それでも、君は名前を教えてくれない
雨宮 翠
第1話
今日も目が合った。
僕が高校に入学して1年半以上経っているが、彼女とは半年前くらいから毎日すれ違う。そして彼女は僕と目が合うと決まって口角を上げる。毎日可愛い女の子が僕と目が合う時だけ微笑むのだ。それだけでインパクトとして十分で、僕は彼女のことが気になっていた。
12月ともなれば流石に冬が始まるかと思いきや、今日はなかなか暖かくて半袖でも過ごせるくらいだ。
午前中にあった部活の練習を終えた僕はその日もいつも通りに帰るはずだった。電車を降りて駅からの道を歩いていると、いつもの女の子を見つけた。初めて登校時間以外に見かけた僕は少し興奮した。
離れた場所からだとわからなかったが、どうやら彼女は誰かを捜しているらしい。通る人にスマホを見せながら声をかける彼女の横顔は真剣だった。
彼女近くまで来た時、彼女は何かを断られたのか肩を落としていた。
「どうしたの?」
この女の子と仲良くなりたい。その気持ちが無かったというと嘘になるが、肩を落とす彼女の横顔を見て、どうしようもなくどうにかしてあげたいという気持ちになったのだ。
「あっはい、おばあちゃんが………………」
彼女の声は最後まで続かなかった。目を丸くしているあたり、声をかけてきた相手が僕だったことに驚いたのだろうか。
「おばあちゃんが?」
「おばあちゃんが今朝から行方不明になっちゃったんです」
彼女の驚きも僕に先を促されたことで落ち着いた様に見える。
「そうか……何か僕にできることはないかな?」
肩を落としていたくらいだ、上手くいってないのは間違いないだろう。
「もし、よければ捜すのを手伝ってもらえませんか?」
彼女は少し不安そうに聞いてきた。彼女と親しくなれるかもしれないチャンスは嬉しい。
「もちろんいいよ。でも、捜すって言っても何をすればいいの?」
彼女は僕の質問になんと答えようか悩んでいる。折角なら2人で捜したいものだ。
そこへちょうど12時を告げるチャイムが聞こえた。それにヒントを得た僕はすぐに行動に移す。
「僕は部活帰りでお腹が空いているんだ。君もまだ食べていないなら、一緒に食べないかい。そこで相談しよう」
言ってから気づいたが、これではまるでナンパではないか。人の弱みにつけ込んでいるみたいで自分が最低な奴の様に思えてきた。
「では、あそこのファミレスなんてどうでしょうか」
でも、彼女は特に気にした様子を見せずに提案に乗ってきたので、僕も気にするのを止めて彼女の勧める店に向かう。
彼女はテーブルに着くとすぐに決めた様で、すぐにメニュー表を僕に渡してくれた。
結局彼女はドリア、僕は悩みに悩んだ末にカルボナーラを頼んだ。
「僕の名前は富田忠志。いつも道で会いますよね?」
まずは自己紹介をしないといけないと思ったがこれもナンパみたいだったか?
「はい、よく会いますよね。あ、私は涼森と言います」
「あれっ、下の名前は……」
「ヒ・ミ・ツです」
何か彼女からプレッシャーを感じたのでそれ以上は聞くのをやめた。
「あの道で会うってことはこの辺りに住んでいらっしゃるんですか?」
と、今度は彼女の方から話題が振られる。
「ああ、僕は近衛中学出身だよ」
「そうなんですね。私は近衛中学の3年生なんです。……これからは先輩と呼ばせて頂いてもよろしいですか?」
「全然良いし、さらに言えば口調もそんな畏まらなくてもいいからね」
そんなに畏まられると他人行儀っぽくなって距離を感じちゃうからできれば止めてほしい。
「それで、涼森さんのおばあちゃんのことなんだけど……」
話題を変えるために声をかけたものの、何と言っていいかわからず中途半端になってしまった。
「おばあちゃんは早起きなんですけど……私が朝起きた時にはいなくて……。おばあちゃんは散歩に行くこともあるから、最初はただの散歩だと思ってたんですけど……全然帰ってこないし……おばあちゃん認知症だから心配になっちゃって……」
つまり認知症のおばあちゃんが散歩に行ったっきり、帰ってきてないということか?いや、散歩に行ったかどうかはわからないのか。
「認知症だから道がわかんなくなって帰れなくなったかもしれないと?」
彼女は深く頷く。
「行き先に心当たりはない?よく行くお店とか散歩コースみたいなのとかでもいいけど」
彼女は今度は首を横に振る。
暗い雰囲気になりつつあった時
「お待たせしました。こちらペペロンチーノとドリアになります」
と、頼んでいた料理が運ばれてきた。
これをチャンスと思って話を変える。
「すぐ決めたみたいだけどドリアが好きなの?」
だが、この話題転換は失敗に終わる。
「ドリアというかグラタンが好きなんです。小さい頃、共働きの両親に代わっておばあちゃんがよく作ってくれたので……」
その後もぽつぽつとおばあちゃんとの思い出が語られる。
彼女の話をひとしきり聞くと、彼女は吹っ切れたかの様にこれからのことについて僕に相談してきた。
「食べ終えたらどうします?聞き込みを再開しますか?」
「聞き込みもしないといけないかもだけど、午前中やっててあまり成果がなかったらしいしな……」
ここは都会ほどではないとはいえ、人や店もそこそこ多い。正直聞き込みをしていても絞れない可能性が高いだろう。
かといって手分けして捜すにしても範囲が広すぎる。家族の人たちもいるとはいえ、捜す場所を絞らないときついだろう。
「そういえば、家族の人たちは?ご飯とか用意してあったりとかではなかった?」
ついてきたので大丈夫だとは思うが、来る前に聞いておかなければダメだっただろう。
「両親は車を使ってそれぞれ捜しています。一応、昼飯代としてお金はもらっているので大丈夫ですよ。この感じだと2人分、払えそうです」
彼女はさも当然と言った感じでさらっと言う。
「自分の分は自分で払うよ。女の子に奢られるのはちょっと……」
「これは手伝ってもらうお礼の前払いみたいな感じなのでおとなしく奢られちゃってください」
お礼の前払いと言われるとこちらは強く出にくい。
食べ終わって店を出る。あれから話し合って、とりあえずおばあちゃんがよく行っていたと言う近くのスーパーに行くことになった。
並んで歩く2人。僕は隣に女の子がいるというだけで緊張している。話題を探すも見つからない。
「「ヒャッ」」
僕の右手と彼女の左手で触れた。お互い情けない声を出し、慌てて手を引っ込める。そして、お互い顔を見合うと思わず笑いが込み上げてくる。
ひとしきり笑うとその後には少しの寂しさを感じた。彼女もそうなのか、僕の少し前に出ると、「連絡先、交換しましょうか」と小悪魔のような笑顔で振り向きながら言う。
「そうだね」
彼女に微笑み返した僕はスマホをポケットから取り出して、手早くQRコードを開く。
彼女は僕の行動をじっと見て、ふーんとでも言いたそうな顔を向けたのち、僕のQRコードを読み取った。
彼女は気づいていないみたいだがこれは彼女の名前を知るチャンスだ。友達として追加した相手の名前は見ることができる。
そう考えてほくそ笑んだ僕は束の間の喜びを味わった後に膝から崩れ落ちることになる。
「もしかして、名前がわかるとか思ってました?」
彼女はニヤついた顔でこっちを見てくる。
「この名前はあだ名です。残念でしたね、私の名前を知りたい先輩。これから私を呼ぶときは瑠璃と呼んでもいいですよ」
そう、僕は名前の欄に『瑠璃』と書かていたのを見て、名前を知った気になってたのだ。
純和風の外見とも言える黒髪ロングである彼女だから『瑠璃』という名前に妙に納得感を覚えてしまっていたのだが、あだ名だと言われてしまえばそれまでだ。
名前を知りたかった僕としては、彼女の言葉に何も言えずに詰まってしまう。そんな僕を見て彼女はコロコロと可愛らしく笑い、そして一人で先に進んで行ってしまう。一瞬遅れて僕も追いかける様にペースを上げてスーパーへ向かう。
着いたのは大型スーパー。広さもかなりあるし、こんだけ人がいる中で捜すのは骨が折れそうだ。
「とりあえず……二手に別れて捜さない?」
「そ、そうですね。この広さだと別々に捜した方が良さそうです。ちょっと待って下さい、今写真を送りますから」
送られてきたのは、彼女の誕生日の時に撮られたと思われる家族の写真。机の上には豪華そうな料理が沢山のっている。
「恥ずかしいので、あんま見ないで下さい」
照れる姿はとても可愛く、いじめてしまいたくなる。
「でも見なきゃ捜せないからな〜」
「う〜〜〜」
先ほどの仕返しを軽くしてからこの写真に目を落とすと店で買ってきたと思われる豪華な料理の中で、一品だけ家庭料理と思われるものが混じっていた。
「本当にグラタンが好きなんだね」
「もう、見ないでって言っているじゃないですか」
「これがおばあちゃん捜しに活きてくるかもしれないんだからさ」
「………………おばあちゃんの作ったマカロニグラタンが私の大好物なんです」
「………………へぇ〜」
「その反応はなんですか。本当に怒りますからね」
少しからかいすぎてしまったようだ。
「ごめんごめん、じゃあ行ってくるよ。僕は2階を見てくるから、1階は任せたよ」
後ろでは「もう」とでもいいたげに唇を膨らませているが僕はそれを無視してエスカレーターに乗る。
2階では服や靴、アクセサリーなどをメインに売っている。他にもおもちゃ屋やゲームセンターもあるがおばあちゃんはいなさそうだ。
とはいえ、万が一ということもあるのでゲームセンターにも入って捜してみる。案の定写真に写っているおばあちゃんどころか、おおよそご年配と呼ばれるような人の姿は全くなく、若い客の姿しかなかった。
今度は服屋に入ってみる。土日だからというのもあるのか家族連れが目立つなか、女性服売り場で1人鏡に向かって服を合わせている年配の女性を見つけた。写真と見比べてみるが、僕じゃあ区別できない。だから名前を聞いてみようと思い近づこうとした。と、ここで名前を聞いていないことに気づいた。
連絡先を知っているとこういう時に便利だ。
『おばあちゃんの名前教えて🙇』
『それって絶対に必要ですか?』
『似た人が居てな声かけて見ようと思ってるんだ』
『その人の写真を送ってくれれば私が判断しますよ』
おいおい、それは盗撮しろってことなのか?
『僕は犯罪者になるつもりはないぞ』
『しょうがないですね…』
『近藤雅代です』
僕は了解と大きく描かれたスタンプでそれに答える。
スマホをしまって視線を上げると、先ほどのおばあちゃんに小さい子供が抱きついていくのを見た。その子供の後ろからお母さんとお父さんと思われる男女2人が現れてそのおばあちゃんと談笑しているのを見て、これは人違いだったと理解する。
その後も捜してみたが、それらしい人は1人もいなかったので、2階にはいないと判断して1階に下りる。
1階はスーパーとフードコートがメインである。食事時ではないのでフードコートは人が少なめである。その代わり、スーパーの方は夕飯用の食材を買いに来たと思われる主婦で溢れていた。その中には年配の方も目立つ。これは骨が折れそうだ。
今日から12月ということでクリスマスコーナーができたことが原因で普段よりも普通の商品が少なかったりするみたいだ。ちょうど今僕が通っている麺類のコーナーでも品切れの商品がいくつかある。安いインスタントラーメンが売り切れなのはまだ分かるがちょっとお高めのパスタやマカロニまで無いのにはちょっと驚いた。
「何してるの?」
スイーツコーナーに居た彼女を驚かせようと後ろから声をかける。
「あっ、ごめんなさい……」
予想に反して彼女は驚かず、ただ謝るだけだった。
「甘いものでも食べたいの?」
スイーツを見つめる彼女は傍から見るとそれらが食べたいようにしか見えなかった。
「今はいいです。さあ、行きましょ」
後半は殊更に明るく言うと、どこに向かっていくのかスタスタ歩いて行った。
結局、館内放送まで使ったがおばあちゃんを見つけることはできなかった。
「次はどこを捜します?」
「うーん、家族がまだ捜してないところがいいと思うから聞いてみてもらえる?」
人にやらせるだけでなく、僕も地図アプリを開いて近くに居そうなところを探す。
駅の近くに行けば、大型量販店を始めとして大小様々な店がある。それらを一店ずつ確認するのは骨が折れそうだな。
「両親は駅の方に向かったそうなので、私たちは反対側に行きましょう」
ちょうどそっちはまだ見てない。手速くスマホを操作して調べるが、駅の反対側にはあまり店はない。住宅街が広がっているだけだ。
「駅から離れると細い道も多いですからね。車だと捜しづらいと思ったみたいです。なので私たちで捜しちゃいましょう」
この辺りは駅の周辺は栄えているが、離れれば離れるほど過疎っていく。住宅街を抜けると田んぼが広がっており、その先には山もある。どこまで捜しに行くのかは分からないが、親に連絡しないといけなくなるかもな。
そんなことを考えながら住宅街を歩いていく。
「コンビニです。入りましょうか」
時折こうして店があると、とりあえず入って確かめているが、コンビニみたいな小さい店だと何も買わずに出るのは気が引けるので、毎回ちょっとしたものを買っている。最初は彼女が、付き合わせているからと毎回払おうとしたが、そこは僕が断固として反対した。その結果として順番に買うことになった。
今回は僕がお茶を買った。この長い時間の捜索で部活用にと持って来ていた水筒が空になってしまったので、喉を潤すために一口つける。
「どうしたの?」
彼女からの視線を感じたので話しかける。
「い、いえ、あの……この辺りは昔おばあちゃんと散歩に来たなあと思っただけです!」
彼女が少し慌てているように感じるのは僕だけだろうか。
「君は本当におばあちゃんが好きなんだね」
彼女は髪に付けていた菊の花の髪飾りを取り外して、留めていた髪を下ろした。風によって長い髪が棚引く中、彼女は手にした髪飾りを大事そうに両手で持つ。
「この髪飾りは私の10歳の誕生日の時におばあちゃんに貰ったんです。私の誕生花らしいんですけどね。私の大切な宝物です」
そうして彼女は胸の前でその髪飾りを僕に見せてくる。泣くのをこらえながら言ってくるので、僕は感動してしまった。そのせいかいらないことまで言ってしまった。
「その髪飾りとっても似合ってて可愛いよ」
「へへへ」
彼女の照れ顔を見るのはこれが2度目だ。
彼女は顔を背けて歩きだした。これが瑠璃なりの照れ隠しなのだろう。
電話が掛かってきた。僕ではなく瑠璃だ。彼女は素早くスマホを取って電話に出る。
「さぁ頑張って捜しましょう!」
電話を切ると瑠璃は張り切ったように声を上げた。
「なんて言われたの?」
「どこを捜していたのか聞かれただけです」
「たったそれだけのことで電話かけるかな?」
「それは……えっと……あれです。両親はもう少し捜す範囲を広げるとも言ってましたから、私たちと被らないようにするためでしょう」
「それでもわざわざ電話を掛けるかなあ」
「実際に電話は掛かってきてるんですから」
まあ、そう言われると納得せざるを得ない。
「私も早く帰りたいですし、先輩もそうだと思うのでこっからはペースを上げて行きましょう」
さっきまではゆっくりあるいていた瑠璃だが今では速歩きで歩いている。
電話を終えてからの彼女は少し焦っているように見える。流石に何か電話で言われたのであろうことは分かるが、とても聞ける気がしない。
今は彼女について行くので精一杯だ。いくら運動部とはいえ、練習を終えてから歩き詰めの体では速歩きでもキツイ。
彼女が運動部なのかは知らないが一日中外に居たんだ。僕といる内に座ったのはファミレスの中だけだし、午前中ずっとビラを配っていたなら彼女の足も相当辛いだろう。
いずれ疲れて止まるだろうと予測はしていたが、止まり方は予想外だった。
「痛っ!」
僕の目の前で瑠璃は急にうずくまって、右足のふくらはぎを抑えている。
「大丈夫!つった?足押そうか?」
「あ、いえ、自分でやれるのでいいです。今日はスカートだし……」
「ご、ごめん。善意で言っただけで決して他意は無いから」
「分かってますから、先輩までうろたえないでください」
彼女のおかげで冷静になれたことで、さっきスマホで調べた時にこの近くに公園があったとを思い出した。
「この近くに公園があるはずだからそこで休もう」
「いえ、休んでたら時間が……早く見つけなきゃ……イタッイタタ」
頑張って立ち上がって歩こうとするが、すぐに痛みを感じてしまう。
「そんな状態じゃ無理だよ。一旦休んでからの方が早く見つかると思う」
こうして、なんとか瑠璃を説得して公園まで肩を貸すことになった。
「先輩離れようとしないでくださいよ〜。歩き辛いです〜」
僕は彼女と少しも触れないように、できるだけ距離をとろうとしてるが、彼女は逆に僕に近づいてきている。
「うひゃっ!」
突然僕の首筋で何かが蠢いた。
「気持ち悪い声を出さないでくださいよー」
よくよく見ると首筋に居たのは虫ではなくて、彼女の手だった。
彼女にこうしたからかわれながら、近くの公園に辿りつく。
「ベンチに座って休んでて」
瑠璃はおとなしくベンチに座ると、隣をポンポンと叩いて僕を呼ぶ。
「先輩も隣にどうぞ」
なんの抵抗もせずに座ると、カバンからペットボトルを取り出す。
「つる原因の一つは水分不足だって聞いたことがある。さっき買ったお茶しかないけど、飲むか?」
「いえ、先輩だって喉乾いているでしょ、私はいいですから先輩が飲んでください」
「あっ、やっぱ僕が口を付けたのは飲めないよな。配慮が足りてなかった、ごめん」
「いえ、別に先輩との間接キスが嫌というわけじやなくて、むしろそれは……じゃなくって……あーもう飲ませていただきます」
そう言って僕の手から奪うようにとると、ごくごくと一気に飲み干した。
そして、飲み終えると今度は恥ずかしさが急に来たのか、頬が朱に染まる。瑠璃は顔を手で覆うと静かになった。
「さっきはあんなに焦って……何があったの?」
「……………………日が沈んだら警察に行くって言われました。夜なれば死ぬ可能性も高いからって」
それが捜すペースを上げた理由か……。今は3時、日が沈むまではあと1時間半といったところか。
「闇雲に捜してちゃ夜までには見つかんない。どうにかして、居そうなところを考えなきゃ」
「確かに、闇雲に捜していたら間に合いそうにないですね。でも居そうなところを考えるって言ってもなあ」
「実はもう家に帰ってるとかは?」
「家にはおじいちゃんがいるので帰ってきたなら連絡があるはずです」
それが無いってことはってことか。
「おばあちゃんは朝早くに出て行ったの?」
考えるには情報が圧倒的に少ない。
「私が今朝起きたのが10時すぎで、その時には居ませんでした」
僕はずっと6時くらいを想像していたが、9時を過ぎてから出て行った可能性もあるということか……。ということは何かを買いに行った可能性も高くなるな。今まではおばあちゃんは散歩に行ったと思っていたが、何か目的があって出て行ったかもしれない。
今考えたことを瑠璃にも話す。
「目的ですか?」
「うん。最近おばあちゃんが何か欲しそうにしてなかった?」
うーんと考えるポーズになるが、なかなか答えが出てこないところを見ると何も思い浮かんではいないようだ。
「おばあちゃんは食べるのが好きなので、よくスイーツとかを買ったりはするんですけど、それならさっきのスーパーに行くはずなので……」
「そこにいないとなるとそうじゃない可能性が高いか」
「食べ物系じゃないとすると、他に何か思い当たる節は………………なさそうだな」
彼女が首を横に振るのを見ると本当に何も出てこなさそうだ。
「それに、僕たちの捜索範囲の店はほぼ全部確認したしな、店に居るとしたらあとはもう捜索範囲を広げるしかないな」
とはいえ、広げたとしてもこっちには山の麓にスーパーが1つあるくらいなんだよなあ。さすがに山越えはないだろうし。
「今日が何か特別な日ってことはないか?」
もし、今日が何かの記念日だったりすればだいぶ的が絞れるかもしれない。
「言っていなくてごめんなさい。今日は私の誕生日なんです」
「えっ、今日誕生日なの?」
コクンと頷く。
「おう、おめでとう」
「ありがとうございます」
彼女は嬉しそうに微笑む。
「毎年誕生日にしていたこととかない?」
「うーん、マカロニグラタンを作ってくれてたことくらいですね……」
うん?ちょっと何かが繋がりそうな気がするぞ。
「マカロニってちょっとお高めのやつだったりする?」
これがもしそうなら話が繋がる。
「そうだったと思いますけど……それを買いに行ったってことはないと思いますよ。だって家にもうありましたし」
「それに気づかなかったってことはないの?認知症なんでしょ」
「そう……ですね。気づかなかったかもしれません。でも、こんなこと聞いてどうするんですか?」
「ああ、今日スーパーで捜していた時にな、偶然通ったところでパスタやマカロニが売り切れだったのを見たんだよ。それで、もしかしたらマカロニを探しに別のスーパーまで行ったのかと思ってね」
「でも、この辺りにおばあちゃんが歩いていけそうなスーパーはあそこくらいしか……」
「あそこ以外でおばあちゃんが行ってたスーパーはない?」
さすがにずっとひとつのスーパーにしか行ってないなんてことはないと思うけど……。
「ちょっと電話してきます」
瑠璃は少し僕から離れる。
しばらくすると、こっちにゆっくり帰ってくる。足を気にしているのか、歩き方が少しぎこちない。
「他にも行っていたスーパーはあったんですけど、もう既に捜した後だったみたいで……。なので、帰り道が分からなくなったかもってことで、その辺りを捜しに向かってくれてるみたいです」
僕たちにはもうできることはないのかもな。
「お母さんは山の麓にあるスーパーにも昔は行ってたと言っていたので、そっちも捜しに行きましょう」
瑠璃は行く気だが、僕は反対だ。彼女の足はまだ回復しきってなさそうだし、そんな状態で歩き続けるのは厳しいだろう。そう説明するが、彼女の意志は強い。
「先輩、ついてきてくれませんか」
僕がついていれば、何かあっても大丈夫だろうと彼女は言う。
そう訴えかけてくる彼女は目は潤んでいた。そんな彼女をいっそう綺麗にするように夕日がさす。
気がついたら、あたりは一面茜色に染まっていて、どこからともなくカラスの鳴き声が聞こえてくる。それに交じって嗚咽も聞こえる。
僕が答えに詰まったせいだ。彼女の気持ちを考えると行かせてあげたいが、体のことを考えると止めておいた方がいいに決まっている。少なくとももう少し休んでからだ。どちらを優先すべきか僕は決められなかった。その結果瑠璃を泣かせることになってしまった。
僕はまだ彼女を抱き締めては上げられない。そんなことをする勇気は僕にはない。僕にできることは一緒について行くことだけだ。僕はポケットからハンカチを出して彼女に渡すと、いいよ行こうかと言った。彼女の方は向いていない。
瑠璃はひとしきり泣いた後ハンカチで目元を拭くとすくっと立ち上がって、僕の方を振り返る。
「私は自分でもできることをやりきります。先輩手伝ってくれますか?」
これの答えはもうさっき出た。ここまで付き合っておいて今更放り出すなんて真似はしない。
「もちろんだ」
彼女はもう一度だけ目元を拭うと、スッキリとした表情になった。
2人でゆっくりと歩く。もしかしたら、近くに居るかもと目を凝らす2人。もう日は沈んで辺りは暗くなり始めた。
そこへ電話が来る。スマホを持つ彼女の手は震えていた。
「もしもし――――――――」
大事な電話が始まった。彼女は相変わらず僕から距離を取って電話をするので、何を話しているのか全く分からない。たださっきより落ち込んでいないところを見ると、事態が好転したんじゃないかと思う。
「警察に届け出たそうです」
僕の近くに戻って来た瑠璃は開口一番にそう言った。電話を受けているのを見た感じだと、そんな風には感じなかったが彼女も成長しているということか。
「じゃあもう後は警察に任せて僕たちも帰るのか?」
「いえ、折角ここまで来たんだし行きましょうよ」
僕たちが捜すよりも警察に任せた方がよさそうな気はするが、わざわざだいぶ歩いたので、折角だからと言いたい気持ちは分かる。
どうせここまできたならという気持ちが大きくなってきたので、結局そのまま向かうことになった。
警察に頼るということで、道中は暗い雰囲気になるかと思っていたが、存外に彼女が明るく話題を振ってくれるので、楽しく歩くことができた。
そして、着いた先は思っていたより大きかった。地図で見てた時は近所の小さなスーパーくらいを想像していたのだが、実際は小さな商業施設と言った具合だ。
「初めて来たけど大きいなあ」
「私も小学生以来ですね」
彼女は来たことがあったようだ。ここは彼女に案内してもらおう。
「どこから捜そうか」
「あっ、はい、そうですね……。普通に食料品コーナーからでいいんじゃないですか?」
僕としてはいたって普通の質問をしたつもりだったので彼女の反応には驚いた。
警察と聞くと大事感が出るから少し上の空にでもなっていたんだろう。
「そういえば、今日誕生日だったよね。プレゼントってことで何かスイーツでも買ってあげようか?」
今日はここで最後だろう。明日からはまた、道端ですれ違う通行人に戻ってしまうかもしれない。それならば今日中に少しでも好感度を高めておかなくては……。
「スイーツを食べたかったわけじゃないですよ……。でも、プレゼントをくれるというなら何かねだっちゃおうかな」
「あまり高いものは無理だよ」
「わかってるわかってる。ちょっとお高いケーキくらいの値段のにするから」
ちょっとお高いケーキってまさかホールの値段じゃないよな……。
そして、欲しいものの所まで連れて行かれる。
「おいおい、食べ物じゃないのかよ」
彼女は食料品売り場から出てしまう。
「ていうか、捜さなくていいのか?」
「ちゃんと見てるから大丈夫!」
僕には全然見ているようには見えなかったぞ。胸中は少し不安だ。
そうして連れて来られたのは雑貨店だった。
「良かった、まだあって。えっと……たしかこのあたりだったような…………。あった、ちょっとこっちに来て」
僕の目の前には大小様々なアクセサリー類が並んでいる。
「もしかしてこれ?」
「うん!私に合いそうなの選んでください。安いやつでいいので」
相当恥ずかしかったのかそれだけ言うと棚に隠れてしまった。ここでいいものをあげれば好感度を上げれるが、果たしてどれがいいのか。棚に置かれているのとは別にショーケースに入っているものも見つけた。棚に飾ってあるものが200〜2000円と比較的安い商品が置かれているのに対して、ショーケースにはひとつ数万円もするネックレスまで置いてある。
その中で比較的安いものがあるのに目を留めた。ターコイズのイヤリングと書かれている。たしかターコイズは12月の誕生石だったはずだしちょうどいいだろう。
サプライズとまではいかないが少し驚かせてやろうと瑠璃に見つからないようにレジへ向かう。そして、ショーケースを開けてもらっていると、後ろからやってきた。
「えっ、もう買うの。しかもショーケースから?!」
驚きのあまり声が裏返っていた。
僕は瑠璃に何も返答せず、もう一度レジに向かう。そして、支払いを済ませて、ショーケースの前で固まっていた彼女の前に買ったばかりのプレゼントを差し出す。
「お誕生日おめでとう」
こういう時は言葉を尽くしたってしょうがない。シンプルにただ伝えたいことを言うだけだ。
「開けていいですか?」
もちろんいいに決まっている。今この瞬間からもうそれは君のものであって僕のものではない。どうしようが好きにすればいい。
「これは…………イヤリング?」
「12月の誕生石だし、ちょうどいいかなって」
瑠璃は嬉しさのあまりか涙ぐんでいる。
「一旦お店から出よ。迷惑になってもいけないし」
僕たちの後からも別の客が入ってきている。瑠璃だって、泣いている姿をあまり他人に見せたくないだろう。
店の裏にあったベンチに腰かける。駐車場に面している広い道と違って、細い道なので誰も来ない。街灯に照らされたベンチに腰掛ける僕たちがいるだけだ。
「そういえば先輩に謝らないといけないことがあって…………」
僕が貸したハンカチで涙を拭いて顔を上げた時の表情はとても真面目だった。一気に緊張する。
「実はもうおばあちゃんは見つかっていたんです」
「そんな気はしてたよ」
ここへ来るまでも焦っている気配は無かったし、ここへついてからは捜す素振りさえ、なかなか見せなかったからな。
「でも、なんで隠したの?」
だが理由が見えてこない。隠した所で無駄に捜す時間が増えるだけだ。
「それは…………先輩ともっと一緒に居たかったから」
ウッと言葉に詰まる。これは告白なのか。瑠璃は僕のことが好きってことでいいのか。
「先輩には申し訳ないですけど、私はとても嬉しかったですよ。冗談だったのに、本当に誕生日プレゼントくれるし…………」
あれは冗談だったのか……。
「まあ、僕も疲れたけど楽しかったよ」
もうしばらくはこんなことはごめんだけどな。
「どうですか、私と付き合いませんか?」
僕は瑠璃の方を向く。だが、彼女はこっちを見てはいない。あえて、目を逸らしているようだった。
僕の心は決まっている。
「こちらこそ、お願いします」
すれ違うだけだった時から気になってた瑠璃に告白されるなんて嬉しすぎる。
瑠璃は胸をなでおろしている。
空気が弛緩する。僕も深呼吸をして、息を整える。
「帰りましょうか」
僕としてはまだ一緒に居たい気分だが、だいぶ暗くなっている。時計を見ると、もう7時をまわっている。
「そうしよっか」
そうして、2人でバスに乗る。
来る時よりも今の方が緊張している。隣に彼女が座っていると緊張し過ぎて話題がなかなか出てこない。
「えっと…………、あっそうだ、おばあちゃんは結局どこで見つかったの?」
「スーパーの近くの公園のベンチで見つけたそうです。見つけられたのは先輩のおかげですね」
「そうなんだ、見つかって良かったね」
「はい」
会話が終わってしまった。もう次の話題なんめ出てこないよ。
一旦スマホにでも逃げようと開いてみると、家族からの通知がすごい。
いつ帰ってくるかだの、どこをほっつき歩いてるんだのと沢山来ていてビビった。
「先輩、どうしたんですか?」
「ああちょっと家族からの連絡に気づいてなくって無視してるみたいになっちゃっててね……」
「ごめんなさい、家族が心配している中で手伝ってもらっちゃって」
「僕がやりたくてやっただけだから気にしないでね。僕もいつも気になってた君と付き合えるなんて、嬉しこともあったんだから今日はとてもいい日になったよ」
「私もです。今日は今までで一番嬉しい誕生日です。本当なら先輩にお礼をしたいんですが……」
「今日はもう帰るよ。家族が心配してるしね」
「ではまた日を改めてお礼をさせてください。じゃあ私は次で降りるので……お先に失礼します」
「そうだ、僕たちはもう恋人になったんだし、瑠璃の本当の名前を教えてくれてもいいんじゃないか?」
「それは……………………やっぱりまだ、ヒ・ミ・ツです」
そう言って彼女はバスから降りていった。
「行って来まーす」
今日も今日とて、学校である。しかしい瑠璃と今日も会えると思うと嬉しさが込み上げてくる。しかも昨日から僕たちの関係は恋人になったのだ。先週までと違って喋ったりできるかもしれない。そんな期待を背負って家を出る。
いつもの道に来る。
反対側から瑠璃も歩いて来る。彼女も気づいたようで、目と目を合わせて微笑みながら少しずつ距離を縮めていく。
そして、だんだん近づいてきてついには僕の横まで来て………………スルー。
僕は瑠璃のことを何も知らないのだと思い知らされた。
恋人として、知っておかなきゃいきないことは山ほどあるだって、僕はまだ彼女の名前すら知らないのだから。
それでも、君は名前を教えてくれない 雨宮 翠 @midori_sui
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