消える。そして…

春嵐

消える。そして…

 消えたいと思ったことは、一度だけではない。


 いつも思う。消えたい。ここから、なくなってしまいたい。


 そんな自分には、ぴったりの体質だった。


 誰かに会わないで十数時間経つと、自分の顔が、周りから忘れ去られる。


 最初は、両親だった。


 7才ぐらいの頃。そのときは既に自分の体質についてなんとなく分かっていたので、ひっしに幼稚園へ送られるのをいやがっていた。


 ある日、観念して、幼稚園へ行った。帰ったとき、両親は私のことを覚えていない。


 それでよかった。


 不思議に思った幼稚園の先生から相談所に連絡が行き、一時預りとかになったけど、それも数時間周囲に会わなければ忘れられる。


 家に帰って、あらかじめ自分で持っておいた母子手帳を見せ、子供であることを証明して居残った。


 そして小学校の途中から寮に入り、しかし寮のシステムだと意外と人に会わないので忘れられやすいということが分かったので一人暮らしに切り換えて、今に至る。現在高校生。


 借りても私のことを忘れるから、部屋は借りやすかった。住所と戸籍はあるし、私のことを忘れてはいるけど両親もいる。寮の人間も、私が在籍しているのを紙面上把握はしている。電話で確認をすれば応答があるし、おもしろいことに、私がいないところでは、私の記憶と内容が引き継がれているらしい。


 つまり、私のいないところでは、確かに私の記憶と記録がある。しかし、私に会って、私の顔を見ると、私の記憶だけが消える。


 街中。


 ショーウインドウに映る、自分の顔。


 さわってみる。


 自分の顔が、好きだった。芸能人ほどではないが、ちゃんと整った顔をしている。基本的で、ノーマルな顔。


 たぶん神様が、人間の顔を作るとき私の顔を参考にするために、私の顔を隠してるんだと、思う。冗談でも、自慢でもなく、そう思っていた。そして私は、この生活が、この顔が、好き。


 私は、何者でもない。


 誰でもない。


 いつでも、好きなとき、好きなところで。自分を消してしまえる。


 私は、ここにはいない。


 誰も、私を知らない。


 ひとりなのは残念だけど、しかたがない。人生、良いことだらけでは面白くないから。


「あ、あの」


 後ろ。声をかけられる。


 なんだろう。声をかけられるなんて。はじめてかもしれない。


「はじめて会ったと思うんですけど、あの、その、好き、です」


 イケメンの男性。


「そうですか。ありがとうございます。わたしも好きです」


 生まれてはじめて告白されたかも。顔が整ってるから、かな。ちょっとうれしくて、ちょっと残念。この人も、すぐ、忘れる。


「今日は予定があるので、明日、またここで合いましょう。おともだちから」


「あ、は、はい。よろこんで」


 イケメンの男性。うれしそうだ。


 うれしい気持ちのまま帰って、私の顔だけ忘れて、嬉しさだけが残るといいな。そう思いながら、その場を離れた。


 消える。


 消えていく。


 街並み。


 暮れる夕陽。


 あの夕陽が、好きだった。


 街のビルの中に、消えていく。


 夜が来る。


「帰ろう」


 帰って、ごはんを食べて寝て、夜が明ける前に起きて。今度は、朝焼けを見る。


「あ、宿題」


 高校の普通科。始業時間にさえ間に合えば、あとはいなくなっても大丈夫。顔も名前も忘れられるけど、記憶は残る。なぜか、欠席ではなく出席扱いだった。神様が、おまけしてくれたのかもしれない。


 勉強も、好きだった。記憶が定着するかどうかという部分が、おもしろい。ひとりで自分に問題を出して、数日後にそれを解いたりしている。


 義務というより趣味として勉強しているので、国内のどこの大学にも入れるぐらいの頭の良さになった。いちおう神様に配慮して、地元の小さな大学に入ろうと思っている。すでに推薦の様式も整っていて、特待生待遇なので学費は無し。


 寝る前に、ラップトップを開いて、少しだけブログを書いておく。理由は分からないけど、なぜかサイバー空間に何か書くと、勝手にバズる。存在が希薄なほうが、インターネットには適しているのかもしれない。


 ブログやサイトの収益だけで、普通に生活していけた。最近は顔を隠してゲーム配信とかもしている。


 最近は昼間に配信していて、たまたま同じく顔を隠して配信している「すっぱだか姐さん」と絡むようになった。

 彼女も配信者。

 お互い画面越しで配信しているからか、姐さんが私を忘れることはなかった。


「あ、明日の配信予定」


 姐さんに連絡だけ送って、眠りについた。


 翌朝。


 いつも通り、夜が明ける前に起きた。ごはんを食べて、着替えて、シャワーを浴びて。もういちど着替えて。


 朝日を見に、街に繰り出した。


 人のいない、街中。


 この景色も、美しい。ゆっくりと、オレンジ色が空をめぐっていく。


「綺麗」


 涙が、出てきそうになるけど、こらえる。


 電話。メッセージの連絡が来た。


「あはは」


 こらえてた涙が、笑いと共に出てきてしまった。姐さんから。


『本日もまた、抱かれず。昼配信了解。すっぱだかで待つ』


「姐さん」


 姐さんは、配信中は服を着ている。恋人が帰ってくると、おもむろに服を脱ぎ出すんだとか。なんだそれ。


「あっ」


 朝日。


 昇ってくる。


 それを、眺めていた。


「あ」


 後ろ。声。


 振り返る。


 昨日声をかけてきた、イケメンがいる。


「あ、あの。ええと、はじめ、まして」


「はじめまして」


 十数時間経ったから、顔を忘れてるのかな。偶然。


「あの、ええと、好き、です」


 同じ言葉。


 すごい純粋な人なのかもしれない。


「私もです。今日は朝早いので、今日の18時頃に。ここでまた会いましょう」


「あ、はい。よろこんで」


 彼。うれしそうな表情。


「えと。僕ちょっと急いでるので。では。18時にまた」


 彼が走り去っていく。


 偶然とはいえ、2回も告白された。今日は良い日になるかもしれない。


 朝日をたっぷり眺めてから、学校に行った。出席だけを確認して、席を立つ。お昼に姐さんとの配信があるから、帰って準備しなきゃ。


 教室の扉を開けて。


 外に出たら。


 彼がいた。


「おっ」


 ちょっとだけ、びっくりした。同じ高校だったんだ。十数時間経ってないな。どうしようか。18時に街に来られると困るかも。


「あ、あの。ええと。はじめまして」


「あら」


 はじめまして、だ。


「あの」


「ごめんなさい。急いでいるの。わたしも好きよ。また会えたら、いいね」


 それだけ言い残して、手を振ってその場を離れた。


 消える。記憶から、なくなっていく。それが、好きだった。この、好きなひとに忘れ去られる、切なさ。泣きそう。


 部屋に戻って、着替えて、シャワーを浴びて、また着替えて、ごはんを食べながら通話の電源を入れる。


「あれ」


 通話の電源。


 すでに入っていた。


『なんで二回着替えてんの』


「姐さん」


 姐さん。すっぱだかではない。かわいいピンクのスリーブレス。


「肩がえっちですね」


『そうなのよ。紐が最高よ。涼しくて』


 いつも通り、ごはんを食べながら雑談。八割方、姐さんの抱かれない話。


「そういえば、わたしも昨日から、告白されてるんです」


『えっうそ。まじで。その体質で』


「はい。この体質で」


 姐さんは、画面越しなので、色々なことを喋っている。姐さんも、わたしを信頼して、抱かれない話をしまくっている。今回も、同じひとから、忘れられながら三回も告白されたことを、喋った。


『それ、最高に、チャンスじゃない。消えちゃん』


 配信者名は、消えちゃん。


「チャンス?」


『恋人のできるチャンス。恋はいいわよ。最高よ』


「姐さんは抱かれないのに?」


『そこも含めて最高なのよ。自分が一人じゃないと思う。その瞬間が、最高に、最高なのよ』


「語彙が失われている」


『あなたの消えたいっていうのも最高よ。でも、消えることができて、ひとりじゃないとしたら。最高に最高を重ね合わせて、最高よ』


「そう、かな」


『で、いつ会うとか、なんか、しなかったわけ』


「あ、ああ。ええと。今日の、18時?」


『うおお。今日かよ。屋外でも通信オンにしてよね。聴くから』


「来ないですよ。向こうは忘れてるのに」


『まあ、そしたら、姐さんが話し相手になったげるから。失恋もまた、さいあくだけど、最高よ』


「抱かれないのに」


 ゲーム配信をして、仕方がないから、言われた通り無料通話の通信を入れたまま、街に繰り出した。


 18時。


 ビルの狭間。


 綺麗な夕陽。


「きれい」


『え、見たい見たい。ビデオ通話にしてよ』


「姐さんはベランダに出て自分で見てね?」


『あ、そか』


 ベランダが開く音。


 彼は、来ない。


 消えちゃったかな。


 ちょっと、残念。

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