第23話 尾行する女

 昼休憩が終わって、教室に戻ると、俺は隣の席のミヤスコに聞いてみた。

「なあ、ミヤスコ。今日は一緒に帰らないか?」

「いいけど、どうしたのかな?深刻そうな顔して?」

 俺は彼女に不思議な体験について語った。

「――というわけで、見知らぬ女からストーキングされているんだ」


 それを聞いたミヤスコは、半信半疑だった。

「その現実離れした話を私に信じろってわけ?」

「信じてくれとは言わない。でも、俺は確かにストーカーと出会ったんだ。ストーカーがいるのに、一人で帰るのは心細いんだよ。ミヤスコ」

「今日はいろいろと予定が入っているんだけどなあ。ヒカルちゃん」

「すまない。この埋め合わせはいつかするから」と俺は手を合わせて頼んだ。

 ミヤスコは自分のスマホを取り出すと、どこかへメッセージを送っていた。おそらく、この学校で新しくできた恋人だろう。

「……彼氏100人できるかな計画も、しばらくおあずけね。残念ねえ」とミヤスコは独り言のように愚痴ぐちを言った。


 放課後、俺とミヤスコは、二人で学校を出た。

 ミヤスコは上機嫌だった。

「二人きりで帰るのって、久しぶりだね。あはは」と彼女はくったくなく笑う。

 俺としてはこのかわいい従姉いとこが嫌いというわけでもない。好きかと人に聞かれると、親戚だが、大事な友人の一人だと答えるようにしている。

 まあ、どっちつかずというやつだ。

 どっちつかずの恋人でもないミヤスコが俺の顔をのぞき込んだ。

「ところで、アオイとはうまくいってるの?ミヤスコちゃんとしては、そこが心配で心配で……」

「今度、デートに誘おうかなと思っている」と俺が答えると、彼女の顔から明るさが消えた。

 ミヤスコはうつむいた。顔を下に向けて、「彼氏一号さん、がんばれ。デートうまくいくといいね」と消え入るような声でつぶやいた。

 彼氏一号と呼ばれた俺は、複雑な感情が胸中を駆けめぐった。不思議と、憎しみとか嫉妬とか、そんな感情ではなかったな。

 ミヤスコに一人の男として認められているんだなという満足感と、情けなさが俺の胸を締めつけるんだよね。


 俺はミヤスコへ冗談めかしてこう言ってやった。

「おいおい、本気にすんなよ。あのアオイとデートなんてやってみろ。命がいくらあっても足りはしない」

 ミヤスコは顔を上げた。再び笑顔が戻った。だけど、その笑みはぎこちなかった。

 俺たちは黙ったまま、帰り道を通った。

 今朝の明石と出会った通学路まで行ったとき、ミヤスコが俺の胸へ飛び込んできた。

「おい!ミヤスコ!」と俺は驚きながらも、彼女を拒絶しなかった。

 このまま抱きしめてやろうか。そんなアホな考えが俺の頭にちらついたとき、ミヤスコがそっと、俺の耳にささやいた。

「後ろの木に、誰かいる。あなたの後ろ」


 最初、俺はミヤスコが何を言っているのかわからなかった。

 だんだんとその意味がわかったとき、俺は今朝の女のことを思い出していた。明石だ。彼女が再び現れたのだ。

「カーブミラーでそっと見て。振り向いちゃだめ。気づかれちゃうわ。ずっと尾行されていたのよ」とまたもミヤスコは耳打ちをした。

 道路のカーブミラーは後ろの木を反射させた。木のかげに隠れている謎の人物も。

 その人物の顔を見た俺は、うなずきながらミヤスコに告げた。

「明石君子だ。間違いない」

「どうするの?」とミヤスコは不安そうに言う。

「ミヤスコ。ここで待っててくれないか。俺が声をかけてみる。もしも、あの女が襲ってきたら、お前だけでも逃げろ」


 俺としては、彼女を安心させるために言った言葉だったが、彼女にとっては心配を加速させる言葉だったようだ。

「ヒカルちゃん。あなた、小学生のムラサキちゃんに腕相撲で負けなかったっけ?大丈夫なの?」とミヤスコは疑いのまなざしを俺に向けた。

「大丈夫だ。俺を信じろ」

 そう俺は言ったが、嘘だった。実はさっきから俺の足が恐怖のあまり震えて、一歩も動けないのだ。動くのは達者な口だけなんだな。

 強がってみせたものの、全く動こうとしない俺を、ミヤスコは捨てた。

「私がちょっと、あの明石って女と話をつけてあげる」

 そう言うと、ミヤスコは明石の隠れている木へ向かった。

「待って!ミヤスコ。俺から離れないでくれ!」と俺は親猫の後をついて回る子猫のように駆けだした。


 逃げられないと観念したのだろう。隠れていた明石が木から現れた。

「あらあら、六条ミヤスコ。いつもながら、あなたは大胆不敵なこと」と明石がニヤニヤ笑いながら、ミヤスコに近づいた。

 近づいてきた明石は、思っていた以上に若かった。今朝に会ったときは35歳だと予想していたが、その下の20代だろう。化粧をしていたので、明石の本当の年齢はわからなかったが。

「おまえの知り合いか?」と俺はミヤスコに聞いた。

「ううん。違う。初めて会う人。ミヤスコちゃん知らないもん」

 ミヤスコは本当に明石のことを知らない様子だった。


 不気味さを感じたのか、ミヤスコが警戒するように言う。

「どうして、私の名前を知っているの?どこで聞いたの?」

「あら、そこのヒカルくんが私へ教えてくれたのよ。六条ミヤスコ、高校一年生。あなたが彼の従姉だということも全部、彼から教えてもらったわ」と明石がふんと鼻で笑う。

 違う。

 そんなことを教えた事実はないぞ。なんなんだ?この女は?

 戸惑った俺は、反論することすら忘れてしまった。

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