六万人の鬼

「クソッ!!! この歳になって鬼ごっこするとは思わなかったわ!」


 一方で、強欲の魔獣の権能で姿を現した偽物ユリスは荒れ始めた息を吐きながら悪態をついていた。

 全力疾走の名の元に、ミラー公爵領を駆け回る。


「だ、大丈夫ですか……ユリス?」


「今のって、どっちの意味で疑問符浮かべたの!? 偽物オレが誰かって話!? それとも、状況的に大丈夫っていう意味!?」


「えーっと……後者の方です」


「大丈夫じゃないんだなーこれが!!!」


 偽物ユリスに抱えられたセシリアが心配そうに顔を向けるが、今は本当に愚痴を零したくなるほど余裕がない。


 本体ユリスと離れ、足止めをしている間に『アナスタシア』の元へ行こうと考えていた偽物ユリス

 何せ、がセシリアと共に赴いても、『アナスタシア』が提示した勝利条件は満たせる。

 何故なら、などと明確に示してなかったからだ。


 だから、偽物ユリスはセシリアを抱えて屋敷の裏から中へ入ろうと思ったのだが────


『……あ……い、を……』


『ちょう、だぁい……』


『わ、たし……の……あ……』


 偽物ユリスが走り回る後方。そこには、目が虚ろな人間が呻き声を上げながら偽物ユリスを追いかけていた。

 振り切ろうと角を曲がれば別の亡者が、先を進めば別の亡者が。

 何処を走っても、愛を嘆く亡者がわらわらと現れ、偽物ユリスとセシリアを追いかけ回す。


「あぁーあ、もうっ! 流石に鬱陶しい!!!」


「ユリス……やっぱり、私も走ります!」


「ばかちん! 運動音痴なセシリアが走ったらすぐ捕まっちゃうでしょうが!?」


 我慢の限界値に達する偽物ユリスを見て、自分も走ろうとするが、如何せんセシリアの運動音痴を知っている偽物ユリスは許可しない。

 捕まってしまえば、どうなってしまうか分からないのだから。


「本当に、傲慢スペルディアを抑えられたのが痛すぎる……ッ!」


 逃走の一言において、傲慢スペルディアほど有能なものはない。

 今回の場合でも、高い場所に逃げる事もミラー公爵領から離れる事も、すぐ様屋敷の中へと侵入する事も容易になり、ここまで焦る事もなかった。


 だが、その一手が防がれる。

 景色が歪んでしまった事により座標移動が行えない。

 故に、走り回るという選択肢しかなくなってしまった訳なのだ。


 偽物ユリスは大通りから横脇の小道へと姿を隠す。

 だがしかし、その先にも愛を嘆く亡者が現れる。


「えぇい! どんだけいるんだよこの輩は!?」


 身を翻し、再び大通りへと進路を戻した。

 そして、再び大群との鬼ごっこ始まってしまう。


「しかし、この人達からは禍々しい気配がしますね……特に、目元からは嫌な気配です……」


「っていう事は目が怪しいって事だな!? まぁ、今分かっても何にも対応できないけどね!?」


 冷静に亡者を見るセシリアだが、現状亡者をどうにかする手札も術もない。

 数人、数十人ならいざ知らず。数千、数万の人間が相手であれば、対処している最中に呑まれかねない。


(あの魔女はここまで読んでいたって事か!?)


 どうして、勝利条件を『セシリアと共に自分の前にやって来る』に指定したのか?

 それがこの大群を相手に来れないと分かっていたからではないだろうか?


 だとしたら、本当に厄介である。


「もう一回聞くけどセシリア……あいつら、生きてるんだよな!?」


「もちろんです! !」


 これだ。これなのだ。

 偽物ユリスが何もできずに逃げ回っている大きな原因は。


 ただの亡者やアンデッドであれば、ユリスの魔術であれば、すぐ様対処は可能だ。


 だが、生きているとなれば話は別。

 殺戮を主軸に置いたユリス魔術は力は強力故に、領民を殺しかねない。

 一つ、傲慢の魔獣の権能を使えば、重力で足止めをする事も可能なのだが、亡者の中には老人も子供もいる────少し間違えば殺してしまう恐れがあり、使用できない。


「何より、本体オレがバカスカ力を使ってやがるから、こっちにリソースが避けれねぇ……ッ!」


 偽物ユリスは再び亡者から距離を取って物陰へと隠れた。

 小さな屋台だろうか? 身を潜めた場所は荷台の下であった。


「本当に大丈夫ですかユリス……?」


 そう言って、すぐ様セシリアは偽物ユリスに癒しの魔法を施していく。

 精神疲労は取れないが、単純な体力なら癒す事も可能……そこは聖女としての力であろう。


「はぁ……はぁ……いや、厳し過ぎるわ……なんだかんだ、きっちり


「誘導……されたのでしょうか?」


「そうじゃない────多分、屋敷を中心に亡者が追いやるように迫って来てたから自然に離された感じだ……まずい、これじゃあ魔女に会えねぇ……」


 息を潜め、息を整えながらユリスは冷静に分析を始める。


「この人数をどう集めたのか、そもそもどうしてあんな亡者になったのか……魔女の仕業だろうが、その方法が分からない」


「これが厄愛の魔女の仕業……ですか?」


「正に、三大厄災の再来だな……勘弁して欲しい。規模こそ昔話の比じゃないが、確実にミラー公爵領六万人────になってやがる」


「ッ!?」


 偽物ユリスの言葉に、セシリアは息を飲む。

 厄愛の魔女が世に現れた時、『ありとあらゆる人間をつき従え、己に愛を捧げさせた』という逸話がある。


 他人事で聞いていた偽物ユリスだったが、まさか自分がその場面に立ち会ってしまうとは思っていなかった。

 それに加え、現状は逃げ回る事しかできない。それが何とも歯がゆい。


「せめて本体オレが早くケリをつけてくれば話は変わるんだが────」



「みぃ〜つけたァァァァァァァァァァァァァァ!!!」



 偽物ユリスが愚痴を零していると、不意に上からかん高い声が聞こえた。

 偽物ユリスはすぐ様セシリア抱えて荷台の下から離れると、次の瞬間には激しい衝撃音と共に荷台が破壊される。


 破壊された荷台の破片が偽物ユリスの頬を掠める。

 セシリアを横脇に抱え、偽物ユリスはそのまま現れた声の主から一時的に距離を取った。


 だが────



「あ、あの……ね? そこ……あぶ、ないよ?」



 偽物ユリスが地に片足をつけた瞬間、破裂や傷が入るわけでもなくいきなり足が

 バランスを崩し、セシリアに癒してもらう事なく偽物ユリスは躊躇なく色欲の魔獣で足を治す。


 そして今度こそと、現れた二つ声から離れるように距離を取った。


「嫌だねぇ……鬼ごっこの最中に会いに来る熱狂的なファンがいるなんて……モテモテも辛いっていう事実の体現だな……」


 怯えるセシリア優しく抱き留め、頬を引き攣らせ正面を見据える。


 そこにいるのは、セシリアと同じくらいの背丈の少女が二人。

 一人は鮮血のような鮮やかな赤色の髪をした、目つきの鋭い少女。もう一人は薄桃色の髪をした少女であり、もじもじと恥ずかしそうに何度も俯いたりしている。


「かぁーっ! こんな奴を相手にしろだなんて、母上も何考えてやがるんですかね!? 愛がない、愛が!」


「で、でもカンナちゃん……ちゃ、んとやらないと……おこ……られちゃう、よ? 愛は、そこに……ある、から……」


 少女達は近づき、二人でその先にいる偽物ユリスとセシリアを見る。

 どうしていきなり現れたのかは分からないが、恐らく待ち伏せでもされたのだろう。

 嵌められたと、後悔する偽物ユリス


 しかし、嘆いたところで状況は変わらない。


「厄愛が神官────『熱愛』のカンナ」


「同じ……く、厄愛が……神官────『慈愛』の……サーシャ……」


 現れたのは二人。

 騒動を聞いて駆けつけるのは六万人の亡者。



「六万人の鬼に、熱狂的なファンが二人……セシリアを守りつつ、本体オレが考え無しに力を使って、魔術の一部が使用不可────もしかして、本体オレより厳しい状況じゃね?」



 それでも、偽物ユリスは傲慢の元、不遜に笑う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る