第116話 初陣
大会四日目。この日もまた一回戦が四試合行われる。
午後の大阪光陰戦を生中継で見るために、この日の練習は調整程度だ。
明日の第三試合が、白富東の初戦となる。
一試合少ないのは、消耗を避けるという意味ではありがたいのかもしれないが、試合間隔が開いてしまったのだけは少し不安だ。
宿舎に戻ると、午前中の二試合が終わっていた。
第一試合は南北海道の蝦夷農産が茨城の常盤黎明高校と対戦。
13-4という大味なスコアで勝利している。
第二試合は山梨の甲府尚武と、鹿児島の桜島実業の戦い。
最初の夏の一回戦で戦って以来、桜島は白富東にとって、少し特別な存在となっている。
あの試合は打撃において、多くの記録が生まれた試合であった。
大介ももう二度と、一試合に五本のホームランを打つことはないだろうと思っている。
どんな強打者であろうと、絶対に逃げない。
それを徹底して、センバツでも井口に三本のホームランを打たれながら、チームとしては勝利した。
この試合もまた打撃戦であったが、桜島実業としてはまだしも大人しめであったろう。
甲府尚武のエース諏訪が、打たれながらも集中力を維持し、大崩するのを防いだ。
それでも点は積み重なり、結局は9-7で桜島の勝利となった。
「相変わらずの打線だな」
「でも得点は蝦夷農産の方が多かったのか。ホームランも三本でて互角だし」
「これはひょっとして、蝦夷農産が勝つ展開もあるのか?」
桜島が準々決勝まで進んでくれば、ひょっとしたら最後の甲子園で、もう一度大介と対戦するのかもしれない。
一試合に六本という、ホームランの空前絶後の記録が生まれる可能性はある。
桜島は攻撃偏重と言うよりは、打撃偏重だ。
全てのバッターがホームランを狙ってきて、そして実際に打つだけの力を持っている。
だが去年は、全力投球に覚醒した武史は三振を積み重ねたし、三イニングを投げた直史はパーフェクトに抑えた。
ぶっちゃけストライクゾーンからボールに逃げていく球を空振りするので、コントロールのいい変化球投手にとっては、いいカモなのだ。
そしていよいよ、大阪光陰の初戦である。
対戦相手は宮崎県の新興勢力、日向武双高校。
進学科と体育科にくっきりと分かれていて、柔道や剣道などをはじめ、スポーツ関連での活躍が多い。
野球に力を入れ始めたのは割りと最近であり、甲子園も初出場だ。
しかし監督は強豪私立を渡り歩いている名監督であり、ここまで五校の私立を経験し、全てを甲子園に導いている。
もっとも、優勝の経験はない。
戦力的に見れば、なんでも揃っている大阪光陰の方が強いのは当たり前である。
だが日向武双も、エースピッチャーと連動した守備で失点を抑え、下位打線でも点を取る方法に長けている。
「一勝一敗なんだよな」
ジンが呟いたのは、大阪光陰との甲子園での対戦成績である。
初めての甲子園出場となったセンバツでは、3-0で完封負けした。
その夏は準決勝で戦い、直史が完璧に封じて大介のホームランで粉砕したが、残ったダメージは大きかった。
神宮でも戦ったが、真田が不調ということもあって、あれは圧倒できた。
今年のセンバツでは、まさかと思っていた明倫館に、足を掬われたと言うべきか。明倫館も油断して勝てる相手ではないのだが。
決着をつけたいという思いがある。
神宮では勝っているし、センバツでは相手が先に負けたのだが、それとは全く別の話だ。
天候などの条件があったとは言え、大阪光陰は白富東の現三年生が、唯一完封された相手であるのだ。
その時のスタメンで残っているのは大谷と丹羽だけである。大阪光陰は二年生が主力と言っていい。
それでもこだわりがあるのだ。
本日の先発は豊田。一年にもいいピッチャーがいるはずであるが、ここは最後の夏の三年をマウンドに送る。
経験という点でも、真田は残しておきたいらしい。
しかし初戦を重視するのは、やはり頂点を狙っているのだろう。
大阪光陰は初回から積極策をかける。まず一点を先制。
しかしそこから膠着し、五回には同点を許す。
だがすぐにまた、大谷の長打で三点を奪う。
五点目を奪った後、日向武双も一点を返すが、そこまでだ。
最終的には5-2で隙のない試合を見せた。
感覚としては大阪光陰の順当な勝利というよりは、日向武双の健闘と思われた。
「同点にしたスクイズは良かったよな」
「あれは完全に配球を読んでたよな」
「日向武双、姫島監督か。来年もちょっと注意かもな」
「惜しむらくは、ツーアウト満塁からの大谷のツーベースか」
次が後藤であったし、満塁であったので逃げるわけにはいかなかった。
「ボール球を振らせる勇気がなかったのかなあ」
ジンとしてはそう言うしかない。
追加点の五点目はダメ押しとも言えたが、そこから反撃するあたり、監督の意思が選手たちにちゃんと伝わっている。
だがやはり、それまで封じていた後藤に打たれたのは痛かっただろう。
「豊田は打てるな」
大介がのんびりと言った。
「やっぱり問題は真田か」
直史も真面目な顔をしている。
ジンたちシニア組からすれば、豊田は戦友であり、どこか届く距離にいる人間だ。
真田は違う。シニア日本一の経験もあり、ある意味目標でもあった。
新しい正捕手との組み合わせが上手くいかなかったようだが、新一年と組んでまた抜群の成績を残している。
同じサウスポーという共通点はあるが、勇名館からレックスに進んだ吉村よりも凄まじい成績だ。
ついでというわけでもないが、大阪光陰が二回戦で当たる、京都の静院高校と、鳴門大渦高校の対戦である。
「徳島代表、こんな名前でも公立校なんだな」
「徳島って割りと最近は公立が強いんだよな」
「昔は全国制覇もしてるしな」
「俺らが生まれる前だろ」
「つかここ、マリンズのあの人の出身校だろ?」
「こんな名前だったっけ?」
「何年か前に変わったんだってさ」
京都はある程度平均して強いが、本気で野球をやる人間は、京都以外の学校へ進む場合が多い。
あと隣接しているので、大阪光陰に取られることもある。
上に大学のあるチームが、京都ということもあって多く、そのブランドイメージで選手を集めていることもある。
静院は仏教系の私立高校であり、やはり一応系列の大学が上にある。
試合はシーソーゲームであったが、静院が勝利した。
戦力的に見ても、おそらく大阪光陰が二回戦も勝つと思われる。
おなじ近畿地区なだけに、互いのデータもはっきり分かっているだろう。
さて、本日も四つのチームが消えた。
明日は一回戦の残り二試合が行われて、そして二回戦の第一試合、白富東の試合が行われる。
対戦相手のおさらいをする。
全国区でも屈指の強打者、井口を擁する聖稜高校。
石川県の名門であり、甲子園でもかなり勝ち上がることは多い。
今年のチームの特徴としては、やはり上位打線の打力が挙げられる。
秋の大会では北信越大会で優勝しており、神宮大会の初戦の対戦相手でもあった。
「まあ一年のピッチャーが入った以外は、そんなにセンバツと変わらないな」
投手の攻略は、それほど難しくない。
あとは打撃を封じるだけだろう。
「県大会を割りと大差で勝ってるんだが、序盤でいきなり大差をつけることは少ないんだよな」
上位の打力は高いが、序盤は堅実に一点を狙ってくる。
そして相手の士気が萎えた中盤から終盤で、一気に突き放すというわけだ。
総合的に見れば、白富東が負ける相手ではない。
ただ投手陣に少し注意が必要だろう。
「技術的にはともかく、立ち上がりで崩れたら、アレクと交代な。そんで武史に投げてもらう」
こう言っておけば淳は負けず嫌いなので、違うことに気を取られずに、投球に全力を注ぐだろう。
本当は目の前の一戦一戦をしっかりと戦っていくべきなのだろうが、どうしても次の三回戦に意識がいってしまう。
坂本のいる瑞雲の対戦相手は、初出場の石垣工業。
150km超えの左腕金原を擁するが、ピッチャー一人にほとんど頼ったチームである。
エースで四番というのが、チームの選手層の薄さを示している。
おそらく金原は、プロや大学などの、上に行ってから輝くタイプだろう。
甲子園に出られたのが幸いと思うべきで、これ以上を目指すのは難しい。
なんだかんだ言いながらも、選手たちは次の瑞雲戦に意識がいってしまっている。
それだけの瑞雲の坂本の影響が強いということなのだろうが、ここは秦野が注意するべきだろう。
聖稜戦で不覚を取るとしたら、序盤に先制されてそれをなかなか返せずに、ずるずるといってしまう展開だろうか。
いつでも取り返せるという余裕は必要だが、それが油断になれば勝てない。
そこは秦野の領分である。
大会五日目。
一回戦の全ての試合が終わり、二回戦の初戦が行われる。
一試合目と二試合目は、お隣さん同士の広島と岡山の代表が仲良く勝って、二回戦で当たることになった。
そして白富東の初戦、石川県代表の聖稜高校との対戦である。
白富東の先発バッテリーは、淳とジンの組み合わせである。
不敵な一年生を、経験豊かな三年キャプテンがリードする。おかしくはない話なのだが。
「なんやー! 長男出せや!」
「出し惜しみか! 初戦で一年はあかんやろ!」
「井口抑えられるんかおい!」
「「「おい! おい! おい!」」」
甲子園の観客は、基本的に我儘で正直で、ノリで応援をする。
「聖稜さっさと長男引きずり出せやー!」
「次男で満足してたらあかんぞー!」
野次を聞いているうちに、最初は少し緊張していたようだった淳の表情が、段々とふてぶてしいものになっていく。
佐藤家の一族は、逆境に強い。
「初球はど真ん中のストレートでいいから」
一回の表の聖稜の攻撃。ジンはマウンドで大胆な発言をした。
「とりあえず一球、ストライク入れちゃえ」
「俺、まだ緊張してるように見えますかね?」
「不安なのは俺の方だよ」
最後の大会、この大舞台で一年生の投手を先発させるということ。
去年の大阪光陰と同じだ。もっとも真田はあの時点で、一年生としては格別に優れていた投手であった。
(初球か)
サイレンが鳴り響き、試合が始まる。
投じられた初球のストレートは、センター前に弾き返された。
あっという間に一回の表が終わり、淳はベンチに戻ってきた。
「いい感じだな」
秦野はそう言うが、いきなり失点を許してしまった。
先頭がヒットで出た後、二番は送りバントをしっかり決めてきた。
三番にはゴロを打たせたものの、進塁打にはなった。
そして四番の井口にクリーンなヒットを打たれ、聖稜に得点が入る。
五番の月岡は三振に抑えて、失点は一点で済んだ。
ジンからすれば淳が全く相手を恐れず、リードに従って投げてくれるだけで充分だ。
あとはこちらがさっさと同点に追いつけばいい。
先頭打者のアレクは、いきなり初球から打っていったが、ライトを後退させるフライでアウト。
二番の哲平も内野を抜けるかと思ったが、ショートの好守備でライナーアウト。
だがツーアウトでも、三番打者である限り、初回に大介の打席は回ってくる。
ワールドカップでも演奏された、逆転イッパツマンのオープニングに従い、大介は打席に入る。
初球は大きく外したボール球だったが、その瞬間観客が沸騰した。
「ごるぁっ! 三男は井口と勝負したやろうが!」
「お前だけ何逃げてんじゃ! 勝負せえっ!」
甲子園のお客さんは、大介のことが大好きである。
基本的に甲子園のお客さんは、地元のチームを応援する。
その応援のパワーは大きく、近畿のチームは甲子園から一番遠い滋賀県以外、全国制覇しているという事実が、応援というものがどれだけ大切かを物語っている。
そしてそれとは全く別に、判官びいきだ。
弱く見える方が健闘すると、それを応援していく。だから諦めない限り、大量点差でも終盤で一気にひっくり返すことが少なくない。
甲子園は諦めない限り、勝負が決まらない場所であるのだ。
だが大介は弱者ではない。
圧倒的な強者だ。しかし強者である特徴を持たない。
肉体的な優位性。
大介の身長が小さいがゆえに、彼はあくまでも弱者であり、だからこそ甲子園の観客は、彼を全面的に応援する。
地元の兵庫や大阪代表であっても、大介から逃げるならば批難は免れない。まして聖稜は四番の井口を相手に、一年のピッチャーが勝負にいったのだ。
ここから逃げるわけにはいかない。
だが、まともに勝負するのも難しい。
そんな状況でバッテリーが選択出来るのは、およそ一般的配球でしかない。
外角の低めは打たれにくいという、単なる統計。
そしてその統計は、大介にも当てはまる。
だがそれは予想されていなければの話だ。
単純に逃げるだけのピッチング。既に打たれた経験のあるピッチャーは、思考停止してキャッチャーのリードに従うしかない。
ここで本気で敬遠するだけどの覚悟を、監督も選手も全員が持っておくべきだったのだ。
外角低めに入るめいっぱいのストレート。
簡単に弾き返されたそれは、レフトスタンドに比較的常識的な飛距離で飛び込んだ。
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