第33話 その起源
大介が野球をやっているのは、間違いなく父親の影響である。
物心がつく前からプラスチックのバットとゴムのボール、そしてグラブを与えられていた。
最初にスイングの仕方と、キャッチボールの仕方も教えてもらった。
父親に関して、今の大介はそれほど悪感情を抱いていない。
プロという目標を明確に目指し、そして実際に叶える人々を見て、あの世界で生きることがどれだけ大変かと、それを奪われてどれだけ辛いかを想像出来るようになったからだ。
子供の頃から父は、職を何度も変えては長続きせず、家にいることも多いダメダメ親父であった。
大介が長じるにつれキャッチボールもしなくなったし、バッティングのスイングにも口を出すことがなくなった。
学童野球を始めてからは、よりそれが顕著になった。大介との間に野球の話題が出ることを避けていた。
そのくせ高校野球やプロ野球は好きで、じっとテレビでそれを見ていた。
離婚したのは父の方から言い出したのだと知ったのは、最近のことである。
ずっと母が愛想をつかしたのだと思っていたが、知人の伝手で仕事を遠くで見つけたのだと。
なるほど、確かに特殊な伝手である。
山口県のシニアチームのコーチとして働き、同時に体育科のできる明倫館の職員としても働き出した。
学校の施設を整え、人材を集め、そしていよいよ監督として働き始めたというわけだ。
「しっかし連絡ぐらいくれてもいいだろうになあ」
明倫館の試合を見ながら、大介は珍しくしんみりとした口調になる。
色々と経験した彼は、少年の心を残したまま、大人の感情を身につけつつある。
そんな大介の父、大庭の作ったチームは、確かに強かった。
全体的にバランスが良くて、特に守備と走塁は優れている。長打は少ないがチームバッティングに徹している。
中心選手はピッチャーの高杉、ショートの桂、キャッチャーの村田、セカンドの久坂。一年でも伊藤や井上といった選手が活躍している。
来年入ってくる新入生も、かなりスカウトには成功したと言える。センバツ出場も決めたので、隠れた逸材もスポーツ推薦で入試を受ける可能性は高い。
チームとしてのバランスがよく、例年であれば、全国優勝を狙える戦力ではある。実際に中国大会では危なげなく優勝したのだ。
しかし大阪光陰の選手層の厚さは変わらず、白富東と言う歴史に残るチームが同年代に存在する。
(トーナメントでいい所に入って、準決勝で強豪同士が消耗してくれればなんとか)
監督である大庭の計算はそんなところだ。
ベンチの奥から視線を上げれば、この試合を観戦している白富東のメンバーが見える。
かれこれ五年ぶりになるだろうか。テレビや新聞ではいくらでも見てきたが、生で見るのは本当に久しぶりだ。
(大きくなったが、それでも小さいな)
子供の頃から身体能力は高かった。
立つのも歩くのも平均よりもはるかに早く、走ったり跳んだりする運動では誰にも負けなかった。
学童野球では一番バッターであり、ぽんぽんとヒットを量産していた。
(それがまさかホームランをあそこまでぽんぽん打つようになるとは)
子供の頃の大介を見ていた大庭は、小さなイチローになるかもしれないと思っていた。
しかし高校に進んで、あそこまでのスラッガーになるとは。
子供の頃から見てた大庭は、あの異常なまでの飛距離にも説明がつく。
大介は異常な動体視力と、ミート力、そして体のバネを持っていた。
ボールを真芯で捉えてぐるんとバネを利かせれば、スタンドまで飛んで行くだろう。
それでも場外にまで運べるのは、意味が分からない。
我が子ながら、怪物としか言いようがない。まともに対戦してもまず打ち取ることは不可能だろう。
(夏の甲子園の決勝なら全打席敬遠してもいいけど、ここでそれはまずいしなあ)
一打席ぐらいなら大丈夫だろうが、ランナーなしでは絶対に叩かれる。
かといって中途半端に外そうとしても、ボール一個ぐらい外か内ならホームランにしてしまうのだ。
プロで三年やって、化物のようなスラッガーも目にしてきた。
しかしそれでも、ホームランの基本は好球必打だ。
完全に狙って一本に絞れば、多少のボール球でも打てるのだろうが、大介は完全にボールの球でも外角ならレフトに持っていってしまう。
(一応弱点とまではいかなくても、弱めのところはあるけど……)
ここでそこを突いても、おそらく甲子園までには修正してくる。
(まあ明日は普通に勝負するしかないか)
明倫館は北陽との試合を、3-1で制した。
東京の宿舎は日本学生野球協会が用意してくれたもので、ミーティングを行う設備はある。
そこで改めて、明日の対戦相手である明倫館のおさらいである。
「スラッガーはいないけど、ミートに優れた打者が多いね」
平均得点はそれほどでもなく、コールドで勝っている試合も少ないが、チーム打率は三割以上である。
連打をつないで、どこからでも点を取る。
スクイズや送りバントはきっちりと決めてくる。攻撃面ではそのあたりが特徴的か。
「あと走塁もね。キャッチャーの村田以外は、足の速い選手が揃ってる」
その足の遅い村田であるが、得点圏打率が高い。
三番としては中国大会までを三割ほど打っているのだが、これが四割近くに跳ね上がる。
そして決勝打を打つことも多い。勝負強いバッターなのだ。
また村田は、守備においても要となっている。
エースは高杉であるが、ショートの桂、センターの伊藤、それにベンチの投手も合わせて五人の投手をリードしている。
「キャッチする時のフレーミング技術が凄いから、球半分ぐらい外れてても、ストライクにコールされる可能性は高いね」
二遊間の守備、そしてセンターの伊藤は俊足と、センターラインは強いわけだ。
「あと……監督の采配も上手いのかなあ」
ジンが遠慮したような声を出すのは、大介への配慮である。
当の大介はそれほど気にしていない。だが思うところはある。
「ガキの頃から野球中継を見てはぼやいてたな。なんでそこをそうするんだとか、そうだそれでいいんだとか」
「戦術的にはどうだと思う?」
野球中継でのプレイの意味を教えてくれていたのは、それこそ10年近く前になる。
だから確かなことは言えない。外から無責任に批評するのと、監督としての采配は違うだろうし。それでも言うなら。
「けっこう積極的なプレイを誉めてたかな。あと代打と継投は、けっこう当ててたような気がする」
ふむふむと頷くジンである。だいたい試合の傾向から見て、それは変わっていないように思える。
大事なことは一つ。
「ピッチャーに大介と勝負させてくるかな?」
「ああ。エースに投げさせるならしてくるな」
「エースじゃなかったら敬遠もありと?」
「そのあたりはロマン派でな。エースと四番はガチで勝負しないとダメだって言ってたな」
「そういうタイプか」
高杉のスペックは、ストレートが最速148km、変化球はスライダーとスプリットらしい。
コントロールはストレートではコマンドに投げられるが、変化球の制球は甘いそうな。
厄介なのはスライダーで、カット、小スラ、大スラと投げ分けてくるらしい。
「よくそこまで情報を手に入れてきたな」
「蛇の道は蛇」
直史は感心する。ジンは着実に全国にその調査網を広げているのだ。
さて、では重要な先発ピッチャーである。
準決勝と決勝の間に一日休養日があるので、今日は80球も投げていない直史でも、行けなくはない。
坂本にホームランを打たれているので、名誉挽回したい気持ちはある。
「左打者は四番の桂と一番の伊藤か……」
一発のないチームではあるが、外野越え程度の長打力はある。
決勝の相手はおそらく大阪光陰となるので、投手を温存することは考えないといけない。
本当ならこういったミートバッティングをするチームにこそ、直史のような打たして取るピッチャーがいいのだ。
そういった意味では凡打を築くアレクがいいのかとも思えるが、武史に適当に投げさせるというのもいいかもしれない。
ミートで連打というのは、ようするに狙い打ちだ。制御していない時の武史なら、間違いなく打ちあぐねる。
だが逆に甘いところに入ってしまったりする可能性もある。
確実に言えることは、決勝が大阪光陰相手であれば、おそらく一点の勝負になる。
万全を期すためにも、直史は休ませておきたい。
ジンとシーナの話し合いの結果、先発は岩崎と決まった。
難しい試合の先発を任せる。高校入学時には考えられない、岩崎の成長である。
習慣となっている素振りをする大介であるが、その間隔が長い。
課題をもって振るのはいつものことだが、今日の様子は少しおかしい。
そしてこういうことに巡り合ってしまうあたり、やはり直史も主人公体質である。
屋上から星でも見るかと上がってきたら、耳慣れた空気を切り裂くバットの音。
いつも通りの音だ。問題はない。
月下の下で、大介はバットを振っている。
脱力の姿勢から、するっとトップを作り、短くタメてから振り切る。
高く空気を切り裂く音。
直史もまたその素振りを見れば、誰を対策したものかは分かる。
今日の試合の、坂本のストレートだ。
強打者からでもコンビネーションで三振は取れる。
極端に三振の少ない大介であるが、空振り三振がないわけではない。
しかし今日の最後の打席は、不思議な三振であった。
「そろそろやめといたらどうだ?」
声をかけた直史に対して、大介はバットを下ろす。
「……あいつ、やばいよな」
それが坂本のことを指しているのは間違いない。
大介を三振に取り、直史からホームランを打った。
理屈は試合を録画していたビデオで判明している。
大介の場合はコンビネーションであり、直史の場合は狙い打ちだ。
お前たちには負けないぞ、という坂本の意思表明である。
「バッティングの方はともかく、ピッチングは怖いな。センバツまでに出来るだけ映像を集めるってジンは言ってたけど」
「いや、お前のスルーを初見で狙い打ち出来るバッティング技術の方がやべえよ」
二人とも明日の明倫館より、瑞雲の坂本の方を警戒する。
明日は先発でない直史はともかく、大介はまた打たなければいけないわけだが。
「親父さんの方はいいのか?」
「あ? ああ、試合前に色々考えるのは面倒だしな」
大介のスイングに迷いはないので、そこには拘っていないのだろう。
性格から采配も分析する。チーム力と経験から考えると、おそらく負けはないとジンは判断した。
明日の試合に集中しなければいけないのだが、どうしても頭に浮かぶのは坂本だ。
九回の表のピッチングで、大介だけではなくアレクと鬼塚も完封したのだ。
これまでにも多くのピッチャーを攻略してきた白富東打線であるが、この三人で完全に封じられたというのは、短いイニングを除けば真田以来で、その真田も最終的には打ち崩した。
だから一イニングだけの対決というのも、印象に残る原因である。
あちらもセンバツに出てくるのは間違いないので、意識するなと言っても無理がある。
そこまで計算に入れて対決したのなら、坂本の勝負勘は恐ろしいものがある。
タオルで汗を拭った大介は、宿舎に入ろうとする。
「お前は何しに来たんだ?」
「星を見に」
「東京の空なんて、星なんか見えないだろ」
その通りなのであるが、直史も少し考えたいことがあったのだ。
大介の後に続いて、宿舎の中に入る。
なんだかんだ言いながらも、ホームランの影響を引きずっているのかもしれない。
(ある程度打たれておいた方が、精神的にはいいのかな)
打たれたくないというピッチャーの常識に反することを、直史は考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます