自身のプライドのため、以前のワタシならそうだった。

 今は――それだけではない。

 フェイのためにも、ワタシは勝ってみせる。

 ――眠れぬ夜を過ごす中、蜜月は自身の心に決闘で勝利することを誓っていた。



 ◆◆◆◆



 その頃、アデリーンはクラリティアナ邸に戻り、地下の秘密基地でボディメンテナンスを行なっていた。

 決闘の日に備えてだ。

 一糸まとわぬ姿で培養槽の中に浸かり、スーパーコンピューターからの厳重なチェックを受ける。


『フィジカル問題なし……ですが、メンタルが少し乱れていたみたいですね。何かありましたか?』


 メンテナンスを終えて体を拭き、服を着たとき、女性の人格と声を持つスーパーコンピューター・【ナンシー】からそう問われた。

 アデリーンは目を伏せながらこう答える。


「5日後に決闘することになってるの。今まで親しくしてたけど、実は敵だった相手とのね」


『決闘……ですか』


「今更躊躇するわけじゃないの。ただね……。いいわ、この話はやめましょう」


『ご無理はなさらず!』


 【ナンシー】と少し話してからアデリーンはメンテナンスルームを出る。

 次にVRトレーニングルームにて30分ほど訓練を行なって、それからリビングに戻ってアロンソとマーサに顔を見せる。

 心から不安げだった2人を笑顔にして、安心させた。


「日本一金のかかる暗殺者……だったね。話はヒメちゃん社長からもうかがっている。戦いに行くなら、気をつけてくれ」


「私、逃げも隠れもしません。必ず勝ってみせます」


「母さんも父さんも、あなたを止めはしないわ。生きて帰ってきてね」


「大丈夫ですよ母さん。


「そう、だったわね」


 アデリーンが親子水入らずで語らう中、彼女が不老不死であることをアロンソもマーサもつい忘れそうになるほど、彼女はより一層人間らしく成長していたことを改めて実感する。


「…………育ちすぎちゃった、かな…………?」


 その後、彼女はシャワーを浴びて、体を隅から隅まで洗い流すと、そのまま湯船にゆっくりと浸かる。

 【ゼロ】から生まれた【有】の体がよくここまで成長し成熟したものだと振り返って、今まで家族やハイスクール・キャンパス時代の友人たちを含め、周りの人々は彼女の成長ぶりを喜んでくれたものだが、最も驚いているのは何を隠そう彼女自身である。

 こんな時に何を考えているのか、ということではなく、こう考えるのだ――


「あら、バラエティとかドラマとか見なくていいの?」


「そうしたかったですけど、いろいろ考えすぎて疲れたのでもう寝ようと思います」


 バスタイムを終えたアデリーンはパジャマに着替え、母からの問いに笑って答えてから、私室へ上がる。


「私も、わがままよね」


 ベッドに入って暖かい布団にくるまり、物思いにふける。

 両親の前では笑ってみせたが、ここでアデリーンは憂う。

 私1人だけならとくに傷付かなかった。

 けれど彼女……ミヅキは、自身も知らぬうちにアオイやリュウヘイたちの心を傷付けてしまった。

 そうなった以上はこれまでよりも容赦するわけにはいかない。

 屁理屈だ。

 ――そんなことはわかっている。

 ただ、ミヅキへ対して抱いているのは怒りだけではない。

 こういった気持ちも今はある。

 暗殺者風情に【美学】などないと思っていたけれど、いつまでもそう思っていては失礼だ。

 【殺しの美学】のほかに彼女なりの【流儀】があったなら、その【流儀】に答えるまで。

 もちろん負けないし、負けてやるつもりなどない。

 だが、勝つためだけに行くのではない。

 救おう――。

 彼女に罪をあがなわせるために、本当の彼女をもっと知るために。

 ……アデリーンはずっとそう考えていた。


「私は死ぬことも、老いることもできない。父さんや母さんともずっと一緒にはいられない。既に亡くなったカタリナ姉さんと会うことももう、叶わない。……今この時間を大事に生きたい」


 これからもっと痛いことも、苦しいこともあるだろう。

 辛く耐えがたいこともある。

 誰と出会っても別れはいつか来る。

 ――だから彼女は、人々との【約束】を大切にして生きるのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る