第13話 説得と恫喝
国体期間中、多くの競技が行われる関係上、宿泊施設はフル稼働となる。
野球の場合は敗退したチームはすぐに帰郷となるが、白富東は決勝まで勝ち残ってしまった。
この国体の終了後、一日だけを置いてすぐにまた秋季大会の準決勝である。
対戦相手はトーチバであり、白富東が飛躍した去年の秋も戦ったし、今年の夏も甲子園への決勝を争った。
本来ならばそうそう甘く見てもいけないチームではあるのだが、今年の白富東は夏が終わってもほとんど戦力の低下がない。甲子園出場チームの中でも、スタメンが七人残るというのは他にはない。
新チームが稼動したこの時期、甲子園に出場したチームは出遅れるのが多いが、白富東はその心配はほとんどない。
それでも多少の調整は必要で、その調整を全国レベルのチームとの公式戦で試せるというのが、このチームの利点である。
だがこの段階では、調子を落としている大介を復活させるというのが、一番大きな目的だ。
天才は天才を知るというわけではないが、妹たちのような怪物の扱いには、直史は慣れている。
道理と感情、どちらが欠けていても無理なのだ。
この場合の大介は、理屈の上では純粋にスランプである。
四割打っていてスランプというのもひどい話ではあるが、彼は求められるものが大きすぎる。
(コンパクトなスイングを心がけて、ストレートを打って四割だからなあ)
ホームランを打つスイングをしているのに、圧倒的に三振が少ない。それが大介という奇跡のバッターである。
その本来のスペックに比べると、秋季大会以降の成績は、あまり良いとは言えない。はっきりと言えば、明らかに落ち込んでいる。
これはどうにかする必要がある。理由は明確であるが、初めてのことであるために、解決までにどれぐらいの時間がかかるか分からない。
直史はそう思って、宿舎である公共宿泊所の中庭に向かった。
夕食の後に大介がバットを持って出て行ったのは知っていた。
県内の行事などの折に使われるこの施設は、二人一部屋となっており、直史の相部屋が大介である。
大浴場は夜の10時までが入浴可能であり、今はもう九時を回っている。
汗臭い男と一緒の部屋が嫌だという個人的な理由もあるが、ちゃんと風呂に入って体を休めて欲しいというのは本心である。
中庭でバットを持ち、ぴたりと構える姿。
その小さな体で、どうしてあそこまでボールを飛ばせるのか。
ホームランを打つための必要条件というものがあるのだが、大介は明らかにそれを満たしていない、
だがそのくせホームランどころか、場外ホームランまで打ってみせている。
おそらくはバットコントロールと、ミートの技術が凄まじすぎるのだろう。大学にでも研究してもらえば、また色々と分かるのかもしれないが、セイバーがデータを持っていったので、アメリカの方で何かが研究されるのかもしれない。
とにかく、こいつをどうにかしないといけない。
直史はしばらく大介を見ていたが、ゆっくりと間を置いて素振りを行っている。
それは見ただけで、本多のストレートを意識していると分かった。
木製バットが空を切る音。
高い音が、空気を切り裂く。
(バットを寝かせて高めを意識か。まあ本多の球は浮くことが多いからな)
ホップするほどの錯覚がある本多の球だが、大介ならば打つことは難しくない。本来の調子なら。
どんなバッターにでも、比較すれば得意不得意があり、大介はなんだかんだ言いながらも変化量の多い変化球が苦手だ。そして一番苦手なのが、逃げていく変化球を使う左投手だ。
しかし狙い打ちすれば、どんな変化球でも打てる。
しばらくそれを眺めていた直史であるが、それほどの間もなく大介は背後の気配に気付いた。
集中してイメージトレーニングをしていた大介であるが、その集中力は同時に、周辺の空気の流れや匂いまで感じ取るほどのものである。
「なんか用か?」
「浴場の使用時間がもう終わるぞ」
「そっか。まあ明日の朝にやるか」
見ればしっかりと、物陰には着替えを用意してある。
「部屋に戻るなら、バット持ってってもらえるか?」
「いや、俺も風呂に行くところなんだ」
「じゃあしゃあねえか」
男二人が連れ立って風呂へ。嬉しくない絵面である。
甲子園や合宿などを考えると、一緒に風呂に入ることも多い。
「フォーム自体はおかしくないな」
「まあな」
湯船に浸かって会話をする二人である。
大介のスイングはまず本多と、そして榊原を想定したものだとは分かった。
以前にも打っている相手だ。そしてこの大会の傾向からして、本多が勝負してくる可能性は高い。
二番手投手の榊原も、普通の年であればドラ一指名をされてもおかしくはない。
「榊原が出てきた時は、右打席に入るのもいいんじゃないか?」
直史の舐めた意見ではあるが、意外とそれはありだな、と大介は思った。
左の大介も右の大介も、狙うところはあまり変わらない。
ならば集中力がいまいちでボール球を無理に打ちにいって空振りするよりは、より選んで対応出来るかもしれない。
榊原を打つときでも、右よりは左の方が打率は高くなるだろうが、単に気分の問題であるために、むしろ難しい方が打ちやすくなるという逆転の現象があるかもしれない。
「けど、榊原さんが投げてくるかね? 本多さんが意地でも全打席勝負してくるような気がするけど」
「それはそうかもな」
直史は自分なら勝利に徹して逃げるが、本多なら真っ向勝負かもしれないと思った。
帝都一の四番でエースという存在は、それだけ重い。
あの超名門で四番とエースを同時に務めるというのは、それだけのプライドを持たせていたのだ。
直史はジンを通じて、おおよそのドラフト事情を知っている。
本多を複数球団が一位指名、榊原も他球団との駆け引き次第では一位指名があることを知っている。
大介に負けたままでプロになるのは、特に本多には、悔いの残ることだろう。
湯船から上がると直史は髪を洗う。短髪の大介はあっさり終わるが、直史はそうはいかない。
長髪というほどではないが、なにしろ髪を短くすると直史は、周囲から不評になるのだ。
思えば今年の白富東に有望株が多かったのは、髪型自由というのも理由の一つだったかもしれない。
公立ならば三里もそうなので、来年からはこの点でのメリットは少し薄くなる。
湯上りでほっこりとした二人は、そのまま飲み物だけを買って部屋に戻る。
「俺が子供の頃、曾祖母が死んだんだけどな。まだ物心ついて間もない俺は、特にそれを悲しいとは思わなかった」
大介の家もその傾向はあるが、直史の場合は近所の人間の多くが遠い親戚であったりする。
だからある意味、親しい人間の死には慣れる。
「それで、お前の不調の件に関してだけど、ネットには本当のことが簡単に拡散されてるんだよな」
「メンタルが弱いとか書かれてるのか?」
「お前が怒るのを承知で言うと、こんな大事な時期に死んだお爺さんが叩かれてたりもする。さすがに少数派だけどな」
なりたいと思って病気になる人間はいないし、死ぬ時を選べる人間も少ない。
大介の顔が、怒りのあまり紅潮する。
「お前が打てば、お爺さんのせいになんてならないだろうな」
「怒らせて発奮させようと思っても無駄だぞ。俺だって自分をコントロール出来てないんだから」
ネットの心無い言葉の垂れ流しは、簡単に人を傷つける。
昔と違って現代は、発言力のない人間も、見識さえあれば意見を全世界に問えるようになったが、それが暴走する時もある。
もっともだからと言って、昔に戻ることが出来ないもの確かである。
直史は攻め方を変えることにした。
「大介、お前の甲子園の活躍と、ワールドカップの活躍に共通してるものだけどさ」
これを言えば、逆に大介は落ち込むかもしれない。
「どちらも共通してるのは、うちの妹たちが球場で応援してることだよな。それで双子のいない秋季大会は、かなり成績が落ちてる」
「おいやめろ」
「このままだとお前、うちの双子の応援がないと打てないとか言われるぞ」
「勘弁してくれ!」
本気で嫌がる大介である。
もちろんこれはデータを調べれば、双子のいない一年時なども立派な成績を残しているのが分かる。
だがあの二人がいない秋季大会で調子を落としているのは、因果関係が逆ではあるが事実だ。
「お前のことだからそのうち復活するとは思うけど、その頃にはまたうちの妹が、しっかり応援再開してるだろうな」
「やめてくれ」
本気で嫌がっている大介である。
これは、ある程度事実であるのが救いがたい。
しかも祖父の死から立ち直るよりも、佐藤家の双子に調子に乗られるのを恐れているのが、哀れでもある。
「お前、明日は最低でも一本は打たないと、うちの妹たちを調子に乗せるかもしれないぞ」
「やめろ」
もちろんあの双子は、そういった事実を都合よく曲げて認識することはない。
あの二人は、自分たちよりも弱い人間を好きにはならない。
あの二人が応援したからと言って、誰もが大介のように打てるわけではない。
直史の言葉は論理的に考えて、正しく破綻している。
しかし大介は感覚的な人間であるので、その点のおかしさを突くことが出来ない。
それらしいことを、単に偶然である事実、または因果関係を逆転させてでも結びつける。
それが直史の、説得と恫喝であった。
「まあ、お前の気持ちはわかるけどな」
ここで理解の色を見せるあたり、直史には詐欺師の適正もある。
「普通の人間だったら誰だって、肉親に不幸があったら、いつも通りのパフォーマンスを見せるのは無理だ。だけどお前がプロになるなら、色々と叩かれることは多くなるだろう。それも、正しくない叩き方でも、今はなんでもありだからな」
ネットでエゴサをしても平気な直史である。大介はあまりネットなど見たりはしない。基本的にSNSの類も、白富東の人間は、連絡でしか使わない。
「だけど、この状況は、お前のお爺さんがお前に残してくれた、最後の贈り物だと思うぞ。お前が今後も、挫けそうになった時どうすればいいか、命をもって教えてくれてるんだ」
それは、詭弁である。
だが破綻した詭弁であっても、そこに大介を説得する余地があるなら、いくらでも使える。
「お爺さんの死をお前がどう受け止めるかが、最大の供養になると思うけどな」
直史は言い放つと、持参していたノートPCで、帝都一のメンバーの最後のチェックを始める。
思えば帝都一とは、一年生の頃からの付き合いである。
激戦区の東東京の超名門は、白富東が成長する上で、良い指標となってくれた。
これが直史にとっては、本多たちとの最後の戦いになる。
明日の先発は武史であり、直史は途中からの登板だ。
だが帝都一の打線が早めに武史をKOすれば、ロングリリーフで投げることも考えられる。
帝都一の打線を相手に、狙って完封できるのは、白富東でも直史だけであろう。
珍しくも考え込んだ大介を放置して、直史は帝都一との最後の試合を想った。
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