ロンドンで出会った、とある心優しい女性

 ロンドンでは、三階建てのフラットに住んでいました。私たち家族は三階に住み、二階には二十代の男性、一階には六十代の女性が住んでいました。一階のフラットは政府の所有で、低所得者に無料で提供するためのものでした。


 一階に住んでいた女性は、六十代なのに、いつもヒョウ柄のタンクトップと擦り切れたジーンズのようなファンキーな格好をしていて、メイクも一昔前のロックスターみたいな感じでした。名前をテレサさんといいました。


 テレサさんは近所で有名なジャンキーでした。警察が何度もフラット共通のドアを夜中に叩きました。


 テレサさん、本当に優しい人で、ホームレスの男性を家に泊めてあげたりしてたんです。この男性、めっちゃくちゃガラの悪い人で、たぶんカタギじゃなくて、この男性が泊まっていた間は、警察がドアをノックする回数が倍増しました。


 テレサさんは、娘をたいそう可愛がってくださって、よく声をかけてくださいました。娘のために中古のおもちゃを買ってきては、私たちのフラットのドアの前に置いたりしてくれました。お礼に、手作りのクッキーだとかをおすそ分けするような関係でした。


 一度「お茶でもしませんか」とテレサさんを自宅にお招きしたことがあります。娘が二歳の頃です。娘はテレサさんが大好きでした。


 自宅にお招きして、一緒に座ってお茶を飲んでいると、テレサさんの痛みまくった長い髪とか、抜けて隙間だらけの歯だとかが、よく見えました。しゃべり方も、あんまり順を追っていなくて、なに言っているのか理解するのが困難でした。共通の話題もあまりありません。娘の存在がその場を和ませていました。


 一時間くらいしてお帰りになるとき、英国流にハグをしました。なんかムワッと独特の匂いがして、痛んだ髪に手が触れて、「うわわわわ。」とちょっと嫌悪感に似た感情がわきました。娘は、屈託なく、ぎゅーっと笑顔でハグをしていました。


 テレサさんが薬物依存者で、何年も定職に就いてない低所得者で、体のいたるところにその痕跡がみられることは、娘には本当に関係ないんだなぁと思いました。テレサさんが優しくて、ときどきおもちゃをくれて、いつも話しかけてかまってくれるから、好き。二歳の娘にとっては、そういう、シンプルなことなのでした。私も当時二歳だった娘みたいに、ピュアな心が持てたらいいのになと、今も思います。


 それ以来、テレサさんを自宅にお招きしたことはありません。それまで通りに、会ったらご挨拶をして、たまにおもちゃをいただいて、こちらからも何かおすそ分けするというお付き合いが続きました。


 テレサさんは、私たちがロンドンを去る半年くらい前に、オーバードーズ(薬物の過剰摂取)で亡くなりました。近所の人たちともども、「やっぱり」と言い合うくらい、必然的な死に思えました。


 今でも、ときどきテレサさんのことを思い出します。思い出すたびに、なんとも言えない気持ちになります。私とは、あまりにも違う人生を歩んだ女性で、だからこそ、お会いできて幸運だったと思っています。


 エッセイのネタにもしちゃったしね! 今回は、リアクションしづらい話でごめんなさい。急に思い出して書きたくなりました。

 

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