互いの主張は、割れる

「視覚がダメなら触覚で、触覚がダメなら嗅覚で、嗅覚がダメなら聴覚で、聴覚がダメなら味覚で────なんて、こちらには愛を伝えるレパートリーは多い訳だが……」


「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


「最終的にはそこに行き着く訳か……これは、本当に想定外だ」


 ユリスの叫びが室内に何度も響き渡る。

 その度にユリスの眼球が抉り出され、床一面に新たな血溜まりが生まれた。

 そして、色欲の兎がユリスの眼球目掛けて群がり始める。


 ────その光景が、もはや二十四回を超えた。


「もう一度言おう────『ボクは君を愛している』」


 ────続いて、二十五回目に突入する。

 足元はふらつき、意識が薄桃色に染まるとユリスは呑み込まれる寸前に血で染った右手で再び己の目を抉り出した。


「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 聴覚が愛を捉えようとも、工程に『アナスタシア』が愛おしく映る為、ユリスは今までと同様に目を潰してしまえば問題はない。

 そうすれば、意識が薄桃色に染まる事はないからだ。


 だが────


「いい加減、ボクの愛を受け入れたらどうだい?」


「はっ……寝言は寝て言え……」


「見栄を張るのは構わないよ────ただ、君はいつまでもつのかな? いくらボクに触れられないようにしようが、声が届かないように耳を塞ごうが、ボクを見ないように目を閉じようが……味覚が残る、嗅覚が残る。それを、君は全て防ぎ切れていない」


 現状、ユリスは忌々しい事に防戦一方であった。

 いや、防戦というのは語弊がある────守りきれていない状態で、敵の攻撃を浴び続けているのだ。


『アナスタシア』の魅了チャームは五感全てを使って精神を犯す。

『アナスタシア』に触れればお終い、『アナスタシア』の声を聞いてしまえばお終い、『アナスタシア』の匂いを嗅いでしまえばお終い、『アナスタシア』を見てしまえばお終い、『アナスタシア』の何かを味わえばお終い。


 いくらユリスでも、五感全てを防ぐ手段はない。

 最大の防御を誇る怠惰アケディアですら、触覚しか防ぐ事はできないからだ。


 だからユリスは『アナスタシア』の魅了チャームを防げてはいない。

 本当に、からだ。


 故に、ユリスは目を抉り続ける。

 一度呑み込まれてしまえば、引き返せないと勘が訴えるからだ。


「目を潰せば確かに、ボクの魅了チャームは防げるだろうさ。だが、いつまで目を抉り続ける? 残念ながら、ボクのチャームは魔法でも君の魔術でもなく……体質みたいなものだ。それ故、魔力も使わないし、尽きるという事もない」


「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 ユリスの嗅覚が『アナスタシア』の匂いを感じてしまう。


「その点、君はどうだい? 目を抉り続けるのは結構────だが、いつまでも治せる訳じゃないだろう? 必ず限界はくる。辛いのも分かる。何故なら、君は変わらず大声で叫んでいるからだ」


「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 完治した視覚が『アナスタシア』を捉えてしまう。


「大声をあげる行為は勇気を振り絞る為のものじゃない、恐怖と痛みを誤魔化そうとする行為だ。しかし、それで誤魔化しきれるわけもなく、痛みと恐怖は慣れる事はなく蓄積していく」


「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 聴覚が『アナスタシア』の声を拾う。


「辛いだろう? 苦しいだろう? 妥協したいだろう? 投げ出したいだろう? ────君がそこまで体を張る必要はないんだ。愛を受け入れてくれれば、ボクに愛を捧げてくれれば終わるんだ」


「お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 ユリスの触覚が『アナスタシア』温もりを感じる。


「君がこの子を救いたいと思うのであれば、今すぐにでも愛を受け入れ、捧げるべきだ。この子もそれを望み、ボクもそれを望んでいる。君のしている事はこの子を救わない────ただ、互いを傷つけているだけだ。何故それが分からない? どうして君は、そこまでしてボク拒み続ける? そこまでする理由はなんだい?」


 一つ、ユリスが視覚を復元させると、小さな間が訪れた。

 それは『アナスタシア』自身の問いかけが始まったからだ。


 動こうと思えば動ける。

 だが、それは『アナスタシア』も同じ事で、ユリスの攻撃よりも先に『アナスタシア』の魅了チャームが動いてしまうだろう。


 ────そんな事、云々は置いておこう。

 何故ならユリス自身、もはや限界が近く答える気力しか湧かなかったからだ。


「アナは……芯のしっかりした女の子だ」


 ユリスは、ゆっくり口を開く。


「理不尽な事を嫌って、前だけを見て、誰かを引っ張れるような強い子だ……それを、俺は凄いと思っているし、尊敬している。それで、俺自身救われた事もある」


「何を……?」


「もちろん、それだけじゃない。美点ばかりじゃなくて女の子らしい欠点もある。お化けが怖かったり、高いところが怖かったり、女の子らしい可愛い部分も見てきた……子供の時から、ずっと」


 ユリスとアナスタシアの過ごした時間は、親以外の誰よりも長い。

 子供の頃からの付き合いで、遊びに行けば何があっても行動を共にした。

 その間に、アナスタシアの魅力意外やお茶目な部分もユリスの目でしっかりと見てきた。


「愛している……そう言われたら、分からない。俺が愛していると確信したのはセシリアだけだ」


「それは分かっている。だからこそ、この子は君の愛を求めたんだ」


「その気持ちに答える事は……今の俺の気持ちでは無理だ。嫌いじゃない……大切な人だと思っている。だけど、愛しているかと言われれば……。俺には、その感情が疎いみたいだから」


 もし、ユリスがアナスタシアの好意に気づいていれば、こんな事にはならなかったのかもしれない。

 ユリスがアナスタシア愛して、片時も側から離れなければアナスタシアもアナスタシアの両親も無事でいられたかもしれない。


 でも、そんな『もし』は存在しない。

 全ては、疎いユリスが招いた罪なのだから。


「それでも、俺は償う。大切な人だから……あの時、俺を守ってくれたアナだからこそ、俺はアナを取り戻す。アナは……こんな場所にいちゃいけない────セシリアと同じで、陽の元歩くような人間だ。こんなところで、誰かを傷つけて傷ついてはいけない人間なんだ」


「随分と傲慢だ。結局は大切と言っておきながら、この子の事を考えていない。決めつけている。否定から入る暴論だと、なぜ気づかない?」


「そういうお前こそ、全てアナの為にやっている事じゃないだろ? お前のやり方じゃ、お前やアナの目的は叶うかもしれない、お前は後悔しない満足いった結果になるかもしれない────だが、アナ絶対に後悔する。今まで築き上げてきた物を壊して目的を叶えたところで、振り返ったら何も残っていないのだから」


 そう言って、ユリスは拳を構える。


「さぁ、来いよ魔女が。俺は間違った事をしているかもしれないが、俺の気持ちは変わらねぇ。何度だって目玉抉って立ち向かう……それが、傲慢だろうが強欲だろうが怠惰だろうが────俺の行いが償いだと信じて、救いだと信じて、アナの為だと思って……魔力が尽きようがお前を止めてやる」


 我儘なのかもしれない。

 今、自分のしている事は正しくないのかもしれない。

 助けられないかもしれない、助けたところでアナスタシアから嫌われるかもしれない。


 だが、それでも────



 大切な人だから。

 こんな血に塗れ、誰かを傷つけたレールの上を歩かせる訳にはいかないのだ、と。


「……ふぅ」


 そんなユリスを見て、『アナスタシア』はため息を吐く。


「それも一つの愛なんだろうね。ボクには理解できない……愛。だけど、君の想いをボクの勘定に入れる訳にはいかない────何故なら、それほどまでに君の愛が欲しいから。ボク長年の目的が叶うのだから。例え────誰かを傷つける行いだったとしても、ボクは嬉々として歩くだろう。それは、ボクが魔女だから」


 ユリスは、聖人君子でも英雄でもない。

 アナスタシアだからこそ、その願いを踏みつける。


 かの魔女も、聖人君子でも英雄でもない。

 貪欲に、その目的を叶えんが為に力を振るう。


 二人の意見は割れる。

 それは始めから割れているはずなのに、改めてこの場で意見を確認し合った。


 二人しかいないこの場で、主張をぶつけ合った。


 だけど、だけど。


 この場には、事に、二人は気づかない。


「『ま、待ちなさいよ……!』」


「ッ!?」


『アナスタシア』の口が開く。

 その事にユリスも、口を開いている当人も驚きの表情を見せる。


 当たり前だ。

 これは『アナスタシア』が自分の意思で口を開いたのではないからだ。


「『勝手に……話をつけるなぁ……っ!』」


 ────第三者が、現れる。

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