いい胸

焼き芋とワカメ

1-1

「安藤さんの胸、ホントいい胸だよな」

「そうだよな」

「目立つよな」

「そりゃ、あんないい胸だったら目立つの当たり前だろ」


 休み時間の教室、男子たちが悪びれもせず私の隣の席の女の子の胸の話をする。そういう話が耳に入るたび、私は心の中でため息をついた。彼女の胸は本人によると、高校に入ってから急に目立つようになったらしい。男子だけでなく女子からも注目されているほど。

 正直言ってクラスの皆の反応には嫌気がさしていた。でも皆に全く共感出来ないわけでもなかった。実は私自身も、彼女の胸はいい胸だと思っていた。

 私は隣の席の安藤さんに声をかけた。安藤さんは次の数学の授業に備え、机の上に教科書とノートを出している最中だった。


「ねえ、ああいうの気にならないの?」


「別に?」


「胸ばっかり見られるのも?」


「普通じゃない?」



 安藤さんは私がこの手の話をすると、決まって気にしていないという返事をする。実の所彼女は胸の事以外にも、流行りやクラスメイトの事とか色々なことに無関心なように感じられる節があって、休み時間はいつも一人で居るし学校で楽しそうにしているところなんて見たことが無い。読書すらせず大抵ボーっとしていて、話しかけても毎度ピントのズレた返事をする。おそらく自分の世界というのがあるタイプの人なのだろう。だから胸のことを気にしていないというのもきっと本当なのだ。


 で、なんでそんな変わり者のことに詳しいかというと、安藤さんがいくら気にしないと言っても、きっと周りからそういう目で見られているという事実を、私が気にしてしまうから。憐れみとか守ってあげなきゃというのとも違う。多分、胸以外の安藤さんの良いところを探そうとしているんだと思う。


 私と安藤さんのあまりに短い会話が終わると、中村さんがやって来て安藤さんに話しかけた。中村さんの目は安藤さんの目ではなく、明らかにそれよりもずっと下、安藤さんの豊満な胸を見ていた。私は少しムッとした。しかし、そんな私の気持ちは安藤さんにも中村さんにも届かない。


「ごめん、数学の宿題やるの忘れてて、写させてくれない?」


 中村さんは両手を合わせて安藤さんを拝んだ。人の胸ばっかり見ているくせに、虫のいい人だなあと思っていると、


「別に、構わないぜ」


 というダンディーな謎の声が聞こえてきた。

 こんな声の人うちのクラスに居たかな? 結構近くから聞こえたはずだ。私がきょろきょろ声の主を探していると、中村さんは安藤さんの机から数学のノートを取り上げた。いやいや、ちょっと待って。堪らず私は中村さんに文句を言った。


「ちょっと待ってよ、中村さん。今の返事、どう考えても男子の誰かがふざけただけでしょ? 勝手に持っていくのは――」


 ここまで言って私は状況のおかしさに気付いた。中村さんだけでなく安藤さんまできょとんとしている。一体何のことか分からないとでも言いたげな表情だ。


「おいおいお嬢さん。何を勘違いしているんだ?」


 すると再び、さっきと同じあのダンディーな男性の声が聞こえてきた。声はやはり近くから聞えてきた。一体誰の仕業? 私が動揺しているとまたダンディーな声が聞こえてきて、


「中村さん、さっさと写してきな」


「ありがとう。ホント、いい胸だね」


 と勝手に話が進み中村さんはウインクし、それから安藤さんの数学のノートを持って自分の机の方へ行ってしまった。いい胸って、今は関係なくない?


「ちょっと、安藤さん。あれで良いの?」


「面倒ね。これで分かるかしら」


 私が尋ねると安藤さんは私を抱き寄せ、私の顔を自分の胸にうずめた。


「ち、ちょっと――」


「この声がどこから聞こえるか、よく聞くんだ」


 突然のことに慌てる私に、あのダンディーな声が話しかけてくる。その声はさっきよりもずっと近いところから聞こえてきた。いや、近いどころの話ではない。この声は明らかに安藤さんの胸から発せられていた。


「安藤さんの胸が喋ってる!」


 いや、嘘でしょ!? 信じられない!


「ようやく分かってくれたか」


「そういうこと。私の胸が貸す許可を出したんだから、貸すことに私も異存は無いわ」


「いや、分かったけど分からないんだけど。胸が喋るとか不可解すぎるでしょ!」


 すると安藤さんは呆れたように肩をすくめた。


「そうは言っても、喋ってるんだから仕方が無いじゃない。ていうか、今更なに? クラスの皆が承知していることを今更言い出して」


「え、皆知ってたの!?」


「逆に何であなたが知らないの? いつも私の胸のことを聞いてくるから、てっきり――」


 いや、嘘だそんなこと。だって私、いつも安藤さんのこと見てきたじゃない。それなのに、皆の知らない安藤さんの良いところを見つけるとか息巻いておいて、誰よりも安藤さんのこと知らなかったのはこの私!?


 それを認められない私は中村さんの机へ走った。


「ねえ中村さん! 中村さんは、安藤さんの胸が喋るって知ってた?」


「は?」


「いや、そんな『当たり前じゃん、何言ってんのお前?』みたいな顔で返事しないでよ!」


「あ、ごめん。でもあんたも見てたでしょ? 私が胸さんと目を合わせて会話してたところ」


「胸さんって言うんだ!」


名前あるのかよ! それに胸ばっかり見てたのってそういう理由!? 逆に礼儀正しかった!


「ねえ、もう良い? 私、写したいんだけど?」


「ああ、ごめん」


 とりあえず、胸さんとやらが喋ることを中村さんが知っていることを確認した私は、トボトボ自分の席に戻ってきた。このまま全員に確認を取るのは疲れるし、毎回「え? 何で知らないの?」って顔をされるのもしんどい。だからこれ以上は止め。


 椅子に座ると安藤さんが話しかけてきた。


「どうやら分かったようね。二年の二学期にもなってあなたがこのクラスで唯一、私の胸が喋るということを知らず、今更騒ぎ立てて――」


「それ以上は止めてください。ていうかなんでそんなに辛辣なの?」


 もしかして安藤さんって私のこと嫌い? まあ、しょっちゅう質問ばっかりしてたもんね。私の片思いかぁ……。

 私がしょげていると、宿題を写し終えたのだろう中村さんが安藤さんの元にやって来て、ついでの如く私に声をかけた。


「でもよく今まで気づかなかったよね。胸さんいい胸だから、メッチャ活躍してメッチャ目立ってるのに」


「ほめ過ぎだぜ」


 いい胸だとどう活躍するんだ……? と思っていると隣の安藤さんが補足してくれる。


「ここで言う『いい胸』というのは『いい人』と同じ意味よ。私の胸は胸だから『いい胸』と呼ばれるわけね。いい犬、いい猫、いい胸、当たり前の自然で普通な呼び方ね」


 クラスの皆が言ってたいい胸ってそういう意味だったの!? 紛らわしいわ!


「ねえ、普通にいい人って言い方じゃダメだったの? ほら、人間の一部だし」


「それは駄目よ。人権問題にかかわるもの。人間でない方を人間として扱うのは、その方にとても失礼よ。例えば宇宙人相手にあなたのやり方をしてしまったら、相手の宇宙人を怒らせて侵略されてしまうかもしれないわ」


「え、そんな人権とかデリケートな話だったんですね……。いやでも、宇宙人の話は飛躍しすぎでしょ!」


「でも逆に、人間を猿扱いするのは許されないわよね」


「そ、それは確かに……」


 何も言い返せない。しかし、それ猿の話だけで良かったのでは……?

 私と安藤さんがやり取りしていると、中村さんは「そんなことより」と言って、話の軌道修正をした。


「それにしてもホント、胸さんはいい胸だよ。この間なんか空き巣捕まえて、警察から表彰されてメッチャ目立ってたよね」


「そうね。あの時は目立ちすぎて私も困ったわ」


 ホントにいい胸だ! 目立つ理由も良い話だし! どうやって捕まえたのかは甚だ疑問だけど……。それはそれとして安藤さんの胸が目立ってたの、大きいからとか、もっとエッチな理由だと思ってたのが恥ずかしい……。


「大したことじゃないさ」


 しかも活躍を鼻にかけずに謙遜! 完璧かよ! ……でも、私何で表彰された話知らないの?

 とまあ、このように衝撃の事実が次々明らかになっていく会話も、この後チャイムが鳴って先生が教室に入ってきたためお開きとなった。


 かくして、私は安藤さんの胸の真実を今更知ったのでした。

 ……が、私はあることが気になってその後の授業中、全く集中出来なかった。


 ――胸がどうやったら犯人を逮捕出来るんだ……?





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